こういう質問を受けた。
20代に何をなすべきか。
正解になる答はない。
あれば苦労はしないし後悔もしないだろう。
だが、言えることはある。
「後悔しないよう、やれる事はすべてやれ」、ということだ。
ただ、20代の時自分がどうだったか、
それを今どう思っているかは答えることができる。
全く後悔はない。
燃え尽きた20代だった、と思う。
だから、20代は20代で燃え尽きろと言いたい。
どう燃え尽きたのか。
ボクは一浪したため19歳で大学に入った。
そして、大学でも留年したため、24歳で卒業し、
かろうじて念願の総合商社に入った。
そして、30歳で脱サラし、今でいう起業した。
それから35年、紆余曲折はあったものの
ほぼ思い通りの人生を歩んでいる。
これまで歩んできた自分の人生に全く後悔はない。
あの時こうすればよかったとか、ああなればよかったという思いは一切ない。
これは本当だ。
もし生まれ変わっても、今までの人生を歩むだろう。
さて、20代の話に戻ろう。
前半は、大学時代と総合商社の新入社員。
浪人はしたものの思い通りの大学に入学し、
思い通りの(第一志望ではなかったが)総合商社に入社した。
だが大学時代の5年間が貴重だった。
浪人したことはボクを強くした。
挫折から一気に自信がついた人間に変身したのだ。
志望の大学へ入ったものの、
失望のもと、学生運動へとのめり込んでいった。
まともに学校に行ったのは一年間だけだった。
あとは、ゲバ棒と、と投石と火炎瓶に象徴される闘争と
資金を稼ぐためのバイトに明け暮れた。
通常の学生からは大きく逸脱していった。
もちろん、悩んだ、苦しんだ。
闘争に敗れ、キューバへの亡命も試みたが、失敗。
その過程で出会った女性と恋に落ちた。
そして結婚した。
学生結婚だった。
彼女のおかげで、復学し曲がりなりにも卒業した。
そして、高校時代からの憧れであった総合商社に入社した。
そして入社一年目、子供を授かった。
だが、どこでどう間違ったか、3年後、離婚。
その頃から、商社マンとしての生き方に疑問を持ち始め、
30歳で退職、
それと同時に再婚し、自営の道へ。
今思えば、あまりにも激動の20代であった。
浪人から、志望校へ入学、
失望から学生運動へ加担、
一旦は大学を離脱、亡命を企てるが失敗。
学生結婚、
憧れの総合商社に入社、
子供の誕生、
離婚、
脱サラ、
再婚。
20代の10年間にこれだけのことがあった。
そして、その何一つ後悔はないのだ。
なぜなら、その10年が今の自分を育て上げたからだ。
今までの自分に満足している。
あの時もっとこうしておけばよかったなどとは、思わない。
あの一連の出来事を経たからこそ、
今の自分がある。
そのどれ一つ欠けても、今の自分はないだろう。
今までの自分に不平不満、後悔はない。
だから、20代はあれで良かったし、
あれしかなかったと言える。
だから今の20代の君に言えることは、
30年後、後悔のないように過ごしなさい、ということしかない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とはいえ、経験上言えることがある。
学生時代数多くのバイトをこなした。
生きていくために。
ただただ必死だった。
少しでも稼ぎのいいものを見つけた。
血を売り、死体洗いもやった。
一日、3つのバイトを掛け持ちしたこともあった。
学生で起業したり、
勤めたことがない起業人も珍しくない昨今だが、
ボクは、サラリーマンになってわずか6年間だったが、
多くの勉強をさせてもらった。
しかも給料をもらいながら。
総合商社という会社に入ったことが良かった。
たった6年間の間に、
財務、為替業務を一年間やり、
営業へ。
鉄鉱石の輸入、
そして、石油化学関連の営業部へ。
繊維、車、医薬、食品といった多くの知識を身につけた。
金をもらって勉強をさせてもらえるのは、
学生とは180度違うことなのだ。
だから、何が言いたいのかというと、
経験上、
多くの職種の仕事を経験することと、
金をもらって勉強をする期間を持つこと
はいいことだ、ということだ。
一見、自分夢、やりたいこととは違うことかもしれない。
だが、それが役に立つ日、意味をなす日は必ず来る。
やってて良かった、と思うことばかりだ。
中高年になって、これを繰り返す人間もる。
つまり、転職人間だ。
こう言えばまだ聞こえはいいが、
要するに、起業もできず、転々と職を変え人に仕えて一生を終える。
それでいいというなら、一向に構わないが。
ボクは、そんな人生は嫌だ。
浪人、留年、離婚、退職といった
一般に不幸、気の毒と思われることが、
ボクにとっては大いなる福音となったことは皮肉なことなのかもしれない。
だが、人生とはそういうものなのかもしれない。
