世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

2月20日(木)のつぶやき

2014年02月21日 | 音楽

ミッションとギフト

2014年02月20日 | ライフスタイル
人は皆、

それぞれの使命と才能を与えられて生まれてくる。


だが最初は、その使命が何か、

才能が何かは分からない。


それを見つけるために、勉学に勤しむのだ。


基礎知識をつけ、

経験を積む中でそれは少しずつ正体を現す。


だが、それが分かったところで、

それはまだ原石のままなのだ。


磨くこと、すなわち研鑽することで初めて光りだす。



残念なことに、

多くの人がそれに気づかぬうちに一生を終える。


それは、安逸(idleness)な方向に流れてしまうからだ。


快楽を求めたり、

悪の方向に進んでしまう。


また、自分に与えられた使命やギフトに気づいても

それを光らせるにはこれまた血の出るような努力が必要となる。


なかなか芽が出ない。

そこで、自分には才能がないと思って諦めてしまう。


たぶん、

100人に10人の人がそれに気づき、

その中の一人の人がそれを光らせることができるくらいの確率ではないのだろうか。


そしてまたその中のごく少数の人が

世の中から認められて

表彰を受けたり記録を打ち立てたりするのではないだろうか。


オリンピックの選手などはその良い例かもしれない。

アスリートと言わず、

芸術家や、医学者、政界、経済界でも、どんな分野においてもそれは言えるだろう。



一般的に言えることは、

我々は、誰かを幸せにするために、

あるいは、誰かを喜ばすために生まれてくるのということだ。


それは、多くの人であったり、複数の人である必要はない。


たったひとりの人を幸せにするだけでいい。

たったひとりの人に喜んでもらうだけでいいのではないか。



「本当に幸福になれる者は、

人に奉仕する道を探し求め、ついにそれを見出した者である」

                 (シュバイツアー)



ボクは今まで、誰を幸せにし、誰を不幸にしてきただろうか。


今、誰を幸せにしようとしているだろうか。


そして、これから誰を幸せにしようとするのだろうか。


そのために、どんな努力をしているのか。



人生とは、

幸せ探しの旅ではない。

自分が幸せにする人を探す旅なのである。


それを履き違えるから、なかなか見つからないのだ。


自分ひとりが幸せになることはありえない。


誰かを幸せにして初めて、

幸福感が得られるのだ。


幸せは形を成すものではない。

あくまでも感覚の問題である。


幸せと感じる人はすべからく幸せなのだ。



あなたには、幸せにしたい誰かがいますか?

あるいはこれからその人を探し出せますか?


青い鳥は案外身近にいたりする。


時には立ち止まって

足元を見てはいかが?



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それぞれの人の役割には

それぞれのテリトリーがある。


地域にある人、世界を相手にする人。

どちらが良い悪いの問題ではない。


多くの人を幸せにする人も、たったひとりの人に賭ける人も

その重みに変わりはない。



たまたまボクは英語というギフトを頂いた。

だからボクのテリトリーは世界中にまたがる。


その中でも、何かの縁で、いま東南アジア、

中でもベトナムにフォーカスしているまでだ。


先日までは、フィリピンにもフォーカスしていた。

テリトリーは変わり、広がっていくものだ。



英語というギフトはすべからく与えられている。

あとは磨くかどうかにかかっている。


その場所は、言うまでもなく

フリートークである。


集え、フリートークへ。

(最後はコマーシャルになってしまった(^O^))

