ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

財政再建の目標は維持されるものの……

2022年05月27日 12時00分00秒 | 国際・政治

 今日(2022年5月27日)の朝日新聞朝刊4面14版に「財政再建の目標維持 自民、異論あったが…原案通り決着」という記事が掲載されていました(https://digital.asahi.com/articles/DA3S15306623.html)。小さな記事ですが、見落とせないものなので、ここにも少しばかり記しておきます。

 長らく、日本の国家財政はかなりひどい状況でした。財政赤字は日本だけのものではありませんが、日本の場合は国家財政も地方財政(全体)も悪いのです。そのため、財政再建の必要性は度々主張されています。実際に、COVID-19の猛威を前にして、財政赤字にまみれた日本では、ドイツなどと異なって思い切った政策を打ち出すことができなかったとも言われています。しかも、例の布マスク配布およびその保管を象徴されるような無駄遣いは止まりません。

 このような状況の中で、詳しいことはわかりませんが、自由民主党の財政健全化推進本部は議論を重ね、今月26日に提言をまとめました。同日に同党の政調審議会において了承されています。

 提言については今月19日および20日に議論されているのですが、自由民主党には財政改革検討本部もあり、そのメンバーから財政再建について異論があったようです。そこで、財政健全化の目標は維持するものの「内外の経済情勢によっては必要な検証を行う」ということで、原案には書かれていた「平時からの財政秩序が必要」という部分が削除されたとのことです。勿論、「平時からの財政秩序が必要」なのは「感染症の流行や大災害時に十分な支出ができるようにするため」であり、これまでの日本の経験からすれば至極当然の話であるはずですが、安倍晋三元内閣総理大臣のサイドから「今こそ十分な支出をするべき時だ」という趣旨の指摘がなされたことで削除されたようです。

 その結果、第二次安倍内閣〜第四次安倍第二次改造内閣の時と同様に「全体として『経済成長と財政健全化の両立を目指す』という方針をより強調する書きぶりに変更した」と言います。これは実質的に財政健全化に対するブレーキの役割を果たすものです。私が論文で度々引用していますが、当時の与党税制改正大綱においては「経済成長なくして財政健全化なし」というフレーズが書かれており、経済成長が優先されてきたからです。しかし、財政だけで全てを測ることはできないものの、財政に不安がある国家など国際的に評価される訳がなく、経済成長のためということで進められた円安政策のおかげで国民の生活は(平均的に)困窮のほうに進むばかりです。食糧など多くの資源を輸入に頼っている日本ですから、円安になれば資源購入の費用ばかりがかさむのは当たり前のことでしかありません。敢えて弱い通貨を目指すことの意味は、とくに現在の状況からすれば理解されにくいでしょう。

 そして、提言では「過去30年を通じてみれば我が国の経済成長は主要先進国の中で最低レベル」であると指摘されているようですが、OECD加盟国に拡げても同じようなことが言えるでしょうし、視野が狭いという印象を受けます。さらに気になるのは「アベノミクスは道半ばであると言われるゆえんであり、今後、強い日本経済をつくるため、経済政策に取り組む必要がある」という文です。過去の政策に対する検証の姿勢が全く見えません。これでは失敗を繰り返すだけでしょう。明石順平さん、金子勝さんなど多くの方が分析し、指摘されているように、アベノミクスにより、確かに東京証券取引所第一部上場株式の平均株価は上昇したかもしれませんが、目に見える成果はそれだけであり、例えば平均所得は下がり続けています。しかも、数少ない(唯一とは言いません)頼りの綱である平均株価も、ここに来て下落しています。ロシアによるウクライナ侵攻が世界経済に大きな打撃を与えていることが一因であることは明確ですが、それだけが原因ではありません。大体、政策の失敗の原因は複合的であることが多く、短期的なものもあれば長期的なものもあります。

 常に思うのですが、「失敗は成功のもと」という日本の諺は罪作りなものです。2021年に開催された東京オリンピック、2025年に予定されている大阪万国博覧会に典型として示されているように、成功体験に目がくらみ、「夢よもう一度」となる訳です。しかし、時間は確実に経過し、背景、情勢も刻々と変化します。1964年および1970年は日本の高度経済成長期でしたから多少の無理はカヴァーできたのです。1973年に高度経済成長期は終了し、1975年から(ほんの一時期を除いて)赤字国債が発行され続けます。無理が利かなくなって慢性の病気となり、病状は悪化していきます。昭和の最後の数年間と平成の最初の数年間にバブル経済の似非(?)好景気がありましたが、崩壊してから深刻化していく一方です。

 私はこのブログで何度も「成功は失敗のもと」と書いています。新聞、雑誌、書籍などを見ていると、同じようなことを述べているのは安藤忠雄さんだけかと思っていました。最近になって、吉見俊哉編著『検証 コロナと五輪 変われぬ日本の失敗連鎖』(2021年、河出新書)を入手し、読みました。そのあとがきにおいて「人は、成功体験の繰り返しよりも失敗の経験からこそ多くを学ぶ」と書かれていました。その通りでしょう。1998年の長野冬季オリンピックは、その後の長野県や長野市の財政に大きな負の遺産を残していますし、2020年から2021年に延期された東京オリンピックに至っては、開会の何年も前から下手なドタバタ喜劇などお呼びでないような混迷ぶりを露呈していました。オリンピックのために造られた施設の多くは、これから重荷となるでしょう。ツケは東京都民さらに日本国民に負わされたのです。それなのに、国や東京都に東京オリンピックの検証を行う動きはないようです。

 東京オリンピックだけではありません。アベノマスク、地方創生など、検証すべき事柄は多いのです。ただアベノミクスを実施し続けることが果たしてよいことなのでしょうか。

 もう一つ、提言についての記事で非常に気になることがあります。岸田内閣が発足したのは2021年10月であり、その頃に「新しい資本主義」というフレーズが繰り出されました。その「新しい資本主義」と提言との関係がよく見えません。敢えて記せば岸田色、独自性があるのかないのかわからないのです。

 首相官邸のホームページによると、「新しい資本主義」について次のように書かれています(https://www.kantei.go.jp/jp/headline/seisaku_kishida/newcapitalism.html)。

 「私が目指すのは、新しい資本主義の実現です。成長を目指すことは極めて重要であり、その実現に向けて全力で取り組みます。しかし、『分配なくして次の成長なし』。成長の果実を、しっかりと分配することで、初めて、次の成長が実現します。大切なのは、『成長と分配の好循環』です。『成長も、分配も』実現するため、あらゆる政策を総動員します。」

 アベノミクスとの違いは分配の強調の有無でしょうか。しかし、「成長を目指すこと」に新味はありません。その点において「新しい資本主義」はアベノミクスの延長とも考えられます。もっとも、さらなる検討は必要ですが、大筋では延長と捉えて間違いないでしょう。財政の健全化を期待するほうが無理なのかもしれません(よいことでないのは明らかです)。


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