
■メイン写真
ケーブル延暦寺駅の展望台から見た、びわ湖大橋、沖島、伊吹山
■今回のコース
比叡山坂本駅→穴太衆頭戸波一族の墓→(無動寺坂)→遠見岩→無動寺明王堂→ケーブル延暦寺駅→
智証大師廟→大比叡→ガーデンミュージアム前→スキー場跡→ケーブルひえい駅→
千草忠顕卿戦死之地碑→水飲対陣跡→(梅谷)→三宅八幡駅
比叡山の無動寺道を歩いてきた。
延暦寺はあまりに広大で、根本中堂や阿弥陀堂あたりの中心部はよく足を向けたり、
バスが通じている横川中堂は、観光客も多いもの。しかし、ケーブルの駅からそんなに
離れていないのに、意外に無動寺明王堂へはご無沙汰してしまいがちだ。
スタートは湖西線の比叡山坂本駅。
まずは日枝大社へ続く参道を行く。穴太衆が積んだ石垣の道だ。
穴太衆頭だった戸波一族の墓の道標が立つ辻で右折、無動寺坂道に入る。
しばらくすると車止めがある。ほどなく林道も終わり、古い参道となる。
不動明王の小祠。石段の道が、いい風情を醸し出す。
無動寺坂は基本、トラバース道。唯一、谷側が崩壊しているポイントには鎖が
固定されている。見た目ほどは危険ではない。
遠見岩から琵琶湖方面の眺めを楽しむ。
琵琶湖では、なにやら放水中。近くで遊覧船が停止していた。何かのイベントか?
大きなモミが現れるようになる。
一度、谷筋にソフトランディングし、木橋を渡ると、いよいよ無動寺への登りだ。
荒れた竹林、崩れた古い石垣をみながら獣除け柵を開けると、無動寺の境内だ。
まずは玉照院の前を通る。中には入れない。
雪がかかったサザンカの花。ええなぁ。
明王院に到着。山号は比叡山。延暦寺五大堂の一つで千日回峰行の拠点だ。
(延暦寺五大堂とは、根本中堂、釈迦堂、横川中堂、無動寺明王堂、飯室谷不動堂を指す)
お堂で読経が始まり、こちらも静かに退散。
ケーブルカーの延暦寺駅に着く。
駅舎は登録有形文化財。ケーフル路線は日本最長の2,025m。
駅舎の向かいに、小鳥の餌場が設けてあり、ヤマガラがしきりに餌をねだる。
駅舎の屋上の展望台から、ちょうど上がってきた車輛をパチリ。
展望台からの眺めは特上。北には比良山系の蓬莱山と打見山。
東側、三上山(近江富士)の向こうには鈴鹿山系の雨乞岳、御在所岳、鎌ヶ岳。
大津市街が眼下に見え、近江大橋、湖南アルプス方面が見える。
さて、最高峰を目指そう。歴代のお坊さんの墓(卵塔)が並ぶ中を登っていく。
ひときわ立派な墓は、智証大師廟。
智証大師は、唐に渡って修行した高僧・円珍のこと。
急に雪が深くなった。積雪は5cmくらい。
幸い、凍りついていなかったのでアイゼンは不要だった。
このあと、向こうから大人数のパーティとすれ違ったら、その中にウチの常連のお客様の
顔が。あらあらビックリ。
NTT鉄塔跡を抜けていく。
比叡山の最高峰・大比叡(おおびえ/おおひえ)に到着。
標高848mだから、エベレストと比べるとちょうど8,000m違う(笑)。
山頂には延暦寺に関連するものは何もなく、樹木に囲まれて展望もない。
三角点だけが置かれた、なんとも地味なピークである。
下山は京都側へ。
ガーデンミュージアム前の大駐車場から、またまた大パノラマを楽しむ。
今度は天王山、男山、淀川の流れ、生駒山、金剛山、そして大阪のビル街まで見えた。
花粉が飛ぶこの季節、しかも天気は曇りがちだったにもかかわらず、けっこう遠くまで
見渡せたのはラッキーだ。
ロープウェイは点検休業中。ちょうど試運転のゴンドラが、ゆるゆると動き始めた。
スキー場跡地。比叡山人工スキー場は、1964年(昭和39年)に開業。2000年(平成12年)の
冬季営業を最後に閉鎖された。最後のほうは毎年のように雪不足だった。
閉鎖後、四半世紀を迎えようとしているが、未だに樹木は生えない。
ケーブルひえい駅前。ケーブルも休止中で、トイレが使えなかったのは誤算。
台風被害で荒れたままの道を下る。
千草忠顕卿戦死之地碑。
千草忠顕は、室町時代の公家であり武将。後醍醐天皇の討幕計画に加わって負け、ともに隠岐に
流された。天皇とともに隠岐を脱出したのちは、足利尊氏らと六波羅探題を攻略。
のち、尊氏が後醍醐天皇から離反すると、天皇に従って比叡山にのがれたが、尊氏の弟、
足利直義軍との戦で亡くなった。
浄刹結界跡碑と女人結界碑。
女人結界碑が倒れているのは、妙に納得感がある。
梅谷コースで下山。
途中、すばらしいアートに出会った。
三宅八幡駅に到着。ちょうど叡山電車ご自慢の観光車輛「ひえい」がやってきた。
ちょびっと嬉しいのであった。