恋とビジネスの共通点

2014年02月19日 | 
恋のできない人間は、仕事もできない。

仕事ができない人間は、恋もできない。


一般にそういう傾向がある。



あるメルマガによれば、

恋をしてる状態は脳科学的には

「最高の状態」にあるといわれる。


なぜなら、恋した脳には「ドーパミン」という

脳内物質が分泌されるからだ。


そのドーパミンは、

脳に対して、やる気を出すように指示をする物質である。


ゆえに「やる気のホルモン」とも呼ばれ、

人間の運動機能やホルモンの分泌をコントロールし、

「快」を感じさせる物質である。


「快」はやる気につながる動的な心地よさで、

強い意志、高い集中力を与え

楽観的ポジティブ思考に導びく。



だから、恋愛中のドキドキやワクワクは

このホルモンの効果なのだ。


逆に、ドーパミンが少ない場合には、

仕事に対して集中力が落ちたり、やる気が薄れてしまう。


また、物事を忘れっぽくなったり、

人とのコミュニケーションがうまくいかなくなってしまう。



だから、ドキドキするような恋のように、

ドキドキするような仕事をしよう。



恋愛も夢も仕事も同じ。

すべては「情熱」が不可欠。



「情熱」とはワクワクしている心の状態。



このワクワク感を持続するためにも、

「恋脳」を持つことが必要となる。


「惚れ薬」を煎じて飲もう。

ボクはいつも飲んでいるから、

惚れっぽくて困る。


まあ、誰にも恋心を抱けないような

砂を噛むような味気ない生活よりマシだろう。



恋をするようにビジネスをし、

ビジネスをするように恋をしよう。



【補足】


ご希望の方に、「惚れ薬」お分けします。



捨て身で行こう (get at the risk of my life)

2014年02月18日 | 苦境
これからの自分の生きる道がわかったような気がした。


尽くす。

人に尽くすことだ。


自分のことはさておいて、人のために生きることだと知った。

出会う人、出会う人の為に片っ端から何かできることをする。


しかも見返りを求めず。


愛をあげると言ったら偉そうに聞こえるかもしれない。

「愛をかける」、と言えばいいのか。


「声をかける」と同じ感覚だ。





それが何なのか、具体的になんなのかはあまりわからなかった。

今ではなんとなくわかってきたような気がする。


ここへ来ておぼろげながらそれが見えてきた。


人の喜ぶ顔が一番嬉しい、ということに気づいたのだ。




今、非常に悩みを抱えた人が多い。

それは、ストレスフルな社会がそうさせているのかもしれない。


そして、その悩みを打ち明ける人がいない。

軽ーくつながっている人は大勢いるかもしれない。


だけど、心から話せる人がどれだけいるのか。

真剣に聞いてくれる人がどれだけいるのか。



それを聞くことも自分の役目だと気づいた。


人の喜ぶ顔、

今はこれが生きがいだ。


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人は切羽詰った(at the risk of one's life)時が勝負なのだ。


もうダメだと思うとき、どういう行動に出るか。


これがその人の人生を決めると言っても過言ではない。



自暴自棄(desperate)になる人。


諦めてしまう( abandoned)人。


そんな時、背水の陣をしく( burn one's boats [bridges] (behind one))てみてはどうだろう。


切羽詰まる (be driven into a corner [to the wall])った時、

退路を断つ (to cut off the retreat)のだ。


そうすると火事場の馬鹿力 (fight or flight response)

some hidden strength in oneself(隠れた力)が出る。


自ら修羅場 (bloodshed、bloodbath、 carnage、 hell)を演出するのいいかもしれない。



そうすると、どこからか救世主が現れる。

もちろん、「人に尽くす」ことを第一に考えてのことだが。




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ところが中には、人の好意をアダで返す人がいる。

とても残念なことだ。


それでもボクは謝る。

お礼や見返りは求めないが、

仇(アダ)という返礼はもっと必要ないというのに。


それでもその人のために何かをしてあげようと思う。

が、モチベーションが下がるのは致し方ない。



時にボクは感情移入(empathy )してしまうことがある。


それはボクの良いところでもあると思っているが、

時に逆効果になることがある。


恨みを買ってしまうのだ。



自分の夢に人を巻き込むな、と言われた。

確かにそういうキライがあることは否定できない。


ボクの夢は、結構壮大すぎて実現不可能と思われやすいのだ。


世界中の人と友達になる。

世界平和。


そんなことが出来るわけがない、と。


端から諦めている。


やろうともしないで、出来ないと決めつける。

そういう人からの非難の声があることは充分承知している。



それでもあえてボクは自分の挑戦をやめようと思わない。

どう思われようとも、ボクは自分の信じた道をいく。


その道が、

「人に尽くす」、ということだ。




ボクは、男女厭わずその気持ちを抱く。


だが中には、見返りを求めているのではと誤解される。

特に女性の場合。

その見返りとは言うまでもなく、体だ。


特にそれに関しては、皆無だ。


ただ、相手から差し出された場合はその域ではない。

もちろんそれでも断ることが多いが、頂くこともないことはない。

希(まれ)だが。


こうして書かなくても良いことまで書いてしまうことも

ボクの大きな欠点であると自覚しているが、

また長所だとも思っている。



赤裸々に告白することが

このブログの本来の趣旨なのだから。


批判、非難は覚悟の上だ。


また、そうでなければ、「人に尽くす」ことなどできない。


まだまだボクは進化し続けるだろう。


今はまだ人生という「旅の途上」だから。


What can I do for you?

