■メイン写真
高円山大文字火床にて、みんな「大の字」になる
■今回のコース
尾上町バス停→高円山大文字火床→高円山三角点→高円山最高点→地獄谷石窟仏→
首切地蔵→朝日観音→三体地蔵・夕日観音→寝仏→上の禰宜道→春日大社境内→
もちいどのセンター街交差点
奈良市街のすぐ東側に、1200年も斧が入っていない春日山原生林があり、この
エリアの多くは立ち入り禁止区域だ。
しかし原生林の南側、高円山周辺から春日大社にかけても、なかなか貴重な自然が
隠されているのだ。
尾上町バス停から、高円山登山口へ。
高円山には、大文字の送り火の火床がある。また、中腹にはかつて聖武天皇の離宮・
尾上の宮があったと伝えられている。
尾根ルートと谷筋ルートの2本あるが、谷筋ルートを行けば火床にダイレクトに
出られる。
ムラサキシキブ。
昔はムラサキシキミと呼ばれていた。紫色の実が重なりあっているためだ。
アオキ。
中国原産の木、アブラギリが群生していた。これはその実。黒化してしまっているが、
この実から油がとれる。かつては塗料、印刷インク、油紙の材料として使われたという。
有毒なので食用油にはならない。
コナラやクヌギなどが多い、典型的な雑木林を歩く。
ウスタビガの繭(まゆ)。
奈良にもある、大文字の送り火の「火床」に到着。
戦没者をを祀るため1965年から始まったもの。
「大」の字の大きさは日本最大級。大の字の横線の長さは109m、斜めの払いが164m。
火床の数は、人間の煩悩の数である108個。
ここからの眺めは最高だ。奈良盆地北部、矢田丘陵、金剛山地北部、生駒山系などが
一望できる。足下には東大寺が!
高円山の三角点に到着。こちらは、測量の基準であるはずが、展望はない。
奈良奥山ドライブウェイに出る。万葉歌人・大伴家持の歌碑がある。
その少し向こうには、真っ赤なサザンカが満開だった。
ドライブウェイを渡り、まずは高円山の山頂へ。
ここは空地になっているが、以前、高円山ホテルがあった場所だ。
2010年12月に閉鎖され、すぐ解体されている。
続いて到着したのは、地獄谷石窟仏。えらい厳重に、鉄柵と有刺鉄線で囲まれている。
岩窟の中に彩色された磨崖仏が並ぶ。
真ん中が釈迦如来像。左に薬師如来、右に十一面観音。さらに右壁面に如意輪観音、
左壁面に阿弥陀如来坐像と千手観音。
柳生街道に合流して、首切地蔵に着く。
江戸時代初期の剣豪・荒木又右衛門が試し斬りをしたという。
荒木又右衛門は、伊賀国の生まれで柳生十兵衛の弟子。柳生新陰流の剣豪だ。
大和郡山藩の剣術師範をつとめ、鍵屋の辻の決闘で知られる。
首切地蔵の周辺はちょっとした広場になっていて、あずま屋とトイレがある。
このあたり、杉の巨木が多い。
屋久島に行かなくてもいい(!?)ほどの大杉がみられる。
朝日観音。東を向いているので朝日に照らされるということからこの名がある。
中央に弥勒如来磨崖仏、左右に地蔵磨崖仏が彫られている。
なに、観音さんじゃないのか!
ちなみに右のお地蔵さんのみ室町時代の作で、あとは鎌倉時代のものという。
滝坂の道は、石畳の風情ある古道だ。
三体地蔵。すべて右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、南北朝時代の作という。
三体地蔵の後方、山の少し上の方を仰ぐと、夕日観音がある。
夕日に染まると美しく浮かんで見えるという。朝日観音と同一作者だと考えられている。
寝仏。室町時代頃に彫られた大日如来という。
落石で、横向きになってしまったらしい。
かなり風化しているので、一瞬、どこにあるのか分かりにくい。
春日大社の境内に入る。
上の禰宜道にあるイチイガシの古木。
境内に多いナギ。これでも針葉樹なのだ。
植物ばかりフィーチャーしたが、当然、シカもいっぱいいる。
ムクロジの古木は、中が空洞になっているらしく、中から竹が生えている。
ムクロジの実。果肉にサポニンが含まれており、昔は洗剤の代わりにした。
中の堅く黒い種子は、羽根つきの羽根に使われる。
今シーズン、最後の紅葉だろうか。
※初心者から楽しめる遊山トレッキングサービスの登山教室は、「ここをクリック」!!
