12月23日(日)、宜野湾海浜公園の野外劇場は、3000人の人たちで埋め尽くされた。「うまんちゅ大行動」、オスプレイ配備や相次ぐ米兵の暴行事件に抗議する今年最後の取り組みだ。
沖縄には珍しい寒波が来襲、海に面した海浜公園には強い風が吹き付け、寒い一日だったが、集会と普天間基地までのサウンドデモは盛り上がった。
集会前のコンサートで歌うでいご娘。彼女らの歌う「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー」では、いつも大山ゲート前で抗議行動を続ける「さらばんじぬ会」のメンバーらが前に出て、一緒に歌った。
この歌は、でいご娘の父親、比嘉恒敏さんの遺作。恒敏さんは、最初の結婚で生まれた長男と父を学童疎開船「対馬丸」で失い、翌年3月、出稼ぎ先の大阪で大空襲に遭い、妻と二男を目の前で防空壕ごと押しつぶされた。
その後、恒敏さんは歌三線を子どもたちに教え始めた。ところが、73年、宜野湾市で父母らの乗った車が米兵の飲酒運転車両と衝突。母は即死、恒敏さんも4日後に亡くなってしまった。
この歌は、その後、恒敏さんが作ったものを、でいご娘たちが歌い続けている。沖縄の人たちの怒りと無念さが込められている歌だ。
そして、でいご娘の歌に合わせて、カチャーシーも。
伊江島の「土地を守る会」の人たちも参加。来年、3月2日、伊江島の米軍基地前で抗議集会をするという呼びかけに大きな拍手がわき上がった。ぜひ、参加したいものだ。
そして、普天間基地までのサウンドデモが始まった。途中で1歳の孫娘を連れた息子夫婦と会い、親子3代で一緒に歩く。チャカポコチャカポコと鳴り響く陽気なリズムに、孫娘も手を振り続けていた。
大山ゲート前の広場で総括集会。この広場は、米軍への提供施設だが、「友好園」と名付けて県民に開放されている。
この日の大行動は、大勢の人たちが集まったが、ゲート前での抗議行動は提起されなかったのが残念だ。ゲート前には、機動隊の大型バスが10台以上配置されていた。
機動隊の大型バスの間には鉄柵が置かれ、間を抜けられないようにテープが貼られていた。警察は、集会の後、基地封鎖に向かう直接行動に過敏なまでに備えていたようだ。
解散後、30名ほどの人たちがゲートまで行き、フェンスに赤いリボンなどを結び付けて抗議した。
フェンスの中から、米兵らがカメラを向ける。後ろには、大勢の日本人ガードマンらが待機していた。