(那覇市の中央部を占める那覇軍港(上図のピンク部分)。こんなところでオスプレイを組み立てるのか!)
5月13日のブログでも書いたが、アメリカ政府は、普天間基地に配備するオスプレイを7月に那覇軍港に船で輸送し、同軍港内で機体を組立てる予定だという。県民の反対の強いオスプレイを、あろうことか、まず那覇の市街地のど真ん中(県庁からわずか1Km!)に運び込み、組立や試験飛行をするというのだから、もうこれは県民への露骨な挑戦としか言いようがない。
オスプレイ7月軍港へ 組み立て普天間移動(沖縄タイムス2012.5.12)
那覇空港から車で那覇の市街地に入っていくと、左手に那覇軍港(正式には「那覇港湾施設」)が広がる。陸・海・空軍、海兵隊の貨物等の積卸しに使用されており、ベトナム戦争当時は、種々の軍艦や原子力潜水艦等の出入りが激しかったという。しかし、今では、艦船の出入りも少なく、ほとんど「遊休地」状態になっている。(そんな実態が明らかになるのを恐れたのか、米軍は、2003年以降、入港数などのデーターを公開しなくなった。)
那覇軍港は、4月27日に発表された日米両政府の在日米軍再編見直し共同文書では、3段階で返還する嘉手納基地以南の5施設の一つにあげられている。しかし、「それは結構なことだ」というわけにはいかない。那覇軍港は、すでに1974年に、移設を条件に返還合意されており、その後、1996年のSACO合意でも、浦添埠頭地区への移設を条件として那覇軍港の「返還を加速化するため最大限の努力を継続する」ことが合意されているのだ。
最初に返還が合意されてからすでに38年、「最大限の努力」どころか、事態は全く進展していない。そもそも、「県内に代替施設完成後、返還」など、実際には、「返還」とは言えない。
そんな那覇軍港でオスプレイを組み立て、危険な試験飛行をするというのだから、とても許せない。
「日本政府内には『(オスプレイの)組立直後の飛行は不都合が起きやすく、安全性が確保できるか疑問だ』(防衛省幹部)との懸念も出ている。」(朝日新聞 2012.5.11)
(那覇軍港。現在ではほとんど使われておらず、ガランとしている。)