各高校では新年度の総会や理事会が開かれ、席上、17年度の進路実績も報告されています。 日頃より、生徒の意向や適性を考えて指導して下さる教職員の方々に深く感謝申し上げます。
進路指導と生活指導には密接な関連があります。 そう考えています。
ところが、「自由」 とか 「個性の尊重」 などという言葉に教師が束縛され、満足に指導が出来ていません。 ならぬものはならぬ、と教えられる最後の機会が高校生です。 決めごとに理屈は無いのです。
禁止している携帯電話を学校に持ってきて使用する生徒に対して体罰と正座を課した教師が処分を受けた…
この記事を報じた新聞は、何度も読み返しました。 書き間違えか読み誤りかと思ったからです。 そして、間違いでも誤りでもなかったのです。 教育基本法をどうするとかいうレベルではありません。 明らかに、この国は病んでいます。
親は子どもの 「良き理解者」 となってしまい、規範や道徳、倫理観を教えることは出来ません。 教師は訴えられるのを恐れて厳しい指導が出来ません。
給食費を払っているのに 「いただきます」 と唱和することは間違っている。 そう怒鳴り込んでいった保護者と、「もっともです」 と受け止めて 「いただきます」 と言うのを止めた学校と…
悪質な冗談としか思えませんね。 しかし、最近、関西で起きた実話です。
「自由と責任」 の誇大解釈で、「自分勝手」 が 「個性」 と混同されてしまいました。 子ども達は、家庭で徹底的に甘やかされ、学校で適切に指導されないまま成長していきます。 当然な結果として、無気力で自分勝手な人間が増え続けています。
尊重すべき個性などあるのか。 先ず、人間としての道(倫理など)を身に付けた上で論ずるべき課題ではないのでしょうか。
PTAの活動をしてきて、今、感じていることです。