高円山大文字火床にて、みんな「大の字」になる
■今回のコース
尾上町バス停→高円山大文字火床→高円山三角点→高円山最高点→地獄谷石窟仏→
首切地蔵→朝日観音→三体地蔵・夕日観音→寝仏→上の禰宜道→春日大社境内→
もちいどのセンター街交差点
奈良市街のすぐ東側に、1200年も斧が入っていない春日山原生林があり、この
エリアの多くは立ち入り禁止区域だ。
しかし原生林の南側、高円山周辺から春日大社にかけても、なかなか貴重な自然が
隠されているのだ。
尾上町バス停から、高円山登山口へ。
高円山には、大文字の送り火の火床がある。また、中腹にはかつて聖武天皇の離宮・
尾上の宮があったと伝えられている。
尾根ルートと谷筋ルートの2本あるが、谷筋ルートを行けば火床にダイレクトに
出られる。
ムラサキシキブ。
昔はムラサキシキミと呼ばれていた。紫色の実が重なりあっているためだ。
アオキ。
中国原産の木、アブラギリが群生していた。これはその実。黒化してしまっているが、
この実から油がとれる。かつては塗料、印刷インク、油紙の材料として使われたという。
有毒なので食用油にはならない。
コナラやクヌギなどが多い、典型的な雑木林を歩く。
ウスタビガの繭(まゆ)。
奈良にもある、大文字の送り火の「火床」に到着。
戦没者をを祀るため1965年から始まったもの。
「大」の字の大きさは日本最大級。大の字の横線の長さは109m、斜めの払いが164m。
火床の数は、人間の煩悩の数である108個。
ここからの眺めは最高だ。奈良盆地北部、矢田丘陵、金剛山地北部、生駒山系などが
一望できる。足下には東大寺が!
高円山の三角点に到着。こちらは、測量の基準であるはずが、展望はない。
奈良奥山ドライブウェイに出る。万葉歌人・大伴家持の歌碑がある。
その少し向こうには、真っ赤なサザンカが満開だった。
ドライブウェイを渡り、まずは高円山の山頂へ。
ここは空地になっているが、以前、高円山ホテルがあった場所だ。
2010年12月に閉鎖され、すぐ解体されている。
続いて到着したのは、地獄谷石窟仏。えらい厳重に、鉄柵と有刺鉄線で囲まれている。
岩窟の中に彩色された磨崖仏が並ぶ。
真ん中が釈迦如来像。左に薬師如来、右に十一面観音。さらに右壁面に如意輪観音、
左壁面に阿弥陀如来坐像と千手観音。
柳生街道に合流して、首切地蔵に着く。
江戸時代初期の剣豪・荒木又右衛門が試し斬りをしたという。
荒木又右衛門は、伊賀国の生まれで柳生十兵衛の弟子。柳生新陰流の剣豪だ。
大和郡山藩の剣術師範をつとめ、鍵屋の辻の決闘で知られる。
首切地蔵の周辺はちょっとした広場になっていて、あずま屋とトイレがある。
このあたり、杉の巨木が多い。
屋久島に行かなくてもいい(!?)ほどの大杉がみられる。
朝日観音。東を向いているので朝日に照らされるということからこの名がある。
中央に弥勒如来磨崖仏、左右に地蔵磨崖仏が彫られている。
なに、観音さんじゃないのか!
ちなみに右のお地蔵さんのみ室町時代の作で、あとは鎌倉時代のものという。
滝坂の道は、石畳の風情ある古道だ。
三体地蔵。すべて右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、南北朝時代の作という。
三体地蔵の後方、山の少し上の方を仰ぐと、夕日観音がある。
夕日に染まると美しく浮かんで見えるという。朝日観音と同一作者だと考えられている。
寝仏。室町時代頃に彫られた大日如来という。
落石で、横向きになってしまったらしい。
かなり風化しているので、一瞬、どこにあるのか分かりにくい。
春日大社の境内に入る。
上の禰宜道にあるイチイガシの古木。
境内に多いナギ。これでも針葉樹なのだ。
植物ばかりフィーチャーしたが、当然、シカもいっぱいいる。
ムクロジの古木は、中が空洞になっているらしく、中から竹が生えている。
ムクロジの実。果肉にサポニンが含まれており、昔は洗剤の代わりにした。
中の堅く黒い種子は、羽根つきの羽根に使われる。
今シーズン、最後の紅葉だろうか。
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