世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

悩み事

2014年05月12日 | ライフスタイル
雨が緑から滴り落ちる。

薫風に身を起き、雨音を聞きながらブログを認めている。


昨今、頭を悩ませている事柄がある。


自らの些事は言うまでもないが、

他人様のことが気になって仕方がない。


妬みや恨みではない。


昨日も書いたが、

今ボクの周りは心の病を抱えた人があまりにも多い。


その人たちをどうしたらいいものか、と。

救うというと思い上がりに聞こえるが、

自分に出来ることは何かとつい考え込んでしまう。


何とかしてあげたい、と思えば思うほど

力量のなさに打ちひしがれる。



健康と経済に不安がなければ、人は基本的に幸せになれるだろう。


だが、いつ健康を壊し、経済的困難に襲われるかは誰しも予測不可能である。


不安は尽きないが、今ボクは十分に幸せである。

これ以上自分自身の幸せは望まない。


だからこそ、人の幸せが気になる。

特に、心の病を持つ人は、幸せを実感しにくい。


なぜなら、幸せは金銭物質だけでは測れないからだ。

幸せは求めるものではなく、感じるものだから。


自分自身が感じるからといって、

他人にそれを強要することはできない。


「幸せを感じなさい」


頭で解っても、心から理解することは至難の業だ。


特に心を患っていればなおさらだろう。


自分の身の回りにいる人に

できるだけ寄り添い、

言葉をかけ、気にかけているだけしかボクにはできない。


生の声、心の叫びが聞こえるたびに、

どうしたらいいのか、考え込んでしまう。



ビジネスにおいても、

自分の利益しか考えない人が多い。


少なくとも自分の利益を最優先に考える。


当たり前と言えば当たり前かもしれない。


だが、それは本当に当たり前なのか。


自分は損をしてでも、

人の利益を最優先に考えるのはそんなにおかしいことなのだろうか。



「人は誰しも我が身が一番可愛い」とうそぶく人がいる。

それは否定しない。


それを人の身になって考えてみたらどうだろう。


あの人は「自分のことが一番可愛い」と思っている、と。


だったら、自分を捨てて、

あの人のことを一番に考えてあげたらどうなのか。


それが『愛』なのではないだろうか。


相手が望むもの。

それを叶えることができたら、その人はきっと幸せになれる。


その人の幸せな姿を見ることで、

自分自身も幸せになれる。


そうありたいと、ずっと考えている。


だけど、

相手の望むことを叶えるのは、

自分の望みを叶えるよりもずっと難しいことを知った。


つまり、

自分の席を確保するより、

他人に席を譲ることのほうが難しいのだ。


だが、こういう考え方もある。

他人に席を譲るためには、

まず自分の席を確保しなければならない。



自分の席を確保するために

熾烈で醜い争いを勝ち抜いてきた。


これからは、

それをどう譲るかが課題である。



人は、どんなにに幸せになっても悩みは尽きないものだ。

だが、その悩みこそが、より一層高みに押し上げてくれる。



人を山の頂に導くとき、

下から押し上げるやり方と、

自分が先に登って、引っ張り上げるやり方がある。


どちらも、目的は人を山の頂に登らせるためだ。

その心を失ってはいけない。



ボクは今まで、人を蹴落として自分だけが頂上を目指してきた。

これからは、引っ張り上げることに専念したい。



緑を叩く雨音が一層強くなってきた。

山林にいて心を鎮めるには、雨もまた良し。

(阿蘇の山奥にて)