Mr.Dashのぶろぐ館

奈良・大阪・日本アルプスの山々が大好きな、Mr.Dashのブログです。

2020年11月22日(日) [台高]馬ノ鞍峰、細~いトラバース道から急登の尾根を歩く!

2020年11月25日 | 山登りの記録
■メイン写真
一筋に、美しく、やわらかな雰囲気の明神滝


■今回のコース
三之公林道終点(登山口)→明神滝→カクシ平→三之公御所跡→支尾根出合→馬ノ鞍峰→
(往路を戻る)→三之公林道終点

台高山脈の鋭峰・馬ノ鞍峰にアプローチする途中には、南北朝時代(後南朝)の
南朝勢の痕跡が残っている。こんな山中にと、にわかに信じられないが、願いかなわず
この地で果てた尊義王に思いをはせながら歩いてみた。
ルートは木製の桟橋が連発する細いトラバース道から、急登の尾根へと、なかなか
歩き甲斐がある。



三之公林道終点が登山口だ。山の神があり、沢の対岸には朽ちかけの休憩所がある。
「三之公」とは、後述する尊義王、自天王、忠義王の3人の公家が住んだ場所との由来だ。



右に明神谷を見下ろしながらのトラバース道には、木製の桟橋が連続する。
夏季はヤマビルが多いが、この時期ならもう大丈夫。



まだ紅葉が残っていてくれた。



秋は落ち葉が道に積もり、木の根や岩が隠れてしまう。慎重な足さばきが求められる。
桟橋は、時折、弱いものも見つかるので、そこは一人ずつ渡るなどの工夫が必要。



コケも美しい。んー、シッポゴケかな?



明神滝にはぜひ寄らねばならない。落差30mとも40mとも言われる直瀑だ。
この日は雲が多かったが、ちょうど太陽が姿を現し、滝壺近くに虹がかかった。

もとのトラバース道に戻って、引き続き上へ上へと歩を進める。



さらに上流にも滝場が続く。以前、「明神谷から馬ノ鞍谷へと沢登り」したことがあるが、本当に美しい渓谷なのだ。



大きなトチノキが現れる。実は、ほとんど見当たらなかった。



3段40mのナメ滝を右下に見ると、すぐにカクシ平入口に着く。
やっと、まとまった平坦地が出てきた。
この奥に眠る、後南朝の尊義王と、播磨の守護大名・赤松氏による嘉吉の乱以降の
赤松家臣たちと尊義王の二人の息子(自天王、忠義王)にまつわる三種の神器の奪い合い
などの歴史話を一席ぶった。
そして、少し早めのランチとした。



三之公御所跡。昭和53年に、川上村文化財第1号として認定された。
こんなところに尊義王は隠れ住み、南朝の復興ならず45歳で病死したのか。
当時、ここにどんな規模の家屋が建ち、何人ほどの家来がいたのか。
普段はもう少し里に下りて暮していたのか、詳しくは分からないだけに、
想像がかき立てられる。
そもそも、尊義王自身、生年も怪しく、出自も後亀山天皇の孫、子、弟の孫など
諸説があるくらいだ。敗軍の将には詳しい史料は残らないのが歴史の常。



ともちゃんはシカの腰骨を見つけたようだ。



時間の関係で尊義王の墓には寄らず、涸れ谷に沿って進む。
やがて右岸のものすごい急斜面が出てくる。
昔は背の低いササで地表が覆われていたが、今は裸地化し、それゆえ雨などで崩れやすい。



標高差で一気に150mほど登ることになる。脚の筋肉が悲鳴を上げるかも?



支尾根に登りつく。北からの風が抜ける。少しほっとするが、ここからの登りも
割にきつい箇所がある。



1073mピークを越え、最後の急登にさしかかる。
ヤセ尾根の箇所もあるし、木の根が網の目のように張り巡らされている狭い隙間に
足を置いて登っていくところも多い。



白鬚岳の鋭いピークが見える。
今西錦司先生が80歳を越えたご老体でお弟子さんに肩を担がれるようにして登り、
通算1,500峰踏破を達成された山で、川上村の最高峰だ。



そして待望の山頂へ。ご参加の皆さんは、大いに充実感、達成感を持たれたと思う。



下山は、日帰り山行であれば往路を戻るしかない。慎重に、慎重に下る。
最後は深い谷あいだ。最後の10分というところで、これまた慎重を期し、ヘッ電を
装着した。真っ暗になって本当に困る前に、こういう経験もしておいたほうがいい。

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