古隅田川

2016年12月28日 | 東京のお散歩
東京を流れる代表的な川、隅田川。
明治以前、荒川放水路が開削されるまで、大川とか浅草川と呼ばれるこの川は
古くからの入間川の下流で、荒川本流が流れる川でした。



元々の隅田川は、利根川の下流でしたが、関東造盆地運動の影響で流域が隆起し
利根川が現在の中川(旧中川)へ向かう流路となり、更には江戸時代に行われた
利根川東遷事業によって、江戸川や銚子で太平洋に出る流路に付け替えられ
現在の隅田川の流路の基礎が出来上がり、大川と呼ばれるようになりました。

明治時代に、新河岸川の流路整理と、荒川放水路の完成によって
赤羽の岩淵水門から、豊島、堀船、千住、白鬚、向島、浅草、月島を流れる
いわゆる「隅田川」が、完成しました。

これにより、利根川下流であった古来の(固有名詞としての)隅田川は古隅田川となり
水量を減らしながらも利根川の下流の名残として残ることになりました。

古隅田川は、綾瀬から小菅付近では今でも足立区と葛飾区の区界ともなっていて
開渠の状態で流れています。

荒川放水路の開削と、綾瀬川の流路変更による人工開削の新綾瀬川によって
古隅田川が現在の隅田川に合流する手前でその流れは分断されましたが
綾瀬川の西岸では裏門堰親水路として、東京拘置所の北側にその流路が遺されています。





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