日本人は、自分を表現することが世界的に下手な民族である。
これは、奥ゆかしい日本文化がそうしていることであって
日本人の美徳の一つである。
言わずもがな(to say nothing of)、
以心伝心(telepathy)などがまかり通るのも日本独特の習慣によるものだろう。
多分欧米ではそれはオカルトの世界でしかない。
言わなきゃ分からない、
伝えなきゃ理解してもらえないのが世界だ。
そこで日本人はもっと自分を表現するすべを知るべきだろう。
自分を表現することはどういうことか。
普通言葉で表現する。
ところが今は、
facebookなどのSNSといった手段を通じて
誰でもが、自由に自分を表現できるのだ。
しかも無料で。
最近はyoutubeなどの動画が増えてきている。
さほど技術はいらず自分撮りで好き勝手に表現している。
ボクも例に漏れずそうした手段を使って自分を表現している。
曝(さら)け出しているといったほうがいいかもしれない。
このブログ、facebook,youtube,メルマガ、website(ホームページ)といった手段を使っている。
だがこれらは諸刃の刃だ。
自分だけならまだしも、他人を巻き込んだ時に問題は起きる。
肖像権というやつだ。
それから、著作権の問題もある。
悪意がなくても罰せられることもあるから要注意だ。
ボクの裸はどうか。
醜態を晒した。
それもこれも分かってやったことだ。
ボクのこのブログにしても、
惜しげもなく自らを綴っている。
こうして毎回醜態を晒しているわけだ。
小説家は自分の裸体を見せる覚悟が必要だという。
ボクはまだ小説家の域ではないが、
ブロガーであることは確かだ。
正直に自分の行動を晒し、想いを赤裸々に語っている。
これがモットー(motto)だ。
○○に行きました。
良かったです。
○○を食べました。
美味しかったです。
といった内容は単なる小学生の作文でしかない。
いや昨今の小学生だって書かない。
そこに想いを入れなければ意味がない。
少なくとも人の共感は得られない。
人の心は打たない。
ましてや、人を動かすことなどできない。
本音で熱く想いを語るとき、
賛否両論あったとしても、
何らかの形で人の心に響く。
「嘘も100回言えば本当になる」の謂れと同じく、
「バカも百回すればお利口さんにもなる」ことができるのだ。
またあいつがバカやってるよ、と言われていたのが
よくやるよ、から、
マジかよ、
本気かよ、となってくる。
夢も100回と言わず、1、000回人に語れば叶うはずだ。
出来なかったら恥ずかしいからと、
誰にも言わずこっそりやっても、
思った通り夢は実現しない。
出来ると思って取り組めば、出来るのだ。
自分を追い込み、覚悟を決めなければ夢は実現しない。
そのためにはヌードも辞さない?
それは冗談として、
恥を晒す覚悟がなければ、人を動かすことはできない。
【蛇足】
ヌードは女だけの武器ではない。
男だって武器になる?
そのためには、普段の鍛錬が必要となる。
頭も、心も、体も鍛えなければ何事も成就しない。
これは、奥ゆかしい日本文化がそうしていることであって
日本人の美徳の一つである。
言わずもがな(to say nothing of)、
以心伝心(telepathy)などがまかり通るのも日本独特の習慣によるものだろう。
多分欧米ではそれはオカルトの世界でしかない。
言わなきゃ分からない、
伝えなきゃ理解してもらえないのが世界だ。
そこで日本人はもっと自分を表現するすべを知るべきだろう。
自分を表現することはどういうことか。
普通言葉で表現する。
ところが今は、
facebookなどのSNSといった手段を通じて
誰でもが、自由に自分を表現できるのだ。
しかも無料で。
最近はyoutubeなどの動画が増えてきている。
さほど技術はいらず自分撮りで好き勝手に表現している。
ボクも例に漏れずそうした手段を使って自分を表現している。
曝(さら)け出しているといったほうがいいかもしれない。
このブログ、facebook,youtube,メルマガ、website(ホームページ)といった手段を使っている。
だがこれらは諸刃の刃だ。
自分だけならまだしも、他人を巻き込んだ時に問題は起きる。
肖像権というやつだ。
それから、著作権の問題もある。
悪意がなくても罰せられることもあるから要注意だ。
ボクの裸はどうか。
醜態を晒した。
それもこれも分かってやったことだ。
ボクのこのブログにしても、
惜しげもなく自らを綴っている。
こうして毎回醜態を晒しているわけだ。
小説家は自分の裸体を見せる覚悟が必要だという。
ボクはまだ小説家の域ではないが、
ブロガーであることは確かだ。
正直に自分の行動を晒し、想いを赤裸々に語っている。
これがモットー(motto)だ。
○○に行きました。
良かったです。
○○を食べました。
美味しかったです。
といった内容は単なる小学生の作文でしかない。
いや昨今の小学生だって書かない。
そこに想いを入れなければ意味がない。
少なくとも人の共感は得られない。
人の心は打たない。
ましてや、人を動かすことなどできない。
本音で熱く想いを語るとき、
賛否両論あったとしても、
何らかの形で人の心に響く。
「嘘も100回言えば本当になる」の謂れと同じく、
「バカも百回すればお利口さんにもなる」ことができるのだ。
またあいつがバカやってるよ、と言われていたのが
よくやるよ、から、
マジかよ、
本気かよ、となってくる。
夢も100回と言わず、1、000回人に語れば叶うはずだ。
出来なかったら恥ずかしいからと、
誰にも言わずこっそりやっても、
思った通り夢は実現しない。
出来ると思って取り組めば、出来るのだ。
自分を追い込み、覚悟を決めなければ夢は実現しない。
そのためにはヌードも辞さない?
それは冗談として、
恥を晒す覚悟がなければ、人を動かすことはできない。
【蛇足】
ヌードは女だけの武器ではない。
男だって武器になる?
そのためには、普段の鍛錬が必要となる。
頭も、心も、体も鍛えなければ何事も成就しない。