Mr.Dashのぶろぐ館

奈良・大阪・日本アルプスの山々が大好きな、Mr.Dashのブログです。

2018年4月1日(日) [六甲]古寺山からシュラインロードへ。石仏群をめぐる!

2018年04月02日 | 山登りの記録
■メイン写真
シュラインロードには、西国三十三所を模した合計33体と、番外4か所の石仏が点在する。


■今回のコース
神鉄六甲駅→古寺山→(本堂跡)→(石塔)→石鳥居→(三体仏)→(九体仏)→725.9m三角点→
行者堂→ノースロード分岐→ダイヤモンドポイント→水晶山→地獄谷渡渉→花山駅


一般的な六甲山系のイメージって、どんなものだろう。
ドライブウェイが走り、オシャレなデートスポットの山。
明治以降、在留外国人がハイキングルートを開き、日本初のゴルフ場を造った山。
関西ロッククライミング界の先駆けとなった岩山。
こうしてみると六甲は全体的に先取性があり、オシャレな趣がある。

しかし、古寺山からシュラインロードを歩くと、そんな印象とはまったく異なる、
修験道の色彩が濃い廃寺と石仏群の、かつての隆盛を感じさせる静かな世界が待っていた。



神戸電鉄の神鉄六甲駅から、初めは東へ、やがて南へ進み、この池を過ぎたところで
右の細い道に入る。



クルマがびゅんびゅん通過する六甲有料道路のガードをくぐり、いよいよ山道が始まる。
標識は、塩ビパイプを巧妙に加工した凝ったもの。



植林帯を抜け、アカマツ林に変わったら、ほどなく古寺山に着く。
山頂には、大きな「修行岩」と手前に「清盛の涼み岩」が鎮座する。



西へ20~30mのところからは、大池方面の眺めが広がっている。



古寺山の山頂からほんのわずかのところに護摩壇跡があるが、標識がなければ
そうとは分からない。



その南側直下には、かつて寺の本堂が建っていたという平地がある。
もと、ここにあった寺は多聞寺といい、現在は神鉄六甲駅のすぐ北にある。

多聞寺は、孝徳天皇の世(645~654年)、法道(空鉢仙人)が開いたという。
法道は播磨地域で数多くの寺を開いた名僧だ。

その後荒廃するが、858年に、高野山の長善阿舎利が復興。
1180年、平清盛の福原遷都の折、ここが都の鬼門の位置にあたることから厚遇され栄えた
という。しかし、源平合戦で焼かれてしまう。
ずいぶん年月が経つが1462年、ようやく古寺山から現在の場所に移転された。



本堂跡の西側に残る石塔は、いつの頃のものだろうか。
また、誰を祀っているのだろうか。
なお、本堂跡周辺を起点に、裏参道や逢山峡への道など、いろんなルートが残る。



今回はシュラインロードへ続く行者道を下る。林道に合する直前、素朴な野仏をみつけた。



舗装林道に下りて右へ数10m進み、左の笹薮の道に入る。シュラインロードだ。
もともとは、江戸時代中頃に、現在の多聞寺がある唐櫃の集落に住んでいた四鬼家が
唐櫃と神戸沿岸部を結ぶ道として拓いたとされ、北摂からは酒米や農林産物、灘からは
海産物などが牛の背に載せられ運ばれたという。

なお四鬼家は、修験道の開祖・役行者子孫と伝わり、六甲山系における修験道を
守ってきたという。



すぐに石鳥居に着く。シュラインロードの名の由来だ。ここでドライブウェイが横切る。



シュラインロードには、西国三十三所を模した合計33体の観音仏と、番外4か所の石仏が
点在する。これらの石仏は、1825年(文政8年)に夜盗防止、事故者供養、商売繁盛などを
願って設置された。
左の笹薮の踏み跡に入ると、3つの石の祠がある。三体仏といわれるもので、
9番、番外1体、10番の仏さまたちだ。



ドライブウェイを渡って右へ少し行けば、九体仏がみられる。
こちらは1番~8番と、番外1体の計9体が横に並んでいる。
トンネルやドライブウェイの工事で"集団移転"され、ここに並べられたとか。



九体仏の横に、両皇太神宮碑があるが、これの由来はちょっと分からない。



さて、寄り道を終え、ようやくシュラインロードに入る。



丁石のように等間隔ではないが、石仏が点在する。
現在のシュラインロードが通る位置が変わったのか、それとも元々なのか不明だが、
メインの道から少し外れて奥まったところに鎮座している石仏も多く、よほど気をつけて
歩いていないと見逃してしまう観音様もある。



少し高台にある石仏は本当に見つけにくい。



これもシュラインロードから20mくらい外れた稜線上にあるのだが、725.9m四等三角点
ピークにも会いに行った。ちょうど昼時になったので、静かなこの場所でランチとした。



すぐに行者堂に着く。この祠は1804年(文化元年)、唐櫃の庄屋・鍋屋多右衛門が造った。
裏側に四鬼七兵衛の像が彫られている。
どうせ他のハイカーもほとんどいないので、ここでランチにしてもよかったかな。



行者堂には、役行者、不動明王と、行者の従者である前鬼、後鬼の4つの石像が
納められている。江戸時代に修験道がいかに身近に浸透していたかがよくわかる。



アセビやタムシバが満開の道を、かなりウキウキしながら歩く。
舗装道に変わると、山荘がちらほら現れる。



たいていのハイカーは、ここから記念碑台のほうへ歩くのだろうが、今回はまだ
歩き残していた地獄谷西尾根をたどってみようと考えていたので、ノースロードに入る。



ダイヤモンドポイントでしばし展望を楽しみ、水晶山へと続く尾根道に入る。



急坂を下り、登り返したところが「水晶山」と刻んだ石が置いてあるピークだ。
展望はほとんどない。なお、ここは地形図に記載されている710mピークではなく、
720m強の標高だと思われる。



10分弱で、地形図に「水晶山」と記載されている710mピークに着く。
こちらのほうは山名表示板がないので、たまたま会った他のハイカーは
先のピークが地図の「水晶山」だと信じておられた。
確かに、地図を見ずに印を追って歩いているだけだと、気がつく由もない。



枝が互いに癒着し、前衛芸術のようになった面白い木をみつけた。



地獄谷東尾根を眺める。



ゆっくり尾根を下り、地獄谷を渡渉。
あとは大池駅に出てもよいのだが、ほとんど同距離でもあるし、まだ歩いていないと
いうだけで花山駅へ下った。



そうそう、当ルートを歩いている途中で、カタクリの花が2輪咲いているのを
偶然見つけた。なんてラッキーな。


※初心者から楽しめる遊山トレッキングサービスの登山教室は、「ここをクリック」!!

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2018年3月29日(木) 和歌山県... | トップ | 2018年4月4日(水) [鈴鹿]霊... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

山登りの記録」カテゴリの最新記事