放送大学愛知学習センターの談話室で見つけました。
「歩いていけば山頂に着ける」という前学長岡部洋一先生の色紙。
放送大学の談話室にあるから「ああ、生涯学習とはそういうものなんだなぁ・・・」と感慨に浸ることができますが、これが、登山途中の山小屋にあったら「そりゃそうだ」でオシマイとなることでしょう。
ただ、思うのは、岡部先生の書かれている「山頂」とはなんなのでしょう?一つの区切りとしての放送大学の卒業を指しているのでしょうか。それとも真の意味での人生を賭けた生涯学習の完成を意味されているのでしょうか。
無為に歩いていては富士山頂にはたどり着けません。とはいえ、歩き続けないと、絶対に富士山頂には到達できません。加えて、残された時間が短ければ、時には走らないといけないでしょう。
「これをやればよい」という、明確なものが生涯学習にはありません。そう、生涯学習に確定的な「正解」はないのです。何をやっても正解であり、何をやっても不正解となります。その意味するところは、何もしないよりかは何かをすることで、人生がよりよくなるという意味での正解、一方で、何をやっても、それ以上に有益な何かがあったのではないかという意味での不正解。
前の記事の事例で考えると、一念発起して60歳で大学院に行ってMBAを取った場合、MBAを取るまで学習したことは一見「正解」と思えますが、同じ学びをするなら、30歳でやっていれば、その後定年まで30年以上もそのスキルを人生に活用できたわけで、そう考えると「不正解」にも思えてしまいます。そもそも、その方がMBA取得した時に、「もっと早くやっていればよかった・・・」と後悔するなら、諸手を揚げて「100点満点の大正解ですよ!」とは言えないでしょう。
「もっといいやり方があった」とか「もっと早くやっていればよかった」とか、やった後に後悔の念に苛まれるくらいなら、もっといいやり方で、もっと早くやろうよと思うわけです。
私が産能大学の通信教育を始めたのが2004年4月。年齢で34歳の時。この年から生涯学習に取り組めたと考えるなら「正解」だし、20歳台とか、もっと早い段階でスタートできたのでは・・・と感がるなら「不正解」なのでしょう。
正直、自分では、「不正解」との思いが強かったので、その後、猪突猛進、学位の取得に走ってしまったわけです。そう考えると「歩いていけば山頂に着ける」ではなく、「走っていけば別の山にも登れる」というのが私の思いといえるかもしれません。