最初にお断りです。今回は、私の「川崎高津公法研究室」に掲載していた「待合室」の、次の記事の再掲載です。
第373回:「東急田園都市線途中下車(3) 池尻大橋駅(その1)」(2010年7月21日〜28日掲載)
第377回:「東急田園都市線途中下車(3) 池尻大橋駅(その2)」(2010年8月20日〜27日掲載)
いずれも、写真撮影日は2010年6月11日です。誤字脱字を除き、内容を修正しておりません。したがいまして、後の事情変更なども一切反映しておりません。御注意ください。
〔1〕
1963(昭和38)年10月11日、大井町~溝ノ口(当時。1966年1月20日に溝の口に改称)が大井町線から田園都市線に改称されました。
それ以来、田園都市線の区間は、次に示すように何度も変更されています。
1966(昭和41)年4月1日 溝の口~長津田が開業(☞大井町~長津田)
1968(昭和43)年4月1日 長津田~つくし野が開業(☞大井町~つくし野)
1972(昭和47)年4月1日 つくし野~すずかけ台が開業(☞大井町~すずかけ台)
1976(昭和51)年10月15日 すずかけ台~つきみ野が開業(☞大井町~つきみ野)
1977(昭和52)年4月7日 新玉川線として渋谷~二子玉川園(当時)が開業(同区間の玉川線は1969年5月10日に廃止)
1979(昭和54)年8月12日 大井町~二子玉川園(当時)が大井町線に改称される(☞田園都市線は二子玉川園~つきみ野)
1984(昭和59)年4月9日 つきみ野~中央林間が開業(☞二子玉川~中央林間)
2000(平成12)年8月6日 新玉川線を田園都市線に編入(☞渋谷~中央林間) 延長を重ねたこともあるとはいえ、これだけ区間が変更された路線もそう多くはないでしょう。とくに、1979年、2000年と、二度も根本的に区間を変えているのは珍しいと言えます。もっとも、1979(昭和54)年8月12日に帝都高速度交通営団半蔵門線の渋谷~青山一丁目が開業し、田園都市線・新玉川線・半蔵門線の終日直通運転が開始されてから、田園都市線と新玉川線は実質的に同一の路線でした(信号回路などが異なっていたようですが)。
さて、今回は「田園都市線途中下車シリーズ」第3弾として、池尻大橋駅を取り上げます。渋谷から田園都市線の各駅停車に乗り、最初に到着する駅です。なお、急行は通過しますが、かつて走っていた快速は停車しておりました(この快速は新玉川線内の各駅に停車しました)。また、現在、平日の朝ラッシュ時にのみ、しかも上りのみ運転される準急も、二子玉川~渋谷の各駅に停車します(快速が復活したようなものです)。
池尻大橋駅の北口です。この駅の出入口は4箇所あり、いずれも国道246号線の上にあることとなります。左に、巨大な蓋のように国道246号線を覆い隠す高架橋は、首都高速3号線(渋谷線)です。手前のほうに進むと渋谷で、奥のほうに進むと三軒茶屋、用賀方面であり、首都高速3号線は用賀で東名高速道路と接続します。
駅名から、池尻大橋という名の橋があると思われる方も少なくないようです。しかし、そのような名称の橋はありません。実は、池尻大橋とは、世田谷区池尻と目黒区大橋を一緒にした名称なのです。かつて国道246号線の上を走っていた玉電(東急玉川線)には、大橋電停と池尻電停がありました。現在も大橋バス停と池尻バス停があります。新玉川線の開業にあたり、駅が池尻電停と大橋電停の間にあることから池尻大橋と名付けられたようです。
この駅の所在地は世田谷区池尻3丁目となっていますが、目黒区との区境付近です。この出入口の辺りは目黒区大橋2丁目で、道路の反対側にある東口は目黒区東山3丁目にあります。 歩道を奥のほうに真直ぐ歩くと西口で、そちらは世田谷区池尻3丁目となっています。また、南口は池尻2丁目です。
新玉川線は二子玉川駅周辺を除いて全線地下線として開業しました。元々、現在の東京メトロ銀座線の延長区間として予定されていたのですが、高架線として建設される可能性もありました。当時の世田谷区民は地下線として建設させようとする運動を起こし、訴訟も提起しています。首都高速3号線と一体として建設されたこともあって、新玉川線は地下線となりましたが、果たして、住環境という点からすると、地下線でよかったのでしょうか。
首都高速3号線ができたことにより、環境は悪化したという趣旨の言葉を、付近住民から何度か聞いたことがあります。高速道路の地下化は、排気ガスの関係もあって容易ではないと言われていますが。
それはともあれ、池尻大橋駅の改札口です。駅長事務室も置かれています。この駅長事務室が置かれる場所によって駅の住所が決まるということらしく、池尻大橋駅は世田谷区に所在することとされています。但し、駅施設の一部が目黒区大橋および東山にもあることは前記の通りです。
