世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

生き抜く力

2014年02月14日 | 人生
生きる力ではない。


我々は生きているのではなく、生かされている、と思っている。


この世に生を受けたのも、

それぞれひとりひとりの役割があってのことなのだ。


五体満足であれば最高だが、産まれながらに障害や奇形を伴う人もいる。

それはそれで意味があるのかもしれない。

若くして天に召される人もあれば、天寿を全うする人もいる。


生まれてくるものは親を選べないが、それぞれの親から生まれるにも意味があってのことだろう。



ボクは充分生きた。

二度の結婚と三人の子供、三人の孫を持ち、子供たちは大人になりそれぞれが自立した。


父親としては失格かもしれないが、

曲がりなりにも最低限の責任は果たせたのかな、と思う。

そう思いたい。



ただ、幸か不幸かボクはまだ生きている。

しかも元気だ、今の所。


少なくとも生があるうちは、その役割を全うしなければならない。


ではその役割とは何か。

ボクがこの世に生を受けた意味はなんなのか。


何のために生まれてきたのか。


誰しもがぶつかる大きな課題だ。



歴史に名を残す人は、あたかもその史実に基づいて生まれてきたかのように見える。

しかし本当にそうなのか。


特に医学や芸術の世界で名を残した人物は、その道のために生まれてきたのかもしれない。

政治や宗教の面で活躍(?)した人の中には、争いに終始した人も多かろう。


文学は人に示唆を与えるが、当の本人は苦しみ抜いた人が少なからずいる。

太宰や川端、ヘミングウェイはどうだったのか。


作家が為政を行ってはいけない。

最近では田中、石原、猪瀬等がそれを証明している。


使命を履き違えると不幸な結末を迎えることにもなりかねない。



「餅は餅屋」という言葉がある。

every man knows his own business best;

one should go to specialists for the best results


A specialist has his own strength.

Every man to his trade.




だから、自分はどうだ。


ボクは、地球上に人間として生を受け

日本人で男として生まれ、

五体満足で熊本に育った。



これにはどんな意味があるのか。

あるいはさして意味はないのか。


あると思う。

ある意味、選ばれし生の受け方なのではないのか。


なぜなら日本人でよかった、

中でも、熊本人でよかった、

男でよかったと思っているから。


次に生まれるとするなら、

人間になるという保証はどこにもない。


ゴキブリかもしれない。

ドブネズミかもしれない。

あるいは、ムカデや蠍かもしれない。

もしかして、目に見えない細菌かもしれない。


人間として生まれても、

アフリカのコンゴ人で女になっているかもしれない。


別にそれが悪いといっているのではない。



ただ、ボクは日本人で熊本人で男でよかったと心から思っている。

誇りに思っている。

それだけでも幸せだと思っている。



では、その役割はなんなのか。

残り少ない生涯に課せられた使命とは?



ここでテレビの取材が入った。

お昼寝カフェの取材だ。


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