娘の誕生日

2014年02月17日 | 家族
今日は下の娘の23回目の誕生日だ。




その娘とは、1年半会っていない。

音信も不通である。


風の便りでは、ニューヨークから帰国し、

東京に住み、東京ディズニーランドで踊っていると聞く。


元気で頑張っていればそれでいい。


1991年、2月17日、

娘は、熊本市内の病院で生まれ。


その時は、ボクたち家族は大分県の久住高原に住んでいた。

標高900m。


メリーファームというゲストランチ(観光牧場)を営んでいた。


ちょうど今と同じように大雪だった。

雪の中、危険を顧みず、赤ん坊を連れて車で連れて帰った。


久住高原での14年間の暮らしは、

家族4人で、自然の恩恵と厳しさを全て受けながら過ごした忘れられない貴重な時期だった。


馬5頭、羊数等、犬、その他、ヤギやうさぎ、など多くの動物に囲まれて

映画のアドベンチャー・ファミリーのような生活をしていた。



その年の9月、

大きな台風19号に襲われ、その施設の殆どを飛ばされてしまった。、

赤ん坊だった娘を抱いて、6歳の息子の手を引き避難所へと逃れ、九死に一生を得た。



それから、1994年2月、娘の4歳の誕生日を祝って、世界一周の旅へと出かけたのだ。

息子は10歳だった。


それから家族4人、400日間の世界一周の旅が始まった。

家族4人の世界一周は史上初、その娘は世界一周最年少記録を持つ。

(こういうことを書くと、娘は嫌がるんだけど)


4歳から5歳にかけて世界一周をした子供は、ボクの知るところ未だいない。


世界一周の時も、

ニューヨークには2ヶ月間住んだ。

ブローウェイにほど近い42丁目のコンドミニアムで家族4人暮らした。


その時も、娘の手を引き、足繁くブロードウェイには通ったものだ。



その娘は、小学校に入ると、バレエにのめり込んでいった。

そして、高校を卒業すると同時に、

ニューヨークのブロードウェイへと挑戦の旅に出たのだ。



それから3年余りを経た、一昨年の7月、ニューヨーカーと結婚した。


その時、セントラルパークでの結婚式に参列すべくニューヨーク入りしたボクは、

相手の家族と大喧嘩をして、結局式に出ず、泣く泣く帰ってしまった。


その経緯(いきさつ)は、当時のブログに事細かに記(しる)している。


それ以来、娘は消息を絶った。



ちょうど今、サンフランシスコに住む息子が一時帰国中である。

まだ、東京にいて、一緒に誕生日を祝っているはずだ。

今週には熊本に帰ってくるという。


彼とも、その時ニューヨークで会ったきりなので、1年半ぶりの再会となるだろう。



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昨夜、テレビドラマ”SMASH"をBS放送のDLIFEで見た。

最終回だった。


”SMASH”は、

ニューヨーク・ブロードウェイを舞台に、

マリリン・モンローのミュージカル「ボムシェル」の製作における舞台裏とその人間模様を描いている。


スティーブン・スピルバーグが製作総指揮を務め、

映画「ヘアスプレー」や、「シカゴ」の製作陣が参加し、

ショウビズ界、演劇界で活躍する第一級クリエーターたちが集結した話題作だ。。


2112年から13年にかけ、

全米の女性たちが熱狂!心揺さぶる夢と衝撃のショービズ・サバイバル・ドラマ。

ブロードウェイ・ミュージカル製作の舞台裏 と人間模様を、リアルにドラマティックに描いている。


今は日本でもDVDが出ていると思うが、

無料のDLIFEで、ボクはほぼ全部(シーズン1、2)を見て、陶酔した。


最終回の昨夜は、不覚にも涙してしまった。



娘は、ブロードウェイの舞台に立つことはできなかったかもしれないいが、

そこでこうして3年8ヶ月の間、頑張たんだなーと思うと、

自然に涙が溢れだしたのだ。



いつまた会えるのか。

会いたい。


東京ディズニーランドのパレードで踊っている娘の姿を見てみたい。



メールでは、お祝いのメッセージは送ったが、

さて、読んでくれるだろうか。


ここでも伝えよう。


"Happy Birthday! Chieli"


