ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

都営三田線途中下車(21) 三田駅(その3)

2014年10月12日 12時12分36秒 | まち歩き

日本電気(NEC)の本社の前に出ました。ここから三田線に乗らなければならない時間となったので、今日は駅の構内をとりあげてみましょう。

その前に、日本電気(NEC)の本社にある、幾何学模様のオブジェを見ます。これにはいかなる意味が込められているのでしょうか。あるいは、あまり深く考えてはならないものなのでしょうか。

 三田駅のA10出入口です。日本電気(NEC)本社の敷地内と言ってよい場所にあります。先のオブジェに合わせたようデザインで、地下鉄の駅の出入口とは思えない独特の雰囲気を醸し出しています。

 この出入口から近いのは三田線のホームですが、浅草線のホームにもつながっています。北総線の印旛日本医大駅まで乗ったらいくら払わなければならないのでしょうか。

 階段の踊り場なのですが、展示スペースかと思えるほどに広い空間です。これも、地下鉄の駅ではなかなかお目にかかれないでしょう。エスカレーターも設置されていますが、この時は定期点検中でした。

 東京の地下鉄の駅では、ホームまでの距離が案内されています。中には一駅分ほどあるのではないかというほど離れていて、乗り換えに時間がかかる所もあります(例、南北線永田町駅から銀座線・丸ノ内線赤坂見附駅までの乗り換え。半蔵門線ホームを経由するため、500m以上も歩かされます。丸ノ内線の新宿三丁目駅から新宿駅までのほうが短いくらいです)。三田駅の場合はそこまで乗り場が離れていません。

 改札口から三田線の西高島平方面の乗り場である4番線に向かいますが、この駅の構造上、4番線に向かうには改札口のある階から一つ下に降りて、白金高輪・目黒・東急目黒線方面の乗り場である3番線を経由しなければなりません。田園都市線の桜新町駅と同じような構造になっている訳です。

 何故、このような構造になっているのでしょうか。建設上の理由にもよるのですが、より大きな理由があります。「待合室」でも取り上げたことがあるのですが、この「ひろば」ではまだ述べたことのない、三田線の数奇な運命と深い関係があるのです。

 三田駅が開業したのは1968年のことですが、その時は浅草線だけの駅でした。三田線は、同年も終わりに近い頃に巣鴨~志村(現在の高島平)が開業しました(それ以前の経緯も複雑で興味深いのですが、ここでは省略します)。1972年に日比谷~巣鴨が開業し、翌年に三田~日比谷が開業します。これにより、三田駅が三田線の「起点」となりました。高島平~西高島平が開業したのは1976年のことで、以後、2000年に目黒~三田が開業するまで、三田線は三田~西高島平の路線として一般に認識されることとなります。

 上の段落を御覧になってお気づきになられたでしょうか。三田駅が「起点」であると、わざわざかぎ括弧を付けています。また、「三田線は三田~西高島平の路線として一般に認識されることとなります」と書かれています。

 実は、三田線の正式な起点は、長らく三田ではなく、泉岳寺とされていたのです。三田線として開業していない区間が含まれているのも妙な話なのですが、現在でも蓮根駅付近などの高架の橋脚にその証拠が残されており、泉岳寺を起点として何キロメートルというような表示がなされています。

 東京の地下鉄路線は、基本的に都市交通審議会答申に基づくものとなっており、三田線が当初6号線と称されていた理由ともなっています。この答申も何度か変更されており、その度に三田線の想定区間が変わるのですが、比較的よく知られているのは、東武東上線との乗り入れ、東急池上線・大井町線・田園都市線との乗り入れです。つまり、東上線の上福岡から和光市を通り、和光市からは新線を作って高島平に向かい、ここから三田線として巣鴨、大手町、三田を通って泉岳寺に出て浅草線と並行するような形で五反田を通り、桐ヶ谷(かつて池上線の駅がありました)付近から池上線に入り、旗の台から大井町線に入り、二子玉川から田園都市線に入り、長津田へ向かう、という計画だったのです。その関係で、高島平から和光市までは東武が建設することとなっていました。しかし、東武は有楽町線との乗り入れをする方向に、東急も半蔵門線との乗り入れをする方向に転換したため、三田線の直通計画は中止とされました。そのこともあり、高島平~和光市の路線免許は東武から東京都に譲渡されますが、結局、高島平~西高島平が開業しただけとなりました。また、三田から先については、港北ニュータウンまで建設される計画に変更されています(そのため、港北ニュータウンには痕跡が残っていると言われています)。

 結局、東武東上線との乗り入れは実現できなかったのですが、東急については、池上線・大井町線・田園都市線ではなく、目蒲線(目黒~田園調布)・東横線(田園調布~日吉)という形に変わって乗り入れが実現します。これは、先に記した港北ニュータウンまでの建設計画の故でしょう。こうして、2000年より、三田線は三田から目黒まで延長され(但し、目黒~白金高輪は東京メトロ南北線と共用。東京メトロが第一種鉄道事業者、東京都交通局が第二種鉄道事業者)、目黒から目黒線に直通することとなったのです。

以上に記したように、三田駅は1976年から2000年まで三田線の折り返し駅でした。そのため、現在でも御覧のような簡素な案内板が残されています。勿論、現在は意味をなさない案内板です。

 4番線ホームに着きました。かなりのカーブを描いていることがわかります。計画が何度も変更された三田線の姿が示されているような気がします。白金高輪駅まで、このようなカーブが続きます。私は、これから西高島平行きに乗ります。

 さて、「ひろば」に移った「都営三田線途中下車」シリーズですが、白金台、白金高輪、芝公園、御成門、大手町が残っています。次は何処を取り上げようかと迷うところです。そして 、いつ完結させようかと考えています。


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