「これを機に、石橋湛山のことを勉強してみようかな」と思いました。昨日(2023年8月26日)付の朝日新聞朝刊13面13版に、「多事奏論」として、原真人氏による「今こそ小日本主義 閉塞する政治、湛山なら?」という記事が掲載されており、なかなか興味深いものであったからです。
石橋湛山は、短期間〔1956(昭和31)年12月23日~1957(昭和32)年2月25日〕ではありますが第55代の内閣総理大臣を務めた人物です。それだけでなく、ジャーナリストなどとしても活躍していました。私も、学部生時代かその少し前から名前は知っており、彼のことについて書かれたものを読んだりはしていましたが、本格的に石橋湛山の著作などを読んだことがなかったのです。
原氏によると、「湛山思想を再評価する動きがいま政界でにわかに広がっている」とのことで、「通常国会が終盤を迎えていた6月初め、与野党の国会議員44人が議員連盟『超党派石橋湛山研究会』を発足させた。党の枠を超えてこれほど多くの議員が政治思想を論じ合う議連は珍しい。しかも、ちょうど解散風がそろり吹いて衆院議員たちが気が気でなかった時期にもかかわらずである」とのことです。
先日、原真人『アベノミクスは何を殺したか 日本の知性13人との闘論』(2023年、朝日新聞出版)を購入し、読んでいました。これはなかなかの好書で、あれこれと考えさせられるものでしたが、同書に湛山は登場しません。ただ、どこかでつながっているのかもしれない。そう考えられるので、関心がある訳です。
研究会の端緒は篠原孝氏(立憲民主党)です。同氏は1985年に、農林水産省課長補佐の立場で週刊東洋経済にて「新・小日本主義の勧め」を発表しています。それから40年近くが経過しようとしていますが、原氏は「いま読み返すと、篠原提言は青臭いけれど、その後の日本が突き当たる経済摩擦やエネルギー環境問題などを的確に予見もしていた。経済大国のおごりに警鐘も鳴らしている。それに比べ、経済論客たちの意見は成長や人口増、貿易黒字など経済大国を構成する諸要素がどれも永遠に続くという思い込みに支配されていたように思える」と書かれています。
或る意味において、この内容は現在にも当てはまるものかもしれません。異なるのは、アベノミクスを支配していると考えられる「成長や人口増、貿易黒字など」が時代に逆らわないものではなくなったというところでしょうか。つまり、時代背景などが異なっているということです。1980年代後半の日本はバブル景気を追い風とする形で世界第2位の経済大国であったのに対し、2020年代前半の日本は人口減少など衰退の一途をたどっているということです。原氏も「これは現代にも地続きの問題だ。政府や日本銀行による無謀なバラマキ策が財政破綻や通貨円の暴落リスクを著しく高めていると言うのに、『もういちど経済大国の復権を』という安倍政権で始まった拡張路線を岸田政権も止めようとはしていない」、「理にかなわない政策を止められないむなしさ、財政も規律も壊れつつあることへの閉塞感」と述べています。
ただ、超党派の研究会が今の日本政治に波風を立て、さらに状況を変えることができるかどうかについては、私は懐疑的にならざるをえません。与党、野党の別を問わず、湛山の思想、あるいはその湛山に共感した人々の数は、おそらく多くはないであろうと考えられるからです。
しかし、点滴石をも穿つ、と言います。徐々に状況が変化していけばよいものであるかもしれません。急激な変化が望ましいとは言えませんから。
今回、記事を読んでいて想起したのが、内村鑑三のことです。何時のことであったかよく覚えていないのですが、岩波文庫の『後世への最大遺物 デンマルク国の話』を買い、読んでいました。内村が述べていたことは、大国主義の真反対である小国主義であり、その小国主義にこそ立脚すべきであるという趣旨です。大日本帝国憲法施行下において、彼の思想は多くに受け入れられ難いものであったはずですが、重要な選択肢であったはずです。
湛山と鑑三の接点が存在したのかどうか、存在したとすればどの点においてであったのか、私は知りません。しかし、何処かに共通の根があるのではないかと考えることもできるのではないでしょうか。
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