【補足】

写真は娘のfacebookから、勝手に拝借した。

「勝手に載せないで!」って怒られるだろうな。


でも、それでも連絡してきてくれるなら、嬉しいから。


彼女は、ニューヨークから帰国後、

一旦、熊本の実家(自宅)にいた。


そのことは分かっていたが、あえて会いに行かなかった。

すぐそこにいるのに。


まあ、元気でいればいい。


ただ、あえて東京に出たことは、

放射能の危険にさらされていることを考えると、

とても心配だ。



【追記】

上の娘(前妻との子供)との再会も23年間待ったのだ。

今は、いつでも連絡を取り合っている。


奇遇にも同じアメリカ人と結婚して、子供も3人授かり、

大阪で幸せな家庭生活を営んでいる。


その娘婿とはボクは適当に連絡を取り合ったりして、うまくいっている。。

東南アジア最新情報

2014年02月16日 | 国際
カンボジアの首都プノンペンにいる友人から連絡が来た。


「こちらプノンペン市内でもカフェー戦争です。

brownカフェー店をはじめたくさんのカフェー店がオープンし飽和状態の様子でもあります。


これからはヤンゴン(ミャンマーの首都)市内でしょうか。

650万の人口を抱えている町で

バンコックに引けをとらない大きさなので面白い投資先としては魅力ですね。

一杯のコヒーが2,50$~3,00$ですからビジネスとしてもおもしろいですね」



彼は現在プノンペンで寿司バーを営んでいる。

その前は、ベトナムのホーチミンで居酒屋を経営していた。


ベトナムでの経営に見切りをつけて2年ほど前に、

プノンペンへと越していった。


カンボジアは、ベトナムについで東南アジアの中では好きな国だ。

特に、アンコールワットのある町シエムリアップは大好きだ。


人口が少ないのが不安材料だが、まだまだ未開の地でビジネスチャンスはいっぱいある。


Hurry up!


