東京拘置所をめぐる 敷地の歴史

2016年12月26日 | 東京のお散歩
東京拘置所が建つ場所は、いつの世も“政府”関係の建物が建てられていました。

もともとは、この付近は千葉氏一族の領地で、小菅氏が治めたのち
関東郡代であった伊奈氏が、この場所に屋敷を構え、江戸時代にはいると
将軍の鷹狩りのための休息御殿「小菅御殿」が作られました。



小菅御殿の一角には、幕府による貨幣改鋳のために銭座が作られました。
現在の西小菅小学校がその場所とされ、小学校の北東側角には
銭座橋という橋が架けられていた名残の親柱が遺されています。



小菅御殿廃止後は、飢饉に備えた幕府直轄の食糧貯蔵庫である籾倉となり
明治になると、小菅県の県庁が置かれました。

廃藩置県の過程で設置された県であったため、最終的に小菅県は廃止され
東京府下南葛飾郡となったのちに、主に国事犯などを収容する小菅集治監が建ち
小菅刑務所を経て東京拘置所となりました。

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