マンション管理士日記

地域を守る:マンションと地域の融合

敬神崇祖

2007年05月27日 | 喜働

昨年、亡父の十三回忌の法要を自宅でいとなみ、父の妹弟(叔母叔父)にも来てもらいました。

その際に、「自分が、毎月墓参りをするようになるとは、自身でさえ全く考えもしなかった」 ということを叔母に話しました。

「一家というのはね、誰かがそうなるようになってるわ。」 この叔母の返答に続く言葉が忘れられません。

「順番に、誰かが信心するようになるのよ。」

「信心! それは僕には無かろう。」

「いや、祖先を大切に考えると、信心に向かうのよ。」

父母への感謝、そして毎月の墓参りは、倫理で学んでから実践していることです。 お墓を大切にすることが、『信心』 になるかと問われれば、それは少し違うと答えるでしょう。 倫理は宗教ではありませんから。

しかし、叔母は 『信心だ』 と言います。 祖先を大切にすることは即ち信心になる、と。 信心が宗教に結びつくか、などとという理屈ではないのです。 叔母の直感でしょう。 私は、叔母の直感が、ことごとく当たってきたのを、幼少時から見てきたので、抗い難いところです。

『敬神崇祖』 という言葉が倫理の教えに出てきます。 「親をとおして己の生命の根元にさかのぼれば、そこに神仏にかえる。」 「即宗教に入ることが、真の人となるゆえんは、ここにある」、と。

理屈ではなく、実践を続けていこうと思います。 信心なのか、宗教に向かうのかは、私にも判りません。

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