ただ、彼が言うように、カフェはもう限界らしい。

ホテル業に至っては、もっと飽和状態で価格競争から値崩れがしている。


大体US$10台でそこそこのホテルには泊まれる。


ベトナムのホテルも価格は安い($20台)が、まだまだホテル業界にもビジネスチャンスは残っている。



彼が言うように、これからはミャンマーが面白い。

一刻も早く視察に行きたい。

ボクのミャンマーでの狙いは、ホテル業だ。

もちろん、レストランやカフェ、サロンなども併設する。


できるだけ早いうちに視察ツアーを組んで訪れたい。




来年にはASEANが経済統合されることになっている。

それまでにはできるだけ多く地に橋頭堡を築きあげたい。



ところで国選びの基準となる要素を列挙しておこう。


人口、気候(自然災害の可能性)、宗教、食べ物(アルコール状況)、物価(人件費)、治安(テロの危険性)、

人柄(女性)、衣装、住居、インフラ、景観(美観)、観光地(外国人の入り込み数)、

交通の利便性(日本からの距離)、時差、体制(政治)、

そして経済動向(GNP)などなど。


その中でもボクが注目するのは、

人口と宗教と気候、治安、人柄だ。


それぞれの要素は言うまでもないが微妙に絡み合っている。


東南アジアの国々は、どこも成長率はまだまだ高止まりしている。

ただ、伸びのピークは越え、インフレが蔓延し、物価が上がり、人件費もそれに応じて上がっている。


それも、国に応じて差はある。


現時点でも、シンガポールは高く、ほぼ先進国といってもいいだろう。

国土も狭く、資金運用としての優位性はあるもののビジネスチャンスは少ないだろう。


むしろマレイシアの不動産とと抱き合わせで考えるのが得策だと思われる。



ビジネスを手がけるということは、

移住するか、中・長期滞在を余儀なくされ、

少なくとも足繁く通うわざるを得ない。


そのためにも、アクセスや気候、景観などは重要な要素となる。


政治体制と治安もビジネスを展開するうえで考慮しておかねば、

チャイナリスクのようなことになりかねない。


中国に関しては、既に不動産バブルは崩壊しているが

当局はそれをひた隠しにしていると見るのが妥当だろう。

中国からは早々に手を引くのが賢明だ。


そのシフト先が東南アジアということになるのだが、

常にリスクヘッジを心がけておかねばならないことは言うまでもない。


タイやインドネシアも成長しているが、

政情不安や自然災害の危険にさらされる可能性が高い。

加えて、新興国の通貨危機が叫ばれ、

ブラジル、インドに加えてタイもインドネシアも危険水準にあると言われている。


フィリピンは東南アジアの中で、唯一のキリスト教国家であり、英語を第二言語とする国である。

ただ、先日の大型台風の被害や銃社会であるという治安の悪さがネックになっている。


そうしてみてくると、結論はベトナムが総合点で一位になるということに行き着く。

共産党一党独紙の社会主義国であるからして、

言論の自由度は中国と並んで世界でも下位クラスに位置している。


それでも一般庶民レベルでは、自由度を満喫しているように見えるには不思議だ。


あとは、食べ物の好みや男性にとっては女性の美しさの度合いなども気になるところだろう。



そういった基準で、自分の好みにあった国を選び、進出・起業を考えてもらいたい。

いずれにしても、日本だけにとどまっている時代ではない。


まずは自分の気になる国に出かけてみることだ。

そして実態を知った上で、何をするかということを決めるべきだろう。


時間はあっという間に過ぎていく。

Time is runnning out.


一日一日安穏と過ごしていると、気がついたときには手遅れになっているということになりかねない。


Hurry up!



【追記】


最新ニュースです。



 新興国の外貨準備が減少している。

マネー流出で急落した自国通貨を買い支えよう と

米国債など保有する外貨資産を売っているためだ。


5、6月の2カ月で

インドネシアの外貨準備は8.5%、インドは4%、ブラジルは2.4%減少した。


米連邦準備理事会(FRB)のバーナンキ議長が5月に量的緩和縮小に言及したのが引き金だ。

新興国は通貨安に伴うインフレで景気が減速する新たな課題に直面している。







種の起源 スピーシーズ

2014年02月15日 | 人生
生物の必要最低限のノルマは、

種の存続にある。


つまり、子孫を残すことだ。


ご存知、On the Origin of Species"「種の起源」は、


イギリスのチャールズ・ダーウィンにより1859年11月24日(安政6年11月1日)に出版された進化論についての著作である。


彼は自然選択によって、生物は常に環境に適応するように変化し、

生存競争、適者生存などのフレーズを用いて

種が分岐して多様な種が生じると主張した。


彼の言う自然選択とは、

「(1)生物がもつ性質は個体間に違いがあり、

(2)その一部は親から子に伝えられ、

(3)環境収容力が繁殖力よりも小さいため生まれた子の一部しか生存・繁殖できない。


性質の違いに応じて次世代に子を残す平均的能力に差が生じるので、

有利な個体が持つ性質が維持・拡散するというメカニズム」 である。


つまり、

生物は自然淘汰によって 適者が生存し、それが蓄積されて進化すると唱えたものだ。


彼の進化論には賛否が分かれるが、

この地球上に生き残るのは、

強いものではなく、変化に対応(適応)できるものであるということになる。


つまり、竹のように靭(しな)やかで強(したた)かさが要求されるのだ。


現代社会のように変化が激しい時代においては、

サバイバル力はこの変化への適応力にかかっているといえよう。



人類の使命としては、

まず子孫を残すことだろう。


その点においては、まずまず合格点だ。

そして彼らにもまた、その種を残すことを教えた。


現代社会は、それすらも不可能にする恐怖を含んでいる。




鮭やカマキリ、またはカゲロウのように

交尾のあとで死んでしまう生き物がいる。



植物や一部の魚類、そして一部の有袋類の雄にとって

交尾は非常にストレスが多い死に物狂いの行為なので、

文字通り「死」に至ってしまうという。


雌が相手を選ばずに不特定多数と交尾しようとすることが、

この「自殺的」行為を後押ししているのだというから驚きだ。


雄の「集団死」が起きるのは、

雌から交尾の誘いがある年に1回の短い繁殖期に、

自分の精子を確実に成功に導くための並々ならぬ努力のせいだということに至っては恐れ入ってしまう。



「生殖には常に代償が伴う。

生殖は多大なエネルギーが必要な行動だ」という説には納得。


これら一部の有袋類の雄は、

交尾に没頭しすぎるために男性ホルモンのテストステロンのレベルが高くなり、

これが引き金となってストレスホルモンがねずみ算的に増加する「カスケード効果」が発生する。


このストレスホルモンの急激な増加により、

体内組織が破壊され、免疫系が崩壊するという。



また、「一度に多数の雌と12~14時間も交尾を行い、競争のように交尾するために筋力と体内組織の限りを尽くし、

持てるエネルギーのすべてを使い切る。

雄たちはこうした究極の方法で交尾して、自らの命を絶つのだ」という。


なんという涙ぐましい行為だろうか。



もし人間もこうであるなら、人類の歴史はまた違ったものになっていただろう。


腹上死を良しとするものにとっては、

それもまた有りかなとも思う。


ただ、一回ポッキリは止めてほしい、のが本音か?