直接の答えにはなっていないと思う。
なぜなら、冒頭に言ったように、答えなんてそもそもないのだ。
同じ人生などとは、誰一人としてないのだ。
ボクのように生きろなどとは口が腐さっても言えない。
ただ、他山の石として、自分の信じる道を歩んで欲しい。
ボクは何一つ後悔はしていない。
だから、
30年後、40年後、絶対後悔しな20代を送って欲しい。
その時その場で、燃え尽きろ
転落から次のステップがある。
必死でやれば、願いは叶うことを知った。
願いが叶ったからといって、それは人生の成功を意味しない。
成功とは単なる通過点に過ぎないから。
死ぬまで心臓が止まらないように、
生きてるかぎり、歩みを止めてはならない。
10代後半からずっと抱いていた夢があった。
そしてそれは20代でも実現することはなかった。
しかし、絶対実現させたいと夢を抱き続けてきた。
そして、47歳でやっと実現させた。
それが、世界一周だった。
30年越しの夢。
だから、20代の君が抱いてる夢は
今すぐ実現できなくても、
諦めない限り、必ず実現できる、ということだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
小学校時代からずっと抱き続けた夢があった。
それは今も変わらない。
それは、
「海外」というキーワードだ。
君は、宇宙起業家(アストロプレナー)になるという。
そしてそれには、20代のうちに何をすべきだと思うか、と問う。
君のキーワードは「宇宙」だろう。
だから、そのキーワードをずっと持ち続けることが最も重要だと思う。
そうすれば、20代に何をすべきかは
その時点その時点で見えてくるはずだ。
失敗を恐れず、
目の前に飛び込んできた課題を、逃げずにこなすことだ。
それが試練であったら、挫折であったりするかもしれない。
だがそれはそれで天(宇宙)からのギフトであり、
君を成長させる最も効果的なものなのだ。
恐るな、逃げるな、
目の前に降りかかった難題に果敢に挑戦してほしい。
それが冒頭の「やれること」なのだ。
だからこう言い換えることができるだろう。
身に降りかかったことを全てこなせ。
そうすれば失敗しても決して後悔することはない。
むしろ特に20代は、失敗が大きな意味を持つ。
だから、あえて言おう。
20代は何をなすべきか。
「多くの失敗をしなさい」
20代に何をなすべきか。
正解になる答はない。
あれば苦労はしないし後悔もしないだろう。
だが、言えることはある。
「後悔しないよう、やれる事はすべてやれ」、ということだ。
ただ、20代の時自分がどうだったか、
それを今どう思っているかは答えることができる。
全く後悔はない。
燃え尽きた20代だった、と思う。
だから、20代は20代で燃え尽きろと言いたい。
どう燃え尽きたのか。
ボクは一浪したため19歳で大学に入った。
そして、大学でも留年したため、24歳で卒業し、
かろうじて念願の総合商社に入った。
そして、30歳で脱サラし、今でいう起業した。
それから35年、紆余曲折はあったものの
ほぼ思い通りの人生を歩んでいる。
これまで歩んできた自分の人生に全く後悔はない。
あの時こうすればよかったとか、ああなればよかったという思いは一切ない。
これは本当だ。
もし生まれ変わっても、今までの人生を歩むだろう。
さて、20代の話に戻ろう。
前半は、大学時代と総合商社の新入社員。
浪人はしたものの思い通りの大学に入学し、
思い通りの(第一志望ではなかったが)総合商社に入社した。
だが大学時代の5年間が貴重だった。
浪人したことはボクを強くした。
挫折から一気に自信がついた人間に変身したのだ。
志望の大学へ入ったものの、
失望のもと、学生運動へとのめり込んでいった。
まともに学校に行ったのは一年間だけだった。
あとは、ゲバ棒と、と投石と火炎瓶に象徴される闘争と
資金を稼ぐためのバイトに明け暮れた。
通常の学生からは大きく逸脱していった。
もちろん、悩んだ、苦しんだ。
闘争に敗れ、キューバへの亡命も試みたが、失敗。
その過程で出会った女性と恋に落ちた。
そして結婚した。
学生結婚だった。
彼女のおかげで、復学し曲がりなりにも卒業した。
そして、高校時代からの憧れであった総合商社に入社した。
そして入社一年目、子供を授かった。
だが、どこでどう間違ったか、3年後、離婚。
その頃から、商社マンとしての生き方に疑問を持ち始め、
30歳で退職、
それと同時に再婚し、自営の道へ。
今思えば、あまりにも激動の20代であった。
浪人から、志望校へ入学、
失望から学生運動へ加担、
一旦は大学を離脱、亡命を企てるが失敗。
学生結婚、
憧れの総合商社に入社、
子供の誕生、
離婚、
脱サラ、
再婚。
