(高江では、午前5時から活動開始。周囲はまだ真っ暗だ。)
30日(火)夕刻、高江に向かい、現地で1泊。翌朝、午前4時半に起き、午前5時には20人ほどのメンバーが配置についた。防衛局の作業員らが工事現場に入るのを阻止するため、N4ゲート前後4Kmほどの区間に分散して、通過車両を監視する。
ところが、午前8時前、N4の工事現場で数人の作業員が工事を始めているのを確認する。ほぼ完ぺきな監 . . . 本文を読む
10月30日(火)、今日も早朝6時に大山ゲートに着いた。抗議行動の様子は後述するとして、今日は、ビッグニュースから先に書こう。
有名な沖縄民謡グループ「でいご娘」の長女・島袋艶子さんが、抗議行動を支援するために来られ、「艦砲ぬ喰ぇぬくさー」」(艦砲射撃の喰い残し)を熱唱されたのだ。この唄は、飲酒運転の米兵の車に轢かれ命を無くされたお父さん・比嘉恒敏さんの作詞・作曲。
艶子さんのお父さ . . . 本文を読む
今朝(29日・月)も、午前6時、大山ゲートに着いた。
しばらくすると、国道58号線からゲートに続く道にTさんの車が現れた。横断歩道を渡ったところの車線中央でそのまま停車。基地に入る米兵たちの車をストップさせはじめた。大勢の警察官らが、窓を叩き、Tさんを説得しようとするが、Tさんは全く動じない。
そうなのだ、「琉球は怒っている」のだ。「日本」にはペケ印。基地機能を少しでもマヒさ . . . 本文を読む
10月1日以後、毎日、つれあいと2人で、大山ゲート、野蒿ゲートに、オスプレイ撤去、米兵による女性暴行事件抗議の行動に通い続けている。
つれあいは、93歳の母親の介護の傍ら、毎日、新しいプラカードを作り続けている。ゲート前では同じ場所に立っているので、米兵たちも、「あの白髪のバアサン、今日はこんなプラカードか」と気がついているだろう。
以下、彼女の作ったプラカード一覧。
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10月26日(金)、今朝も午前5時に起き、6時過ぎに大山ゲートに着いた。今日は35人ほどの参加。もう1月以上が経過したが、みんなまだまだ元気だ。
時々、米軍の大きな軍用トラックがやってくる。そんなときは、「マリーンズ・アウト」という声も大きくなるが、運転席が高く、なかなか声が届かない。
今日は、腹が立った話が2つ。
まず、運転しながら、なんとオスプレイの模型を我々に見せび . . . 本文を読む
10月25日(木)、識名トンネル監査請求の陳述も終わって、さすがにほっとした。今朝も、午前5時に起床、大山ゲートに向かった。オスプレイ配備阻止に向けたゲート前での実力闘争が始まったのは9月26日だったから、ちょうど1ケ月が経ったことになる。まさに激動の1ケ月だった。
大山ゲート前には午前6時過ぎに着いた。今日も30人ほどの人々が早朝から集まっている。時々、車道に出て、横断幕を拡げるなどの . . . 本文を読む
(24日、住民監査請求の陳述の場が持たれた。)
10月24日(水)も、午前5時半に家を出て普天間基地の大山ゲートに向かった。午前6時に大山ゲート着。まだ薄暗いが、もう米兵たちの車が続いている。
今日も、Tさんが米軍の車を止めようと、基地に続く道路でノロノロ運転をされていた。私も経験があるが、大勢の警察官が窓をドンドンと叩く中、一人で車をノロノロと走らせるのは、かなりの気力がい . . . 本文を読む
10月23日(火)、9月26日以来、普天間基地のゲートでの抗議行動を毎日のように続けてきたが、少しお休みをもらって、今日は久しぶりに高江に行った。沖縄平和市民連絡会の高江便として車を出したのだ。お客さんは3人、一人でも多くの人を高江に運びたい。
今日は、午前6時に自宅を出発、午前8時過ぎに高江についた。N4ゲートでは、30人ほどが集まり、ミーティングの真っ最中だった。なんと、午前6時過ぎ . . . 本文を読む
(午前6時過ぎはまだ暗く、行燈が役に立つ)
10月22日(月)、オスプレイが配備されてから3週目に入った。早朝から大山ゲートに向かう。今日は、30人ほどの参加だった。
時々、横断幕を持ったまま車道に出て、米兵らの車を止める。米兵らは、よほど厳重に注意されているのか、警察官が来て道路が開放されるまで、じっと車の中で待っている。
午前9時前には野蒿ゲートにま . . . 本文を読む
19日(金)、野篙ゲート前で抗議行動をしていると、午前10時頃、2機のオスプレイが飛び立ってきた。あー、風船があればと地団太を踏む。
夕刻のニュースでは、2機は、航空ショーに参加するため、韓国の米軍基地に向かったという。沖縄に配備されたオスプレイの、初めての海外派遣だ。米軍機にとっては、国境などないのが腹立たしい。
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(10月19日(金)、キャンプフォスターの在沖米軍4軍司令部ま前での抗議行動)
10月19日(金)も、午前6時、まだ薄暗いうちに大山ゲートへ。通勤してくる米兵たちに抗議を続ける。今日は35人ほどの参加だった。
今日は、久しぶりに何人かが車道に出て米兵らの車を止めた。
そして、午前野蒿ゲートへ。ここでも米兵らに抗議行動を続ける。
午前10時頃 . . . 本文を読む
10月16日(火)も、午前5時起床、6時過ぎには大山ゲートに着いた。まだまだ暗いが、今日は、昨日よりも多く、30数名が参加している。通りすぎる米兵たちの車に、「マリーンズ アウト!」、「マリーンズ ゴー ホーム」と声をかける。
それでも、もう12日間も同じ場所に立っていると、米兵たちはいつもほぼ同じ時刻に通り過ぎるため、「ああ、またあいつが来た」という感じになってくる。青と白のドハデなス . . . 本文を読む
10月15日(月)、今日も早朝から大山ゲートに向かった。9月末から始まったゲート前での抗議行動も、すでに3週間。10月半ばになり、午前6時はまだ真っ暗だ。それでも、今日も30名ほどの人たちが抗議行動に参加していた。
大山ゲートでの抗議行動を終え、野蒿ゲートの平和市民連絡会の行動に向かう。途中、英文のポスターが電柱等に貼られていた。「米軍は帰れ!」というもので、なかなかいい。
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12日(金)も、早朝から普天間基地大山ゲートに向かった。今日も、30人ほどの人たちが米兵らの車に対して、抗議行動を続けている。久しぶりに、車道に飛び出しての抗議行動も。
抗議行動の後、芝生広場でのミーティング。来週も、この抗議行動を続けようということとなった。オスプレイ配備強行から10日以上経過したが、人々の怒りは収まらない。
ミーティングの後、海勢頭豊さんのミニコンサート。 . . . 本文を読む
10月11日(木)、今日も早朝から大山ゲートに向かう。今日も30人以上の人たちが集まっていた。米兵らの車両にむかい、懸命の抗議行動を続ける。
ゲート前には、今も、警察の車両が並び、ものものしい警備が続いている。ここで皆で座り込み、ゲートを完全に封鎖した、あの28日から30日の闘いが懐かしい。
ゲート横に一人座り込み、ハンドマイクで米兵らに語り続けるMさん(72歳)。 . . . 本文を読む