「生殖には常に代償が伴う」というくだりは、

人間にも当てはまるから笑ってしまう。




なんの話をしているのかわからなくなった。


そう、子孫を残すという役割を果たし、

子供たちが自立してしまった今、自分に残された道は何か、ということだった。



それは、


恩返しに尽きる。


これだけ人としての幸せを頂いたのだから、

あとはその恩をお返しするのが筋だろう。


そして忘れてならないのは、

償い。


「愛を償えば別れになる」

これはテレサ・テンの♪つぐない♪の歌詞だ。


「だけど、忘れないでね」と何を身勝手な。


今はこの気持ち、わかる。



あちこちで子孫を残し、

償いの旅に出るとするか。


そして交尾の果てに、文字通り果てる。


最後まで馬鹿な人生を演じてしまうのか。

救いようのない、人生。


ならば懺悔の旅がいいのかも。


どれもこれも怪しさが伴うのは、なぜ?


たかが人生、されど人生。


かくして結論はまた持ち越しとなった。



【蛇足】

次のカラオケは、

♪愛はかげろう♪ でも歌うか。

生き抜く力

2014年02月14日 | 人生
生きる力ではない。


我々は生きているのではなく、生かされている、と思っている。


この世に生を受けたのも、

それぞれひとりひとりの役割があってのことなのだ。


五体満足であれば最高だが、産まれながらに障害や奇形を伴う人もいる。

それはそれで意味があるのかもしれない。

若くして天に召される人もあれば、天寿を全うする人もいる。


生まれてくるものは親を選べないが、それぞれの親から生まれるにも意味があってのことだろう。



ボクは充分生きた。

二度の結婚と三人の子供、三人の孫を持ち、子供たちは大人になりそれぞれが自立した。


父親としては失格かもしれないが、

曲がりなりにも最低限の責任は果たせたのかな、と思う。

そう思いたい。



ただ、幸か不幸かボクはまだ生きている。

しかも元気だ、今の所。


少なくとも生があるうちは、その役割を全うしなければならない。


ではその役割とは何か。

ボクがこの世に生を受けた意味はなんなのか。


何のために生まれてきたのか。


誰しもがぶつかる大きな課題だ。



歴史に名を残す人は、あたかもその史実に基づいて生まれてきたかのように見える。

しかし本当にそうなのか。


特に医学や芸術の世界で名を残した人物は、その道のために生まれてきたのかもしれない。

政治や宗教の面で活躍(?)した人の中には、争いに終始した人も多かろう。


文学は人に示唆を与えるが、当の本人は苦しみ抜いた人が少なからずいる。

太宰や川端、ヘミングウェイはどうだったのか。


作家が為政を行ってはいけない。

最近では田中、石原、猪瀬等がそれを証明している。


使命を履き違えると不幸な結末を迎えることにもなりかねない。



「餅は餅屋」という言葉がある。

every man knows his own business best;

one should go to specialists for the best results


A specialist has his own strength.

Every man to his trade.




だから、自分はどうだ。


ボクは、地球上に人間として生を受け

日本人で男として生まれ、

五体満足で熊本に育った。



これにはどんな意味があるのか。

あるいはさして意味はないのか。


あると思う。

ある意味、選ばれし生の受け方なのではないのか。


なぜなら日本人でよかった、

中でも、熊本人でよかった、

男でよかったと思っているから。


次に生まれるとするなら、

人間になるという保証はどこにもない。


ゴキブリかもしれない。

ドブネズミかもしれない。

あるいは、ムカデや蠍かもしれない。

もしかして、目に見えない細菌かもしれない。


人間として生まれても、

アフリカのコンゴ人で女になっているかもしれない。


別にそれが悪いといっているのではない。



ただ、ボクは日本人で熊本人で男でよかったと心から思っている。

誇りに思っている。

それだけでも幸せだと思っている。



では、その役割はなんなのか。

残り少ない生涯に課せられた使命とは?



ここでテレビの取材が入った。

お昼寝カフェの取材だ。


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