20代の10年間にこれだけのことがあった。
そして、その何一つ後悔はないのだ。
なぜなら、その10年が今の自分を育て上げたからだ。
今までの自分に満足している。
あの時もっとこうしておけばよかったなどとは、思わない。
あの一連の出来事を経たからこそ、
今の自分がある。
そのどれ一つ欠けても、今の自分はないだろう。
今までの自分に不平不満、後悔はない。
だから、20代はあれで良かったし、
あれしかなかったと言える。
だから今の20代の君に言えることは、
30年後、後悔のないように過ごしなさい、ということしかない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とはいえ、経験上言えることがある。
学生時代数多くのバイトをこなした。
生きていくために。
ただただ必死だった。
少しでも稼ぎのいいものを見つけた。
血を売り、死体洗いもやった。
一日、3つのバイトを掛け持ちしたこともあった。
学生で起業したり、
勤めたことがない起業人も珍しくない昨今だが、
ボクは、サラリーマンになってわずか6年間だったが、
多くの勉強をさせてもらった。
しかも給料をもらいながら。
総合商社という会社に入ったことが良かった。
たった6年間の間に、
財務、為替業務を一年間やり、
営業へ。
鉄鉱石の輸入、
そして、石油化学関連の営業部へ。
繊維、車、医薬、食品といった多くの知識を身につけた。
金をもらって勉強をさせてもらえるのは、
学生とは180度違うことなのだ。
だから、何が言いたいのかというと、
経験上、
多くの職種の仕事を経験することと、
金をもらって勉強をする期間を持つこと
はいいことだ、ということだ。
一見、自分夢、やりたいこととは違うことかもしれない。
だが、それが役に立つ日、意味をなす日は必ず来る。
やってて良かった、と思うことばかりだ。
中高年になって、これを繰り返す人間もる。
つまり、転職人間だ。
こう言えばまだ聞こえはいいが、
要するに、起業もできず、転々と職を変え人に仕えて一生を終える。
それでいいというなら、一向に構わないが。
ボクは、そんな人生は嫌だ。
浪人、留年、離婚、退職といった
一般に不幸、気の毒と思われることが、
ボクにとっては大いなる福音となったことは皮肉なことなのかもしれない。
だが、人生とはそういうものなのかもしれない。
直接の答えにはなっていないと思う。
なぜなら、冒頭に言ったように、答えなんてそもそもないのだ。
同じ人生などとは、誰一人としてないのだ。
ボクのように生きろなどとは口が腐さっても言えない。
ただ、他山の石として、自分の信じる道を歩んで欲しい。
ボクは何一つ後悔はしていない。
だから、
30年後、40年後、絶対後悔しな20代を送って欲しい。
その時その場で、燃え尽きろ
転落から次のステップがある。
必死でやれば、願いは叶うことを知った。
願いが叶ったからといって、それは人生の成功を意味しない。
成功とは単なる通過点に過ぎないから。
死ぬまで心臓が止まらないように、
生きてるかぎり、歩みを止めてはならない。
10代後半からずっと抱いていた夢があった。
そしてそれは20代でも実現することはなかった。
しかし、絶対実現させたいと夢を抱き続けてきた。
そして、47歳でやっと実現させた。
それが、世界一周だった。
30年越しの夢。
だから、20代の君が抱いてる夢は
今すぐ実現できなくても、
諦めない限り、必ず実現できる、ということだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
小学校時代からずっと抱き続けた夢があった。
それは今も変わらない。
それは、
「海外」というキーワードだ。
君は、宇宙起業家(アストロプレナー)になるという。
そしてそれには、20代のうちに何をすべきだと思うか、と問う。
君のキーワードは「宇宙」だろう。
だから、そのキーワードをずっと持ち続けることが最も重要だと思う。
そうすれば、20代に何をすべきかは
その時点その時点で見えてくるはずだ。
失敗を恐れず、
目の前に飛び込んできた課題を、逃げずにこなすことだ。
それが試練であったら、挫折であったりするかもしれない。
だがそれはそれで天(宇宙)からのギフトであり、
君を成長させる最も効果的なものなのだ。
恐るな、逃げるな、
目の前に降りかかった難題に果敢に挑戦してほしい。
それが冒頭の「やれること」なのだ。
だからこう言い換えることができるだろう。
身に降りかかったことを全てこなせ。
そうすれば失敗しても決して後悔することはない。
むしろ特に20代は、失敗が大きな意味を持つ。
だから、あえて言おう。
20代は何をなすべきか。
「多くの失敗をしなさい」