(カルバヨグからマニラへのフライト) 14日、JAPSAMの学生らと一緒に早朝の飛行機でマニラに飛び、午後のフライトで関空に戻りました。マニラでは、ゴリさんやパキットとも久しぶりの再会。二人とも元気そうでした。
今回は、いろんなことがあったサマール行ですが、帰途、カルバヨグの空港でもトラブルが発生、一瞬、あせりましたが、なんとか全員、飛行機に乗れてほっとしました。また、マニラで再会したHさん . . . 本文を読む
(お別れ会の冒頭、学生たちは一人ひとりお礼の挨拶をした。)
13日の夕刻からはソルソゴンへ。今日はJAPSAMの活動も最終日、ナナイさんの庭でお別れ会だ。 ミラーボールが輝く中、陽気な音楽が流され、学生たちは村の若者たちと遅くまで踊り続けた。
今回のJAPSAMの活動は、サマールに着くまでにいくつかのトラブルがあったが、それも今後に向けたいい教訓になるだろう。半分以上は初めてのメンバ . . . 本文を読む
(京都サマール友好協会が1995年から運営しているデイケアーセンター)
昨日は名護の市会議員選挙の開票日。 結果が気になって、深夜、ごそごそと起きだしてインターネットをつなぐ。 やった、やった! 稲嶺市長を支える議員らが過半数を制した。これで、辺野古への基地移設を阻止する体制はますます整った。次は、11月の知事選だ。 一安心して、また眠りにつく。 早いもので、今回のサマール滞在 . . . 本文を読む
(出発前にレイの家の前で)
7日から一緒だったHさんとFさんは、11日午後のバスでレイテのタクロバンに発たれました。レイテで大学を訪問し、時間があれば、近くの戦跡を訪ねてみるとのこと。14日にマニラの空港での再会を約束してお別れの握手。短い滞在だったが、喜んでもらえただろうか?
夜は、ソルソゴンへ。学生たちは、明日のお別れ会に備えて、ダンスの練習に余念がありませんでした。若い彼女らのエネ . . . 本文を読む
10年少し前に出版した『幸せの島・サマール』の表紙は、カルバヨグ北部の小さな漁村・バンティアンの子どもたちの写真だ。 この写真を撮ったのは1996年。当時、私は、カルバヨグの市役所で働き始めたばかりだった。休みの日にはよくこの村に来て、浜辺で、漁師の舟を覗き込んだり、皆とお酒を飲んで過ごすことが多かった。浜ではいつも大勢の子どもたちが遊んでいて、カメラを向けると、皆、大騒ぎでいろんなポーズをとっ . . . 本文を読む
(フィエスタの食べ歩き。まず、1軒目) 9月7日、夜の便でマニラに到着。いつものペンション・ナティビダードに泊る。 8日は朝の3時起き。6時にマニラ空港を発ち、カルバヨグに着いた。 町はフィエスタの飾り付けで賑やか。今年は市役所前の公園にメリーゴーランドやお化け屋敷が出ている。 Hさん、Fさんら、Nさんらを、「謝罪の碑」やカライマンのバイオガス施設に案内した後、JAPSAMの学生ら . . . 本文を読む
(アブチラガマの入り口で ガイドの安仁屋さん) 3日(金)の午後、「辻」を歩いた後、南城市の糸数アブチラガマに向かった。 ここは、長さが270mもある大きなガマ(自然洞窟)。当初は糸数集落の避難指定壕だったが、1945年2月、第32軍の「球」部隊の地下陣地として整備された。ガマの中には2階建の家も作られ、発電機を動かして電灯も灯されていたという。3月末には、200名余りの糸数集落の住民らもこのガ . . . 本文を読む