カラダよろこぶろぐ

山の記録と日々の話

イタリア・世界遺産を訪ねる旅【ポンペイ・ローマ編】

2011-02-25 | タビのこと

【1日目:出発~ミラノ編
【2日目:ヴェネツィア編
【3日目:サンジミニャーノ編
【3日目:シエナ編
【4日目:フィレンツェ編
【5日目:アマルフィ編


さて旅も終板です。



この日も空はどんより曇り空。
まずはホテルからバスに揺られ約50分、めざす世界遺産は・・・



ナポリ、とくれば「ポンペイ遺跡」

約1900年前、ベスビオ火山の噴火により、一瞬にして火山灰に埋没した古代都市、
「ポンペイ」にタイムスリップです。



昨日のオモシロガイドさんに連れられ中へと入ります。
ポンペイはローマ帝国時代栄えた都市で、劇場、神殿、公衆浴場、商店、両替所などがあり、
水道や舗装道路なども整備され、ローマ人の保養地として別荘もできた場所。



遺跡はとても広いので、ガイドがいないと迷子になりそうです。
ここは「ゼウス神殿」跡?後ろの雲に隠れている山が「ヴェスヴィオ火山」です。

この爆発での死者は約2000人から1万人以上とされています。

街はもうないのに山はまだそこにある、人間の小ささを感じる光景です。



この遺跡が世界遺産となった理由のひとつが、灰の下に眠った当時の人々の生活を、
そのままの状態で保存できていたから。
西暦79年に埋もれてから約1630年間眠り続け、今から約300年前に発掘されたそうです。

本格的に発掘されだしたのは1748年から。当初はまだ宝探しの域を出ない状態だったそうです。



発生した火砕流の速度は時速100km以上、市民は到底逃げることはできず、
一瞬のうちに全員が生き埋めになった。

後に発掘されたとき、遺体部分だけが腐ってなくなり、火山灰の中に空洞ができていた。
考古学者たちはここに石膏を流し込み、逃げまどうポンペイ市民が死んだときの形を再現した・・・それがこの石膏。


恐怖の表情がはっきり分かるもの、母親が子供を覆い隠したもの、
妊婦さんはみな子を守るためにうつ伏せであったこと・・・それらが生々しく再現されていました。

そしてなにより興味深いのは、1900年も昔の都市でありながら、
現代人となんら変わることのない生活をしていたであろう様子が残っていること。






これは石臼とピザの釜、今と同じですね。



玄関前の床に犬のモザイク画。(レプリカらしい)
足元に「猛犬注意」という警告文が書かれている。



 
ここはフィットネスクラブ?公衆浴場?
大理石でできた豪華な鉢は水呑場であったらしい・・・

歴史は(も)とても苦手な私ですが、日本の弥生時代にイタリアではスパがあったほどの違いがあるとは。



そして結構歩いて最後に見たのが「秘儀荘」
大小60の部屋からなる大邸宅、大広間の壁一面に描かれた壁画。
この”赤”がいわゆる「ポンペイ・レッド」現在の技術をもってしてもこの色は再現できないそうです。



こうして約2時間ほどタイムスリップしましたが、ずっと外なので結構寒くなりました。
日本食好きなガイドさんに皆からお礼の差し入れをし、これから長い移動が始まります。

    


今日はここからバスで約4時間走ってローマ市内へ。
楽しみにしていた今回最初で最後の自由行動の時間です。

 
途中SAに立寄りながらローマへと移動します。

バスで移動中に今後の行動予定を聞かされます。
すると、勝手に午後は自由行動だと思っていたけれど、自由行動時間は早くて15:00頃から、
各自夕食を食べて再集合が20:00とのこと。

行きたいところはローマといえばもちろんあそこ
翌日の団体見学に「トレヴィの泉」「スペイン広場」はあるけれど、コロッセオやフォロ・ロマーノははいっていないのです。

今日のスケジュールはこの後、自由行動組みとオプショナル組みに分かれます。
で、私たちは自由行動組み。


連日同じメンバーで旅をしていれば、自然と皆が仲良しになっているもの。
そんな私たちにポンペイ遺跡見学終了後、20代前半の女子3人組がやってきました。
「自由行動、どうするんですか?」
「あそことあそこに行くつもりなんだけど・・・」
「私たちも連れてってくれませんか?3人だと不安で・・・
「ん・・・いいけど英語もイタリア語もしゃべれないよ
「大丈夫です!私たちもそうですから

そんな私たちの計画を聞いていた他の新婚カップルやら単独男性やらが集まってきて、
私のプランに乗っかるというではないですか!さらになんとなく・・・私がリーダー的な立場に?

