山谷堀
2011年10月28日 | 旅
山谷堀は、王子権現の麓を流れる音無川(石神井用水。現在の石神井川とは異なる)
を源とする江戸時代に開削された人工の掘割で
北・荒川・台東と流れ、今戸橋の少し下流で現在の「隅田川」に合流します。
正確に記すと、石神井川(滝野川)の王子大堰から取水された
灌漑用水である音無川(石神井用水)が三ノ輪から分水された堀
という表現がただしくなるのでしょうか。
江戸時代、新吉原に遊郭が移ってきてからは
この山谷堀の猪牙船に乗って吉原通いをしたりと
ずいぶんと賑やかだった場所です。
風流と粋と欲望が渦巻く豪勢な場所だったわけです。
三ノ輪から分水された山谷堀ですが
同じ場所から分水された水路には「思川」があります。
先日の記事にも書いたように
こちらには「泪橋」があり
山谷堀の華やかさとは正反対の川だったわけです。
現在、今戸橋の下流側には
中村勘三郎による「平成中村座」の仮設劇場を建設中で
平成の御世になっても、この地が江戸文化の発着点となっていることは
面白いことでもあります。
を源とする江戸時代に開削された人工の掘割で
北・荒川・台東と流れ、今戸橋の少し下流で現在の「隅田川」に合流します。
正確に記すと、石神井川(滝野川)の王子大堰から取水された
灌漑用水である音無川(石神井用水)が三ノ輪から分水された堀
という表現がただしくなるのでしょうか。
江戸時代、新吉原に遊郭が移ってきてからは
この山谷堀の猪牙船に乗って吉原通いをしたりと
ずいぶんと賑やかだった場所です。
風流と粋と欲望が渦巻く豪勢な場所だったわけです。
三ノ輪から分水された山谷堀ですが
同じ場所から分水された水路には「思川」があります。
先日の記事にも書いたように
こちらには「泪橋」があり
山谷堀の華やかさとは正反対の川だったわけです。
現在、今戸橋の下流側には
中村勘三郎による「平成中村座」の仮設劇場を建設中で
平成の御世になっても、この地が江戸文化の発着点となっていることは
面白いことでもあります。