ちなみに、田園都市線の場合、駅長が置かれている駅は主要駅に限られており、管内という単位で駅長が置かれています。池尻大橋駅に駅長事務室があるとは言え、同駅に駅長はおりません。池尻大橋駅は三軒茶屋管内です(この他、三軒茶屋、駒沢大学、桜新町が三軒茶屋管内です)。この他、田園都市線には二子玉川管内(用賀、二子玉川)、溝の口管内(二子新地、高津、溝の口、梶が谷)、鷺沼管内(宮崎台、宮前平、鷺沼、たまプラーザ)、あざみ野管内(あざみ野、江田、市が尾、藤が丘、青葉台、田奈)、長津田管内(長津田、つくし野、すずかけ台、南町田、つきみ野、中央林間、こどもの国線全線。但し、つくし野~つきみ野は東急レールウェイサービスが管理)があります。
先ほどの北口から三軒茶屋方面に少し歩きますと、区境を越え、世田谷区に入ります。先ほど記したように、池尻大橋駅の所在地は世田谷区池尻3丁目となっています。
駅のすぐそばにある歩道橋から、国道246号線を撮影してみました。この道路のどこかを、東急玉川線が走っていましたが、今となってはよくわかりません。左側にあるバス停は池尻バス停ですので、おそらく、玉川線の池尻電停もその辺りにあったのでしょう。
この辺りから三宿交差点にかけて、なだらかではあるが長い坂となっています。途中に池尻稲荷神社があります。この界隈も、東京都内の多くの街と同様に高層建築物などの多い所ですが、神社の湧き水は涸れていないという話を聞いたことがあります。さらに先へ進むと三宿交差点で、私は院生時代に池尻大橋駅で電車を降り、歩いてその交差点付近によく行きました。目的は古本屋である、ということだけ記しておきましょう。
今度は反対側を見ます。金曜日の昼過ぎですが、国道246号線の交通量は少ないようです。もっとも、時々車を走らせたりして感ずるのですが、平日よりも土休日のほうが、渋滞が激しいという場合があります。この国道246号線もそうですし、環状8号線もそうです。
奥のほうに坂が見えます。その坂を大坂といい、東急玉川線には大坂上という電停もありました。その坂を下った所に目黒川が流れており、橋がありました。その橋が大橋という名でした。つまり、大坂の下の橋という意味であったのです。
まだ時間がありますので、池尻大橋駅付近の散歩を続けます。
〔2〕
池尻大橋駅の周辺を歩いています。前にも記しましたが、池尻大橋という名前の橋がある訳ではなく、世田谷区池尻と目黒区大橋を一緒にした名称です。田園都市線の始発駅である渋谷から各駅停車に乗ると次の駅が池尻大橋ですが、2キロメートル近く離れています。
私が初めて池尻大橋駅を利用したのがいつのことであったか、よく覚えていません。おそらく大学院時代ではないかと思いますが、当時、私は駅前商店街のことを知りませんでした。当時、池尻大橋駅を降りて国道246号線を南へ進み、三宿の交差点に向かって歩くことが多く、駅周辺をゆっくり歩いたことがなかったのです。
駅の東口を出ると目黒区東山で、国道246号線から商店街に入ることができます。私は途中で引き返してきましたが、歩き続ければ山手通りに出られるはずです。さらに歩けば、東急東横線・東京メトロ日比谷線の中目黒駅にたどり着くでしょう。
渋谷と三軒茶屋との間にあるためか、それとも平日のお昼に歩いたからなのか、池尻大橋駅前商店街の人通りはそれほど多くありません。夕方になると少しは増えるのでしょう。ちなみに、田園都市線の駅で大きな商店街というと、渋谷は別格として、三軒茶屋、溝の口(地名は溝口)といったところでしょうか。
目黒区東山3丁目、15時からは車両通行止めとなる時間があります。駅前商店街では、買い物客が多い時間帯に車両通行止めとなるものですが、最近では少なくなっているという話も聞きます。
奥に首都高速3号渋谷線が見えます。右側が渋谷方面、左側が用賀方面で、東名高速道路につながっています。この辺りは、目黒川のそばに平らなところもありますし、この商店街などには坂らしいものがないのですが、駅から三宿方面はなだらかな登り坂ですし、渋谷方面はきつい登り坂です。自転車が多く走り回っているのが意外にも感じられるのですが、近所の人たちなのでしょう。
豆腐屋さんと魚屋さんがあります。かつてはどこの商店街でも見られましたが、最近では少なくなりました。東京都の23区域ではまだまだ見かける機会も多いのですが、それ以外の地域では難しくなっています。
そもそも、商店街自体が衰退し、個人商店の多くが消滅しているような地域も増えつつあります。関東地方でも、たとえば埼玉県の東武東上線沿線では、和光市駅周辺、志木駅周辺、川越駅周辺を除き、活気のある商店街が見当たりません(都内であれば大山などがあります)。むしろ、郊外型の大規模店舗が目立ちます。田園都市線も、溝の口より奥のほうでは郊外型の大規模店舗が多くなってきています。いわゆる街道筋などにあるショッピングモールやホームセンターなどです。
この商店街で昼食をとりました。昔から続いている個人経営の飲食店でした。そういう店も少なくなっています。私がとくに感じるのは神田神保町なのですが、今の子どもであればファミリーレストランやファーストフード店くらいしか知らないという子もいるのかな、などと思いながら食べました。
まだ時間がありますので、歩き続けます。
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