どんどん話が大きくなって・・・ヤバイです・・・アタシは結構な事件メーカー&方向音痴なのに。

移動中のバスの中でそんな話題で盛り上がってしまい、責任の重さを感じた私は、
添乗員さん(このコース10回以上のベテラン)に解散場所からの行き方を細かく教わりました。



 
(左:サンタンジェロ城?車窓より)
バスは3時間ほどでローマ市内に入りました。
が・・・恐れていた渋滞に巻き込まれます。
この後、昼食、その後ローマ三越まで連れて行かれ、今後の説明を受け、解散とのスケジュール。
どんどん自由時間がなくなります・・・


昼食場所に到着したものの、ゆっくり食べる気分にはなれません。
昨日までのツアー、いつも見所は夕方、そして今日もまた日没が近づいているではないですか。
そして最大の不機嫌ポイントは、見たい場所の閉館時間が16:30ということ!
なんとしてもその時間までに行かなければ、ローマにいるのに見れない!


私のイライラもほぼMAX でもみんながいるから一人で飛び出すわけにも行かない。
もちろん一人飛び出したところで右も左もわからず、言葉もわからず。
タクシーを使っても渋滞にハマるだけ。
解散の合図と同時になぜかイタリア経験もない、ガイド本すら予習の時間なく現地で見た私が、
みんなを引き連れ土砂降りの雨の中、タバッキで片道チケットを買いメトロのレプップリカ駅ヘ。
総勢10名、スタートできたのが16:00、目的を一つに絞ることに計画変更しました。


ローマの地下鉄はA線とB線しかないので簡単なのですが、目指すチルコマッシモ駅に行くにはテルミニ駅で乗り換えます。


 
まずはA線。こちらは比較的治安の良い線とのことでしたが、ホームがとても暗い
日本はいつも電気を使いすぎでエコじゃない、と思う私ですが、この暗さは犯罪を誘発するって・・・

私以外はみんな若い20代の女子なので、怖くて固まっていました。



テルミニ駅でB線に乗り換えます。
新宿と大差ないほどの人の群れが行き交います。
とにかく急がねば!ただひたすた歩いたこともない駅をB線のホーム目指して突進します。


 
そして意外と遠かった、B線のホームへ降りました。
入線してきた電車は・・・落書きだらけ。しかも混雑していて・・・一瞬ひるみます



でも行くっきゃない、と電車に乗り込み、添乗員さんに言われたとおりドア付近は避け、
自分のバックに手をおいて、女性陣はみんな輪になり緊張のままじっと到着を待ちます。
チルコマッシモ駅は3つ目、時間にしたら5,6分なんだろうけど長かった・・・

無事駅に到着。ようやく地上へ出てみんな口々に、
「ふぇー、怖かったねーーーもう二度と乗りたくないね


そこへこの”怖い地下鉄体験”にとどめを刺す報告がダンナの口から出たのだった。


”B線の車内に入った時、混雑していたのでドア付近のつり革につかまり、
ちょっと車内を見わたしていた・・・
乗車してから1分も立たないうちに、身体に違和感を感じたので下を見ると!
なんと斜め掛けして閉めていたはずのBAGのファスナーが開けられ、バックの中に4本の手が伸びていた”

「ええええ~~ なんですかソレ コワッ
みんな怖さを思い出して、一瞬鳥肌



「それで!何か捕られたんですか
「いや、おせんべいとティッシュしか入っていないから・・・」
「よかったですねーーー・・・でもホントに怖かったもんね地下鉄・・・」


スリやジプシーに気をつけろ、とツアー開始から散々言われていたので、
パスポートや現金は腹巻してたので(笑)大丈夫でした。
まさか本当にあるとは!と同行していたみんなを驚かせたのでした。



 
自由時間開始が16:00になったために、諦めたフォロ・ロマーノとコロッセオ。
パラティーニの丘の向こうに見えている、多分フォロ・ロマーノらしい巨大な建築物を横目で見ながら早足で進みます。
添乗員さんに教わった通りに・・・どうやら迷わずスムーズにつけそうですが、時間はあと8分・・・



