生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

談話室に

2019年02月24日 05時27分54秒 | 放送大学

放送大学愛知学習センターの談話室で見つけました。

「歩いていけば山頂に着ける」という前学長岡部洋一先生の色紙。

放送大学の談話室にあるから「ああ、生涯学習とはそういうものなんだなぁ・・・」と感慨に浸ることができますが、これが、登山途中の山小屋にあったら「そりゃそうだ」でオシマイとなることでしょう。

ただ、思うのは、岡部先生の書かれている「山頂」とはなんなのでしょう?一つの区切りとしての放送大学の卒業を指しているのでしょうか。それとも真の意味での人生を賭けた生涯学習の完成を意味されているのでしょうか。

無為に歩いていては富士山頂にはたどり着けません。とはいえ、歩き続けないと、絶対に富士山頂には到達できません。加えて、残された時間が短ければ、時には走らないといけないでしょう。

「これをやればよい」という、明確なものが生涯学習にはありません。そう、生涯学習に確定的な「正解」はないのです。何をやっても正解であり、何をやっても不正解となります。その意味するところは、何もしないよりかは何かをすることで、人生がよりよくなるという意味での正解、一方で、何をやっても、それ以上に有益な何かがあったのではないかという意味での不正解。

前の記事の事例で考えると、一念発起して60歳で大学院に行ってMBAを取った場合、MBAを取るまで学習したことは一見「正解」と思えますが、同じ学びをするなら、30歳でやっていれば、その後定年まで30年以上もそのスキルを人生に活用できたわけで、そう考えると「不正解」にも思えてしまいます。そもそも、その方がMBA取得した時に、「もっと早くやっていればよかった・・・」と後悔するなら、諸手を揚げて「100点満点の大正解ですよ!」とは言えないでしょう。

「もっといいやり方があった」とか「もっと早くやっていればよかった」とか、やった後に後悔の念に苛まれるくらいなら、もっといいやり方で、もっと早くやろうよと思うわけです。

私が産能大学の通信教育を始めたのが2004年4月。年齢で34歳の時。この年から生涯学習に取り組めたと考えるなら「正解」だし、20歳台とか、もっと早い段階でスタートできたのでは・・・と感がるなら「不正解」なのでしょう。

正直、自分では、「不正解」との思いが強かったので、その後、猪突猛進、学位の取得に走ってしまったわけです。そう考えると「歩いていけば山頂に着ける」ではなく、「走っていけば別の山にも登れる」というのが私の思いといえるかもしれません。

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放送大学愛知学習センターにて。

2019年02月24日 04時42分49秒 | 放送大学

放送大学愛知学習センターの最寄駅は八事駅。

ということで、地下鉄で愛知学習センターに行ってきました。5番出口が便利です。

愛知学習センターは中京大学内にあります。その中京大学では大学院の入試が開催されているようです。

4Fの愛知学習センターには掲示板にクラス会の案内が記載されていました。

3号館5階にいってみると・・・

17年度と18年度のクラス会の案内がありました。

愛知学習センターに所属していて、既に5回目の卒業を確定されている方の話では、クラス会の後は、よく飲み会があったそうです。17年度のクラス会はリーダーの意向も反映され、飲み会はないとのこと。

クラス会に参加して理解したのは、私のように、短期間で生涯学習を完成さようという人は少ないということ。私は、あまりにも短い人生に対し、濃密な生涯学習を完結させるため、通常4年かかる学士の学位取得を1年(日福)や2年(産能、放送)、場合によっては半年(機構)で成し遂げるよう猛ダッシュで学びに区切りをつけています。あるいは、2つ、3つの学位を同時に取得するといった並行した学習も続けています。その学位取得の合間を縫って、資格を取得したりもしています。

しかし、クラス会で「再入学者は16単位取得で卒業できるのだから4年次編入を認めればいいのに」と発言したところ、「そんなことになったら、在籍期間が短くなるじゃないですか。3年次編入で再入学の場合、1度入学金を払えば最長6年間も学生ができるのに、短期間で6コース全部コンプリートしたら、選科履修生で、毎年入学金取られてしまう・・・」と複数の方々から否定的な反応が・・・

なるほど、放送大学の全コースの学位記を早急に揃えたい人って、私が思っているほどいないのですね。先の発言をされた方は、68歳で、もう現役を引退された方。もう、残っているのが新たにできた情報コースしかなく、そこで学位を取得すると、全科履修生にはなれず、選科履修生で毎年学籍を更新しなければなりません。サークル活動や、ゼミにも参加されており、放送大学を生活の一部として活用されている、本当に意味で、放送大学が設立がされた趣旨に合致された方。

そういう方と意見を交えると、私の生涯学習の方が「異端」に思えてきます。リカレント教育の必要性はわかるものの、促成栽培的に学位を求めなければならないのか?でも、西洋的な「生涯学習によって得たスキルによって、仕事の幅を広げる」といった考え方からすれば、必要な学位を、必要なだけ、可能な限り早い段階で揃えることが重要なはず。定年間際で、仕事の為に学位を取得しても活用できないし。

日本の消費型とは違い、投資型の生涯学習は、学位や資格に投下したコストに見合っただけのリターンが必要で、それが生涯学習に取り組むモチベーションになるのですが、今回のクラス会のミーティング(≒雑談)の中では、全くと言っていいほど、そんな空気は流れませんでした・・・

人それぞれ、学びに対する目的意識は違います。ただ、その違いを認めていくことこそが、更なる生涯学習社会の発展に繋がっていくと確信しております。

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