これだ!「サンタ・マリア・イン・コスメディン教会」間違いない!
この信号を渡れば・・・でも今の時間はジャスト16:30 早く早くーー
と、駆け足で入口に何とかたどり着いたけれど・・・


入口の係りの人に「今日はもう閉館だから明日来て」と冷たく断られた。
必死の思いでここまで来た私たち、あっさり引き返すわけにも行かない。

「お願いします!明日はもう日本に帰らなきゃいけないの!来れないの!」
「いや、だめだ、閉館だ」
「お願いお願いお願い  !!!」
と、多分通じていないであろう英語とイタリア語ミックスで押し問答。

そうだ この若い女子たちを前に出そう!そして女子力でお願いするのだ!
と私は後ろに下がりさらに頼み込むと・・・

「仕方ない、入っていいよ。ただし男子だけ」
「は~~~~~~っ??なんで?」

・・・というのは彼のジョークだった。みんな入っていいよ、と通してくれた。
作戦大成功?(笑)ありがとう、本当にありがとう!と中に入れてもらったけど、薄暗い教会内、
どっちに行けばソレがあるのか解らない。


行き止まりの部屋へ着くともう一人係員がいた。すると「今日はもう終わったから出て行ってくれ」と言う。
へ?ここまできて何を!必死で頼み込むも今度は頑固な人だった。

迷惑そうな顔で私たちの背中を押す彼、出口のほう追いやられた私たち。
こんなに怖い思いをしてここまできたのに、でもきまりだから仕方ないのか・・Mamma mia

一瞬諦めかけたその時だった、ドアの向こうから教会入口にいた彼がやってきて・・・





「通してやれよ




グラツィエグラツィエグラツィエ~
ちょっと頭部が寂しい彼がブルース・ウィリスに見えた瞬間だった
みんな「やった」と大喜びで・・・






「真実の口」に辿り付く事ができたのです。




(外から見るとこんな感じ)
閉館時間を過ぎていたので急いで一人一枚ずつ写真を撮らせてもらい終了。
手を取り合って喜びを分かち合いました


こうしてなんとか目的の一つを果たすことが出来た自由行動チーム。
人って不思議、名前も生い立ちも知らないただ6日間一緒にツアーを廻ってきただけの仲間なのに、
数時間前までは一緒に歩くなんて予想もしていなかったのに、このチームワークのよさ。

「なんだろう、このものすごい達成感


そう言って喜んでくれた彼女たちの笑顔を見て、ほっと胸を撫で下ろした私でありました。
今回ばかりは神様が味方してくれたね・・・この方向音痴&事件メーカーの私に。
私自身が途中「間に合わない、ダメだ・・・」と思っていたのはここだけの話





その後コロッセオまで歩き、そこからはみなそれぞれ自由行動となりました。
お互い無事に集合場所まで戻ろうね、と



(これはなに?)
でも歩いたこともない場所に夜「はい、自由時間です」とほおり出されても土地勘がないから無理。
しかも日本と違って街が暗いので、ガイドブックの地図が見えない(老眼?)
ここでもヘッデンが必要だったかも・・・



(これはヴィットリアーノ?)
歩いてローマ三越まで戻りますが、もう変な緊張感と達成感で疲れちゃうし、雨もまた降り出したし・・・この暗さで観光なんてもういいや・・・
ブランド物の買い物の目的もないのでスーパーによったり、ブラブラしながら集合場所のマックの前へ。




夕飯を食べて集合、と言われていたけれど、昼食を食べ終わったのが15:30過ぎていたのでみんなお腹が空かず、
集合時間より早くマックについて結局みんなで自由行動の報告をし、お茶して終わりとなりました。
私たちはスーパーマーケットでワインやビールを買いこみ集合しました。(ホテル用)


結局、ローマの古代遺跡を満喫することも、石畳の路地裏を歩くことも、
バールでローマっ子気分を味わうこともできず、
よく雑誌で見る色とりどりの野菜や果物を売っているメルカートにも行けず、
市内から1時間も離れたホテルへ連れて行かれて終わった初・ローマの夜。
これが安いツアーの最大の欠点ですね・・・



なんかすごい長い1日だったなぁ ヘンな充実感?



もう明日は帰国です・・・