世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

尖閣もこうなる!100ミリ砲でベトナム領を無理やり奪い取った中国!

2014年05月16日 | 音楽
尖閣もこうなる!100ミリ砲でベトナム領を無理やり奪い取った中国!



1988年、この事実を知れば、

今起きているベトナムと中国の関係が明らかになる。


そしてそれは、即日本にも当てはまる。


だからといって、

安倍内閣が進めようとしている集団的自衛権の行使を

許してはいけない。


それは即日本がいつかきた道を再び歩むことを意味している。


あなたは戦争をしたいですか。


あなた自身、

あるいはあなたの愛する人を戦地へ送りたいですか。


降りかかる火の粉は払わなければならない。


だが、こちらから火をつける必要はどこにもない。


非暴力でも平和を勝ち取れることは歴史が証明している。

バカと同じ土俵に上がってはいけない。

それは同じバカになることと変わりはないからだ。


愚かな国は、自ら崩壊する。

必ず。


日本人はもっと賢くならなければならない。

日本国旗は、平和のみ旗であることを証明しなければならない。


どんなことがあっても人を傷つけてはいけない。

傷付けることなく、平和を推し進める方法を考えるべき時なのだ。


でなければ、日本人もどこかの愚かな国民と同じになってしまうだろう。


よーく考えて行動に移すときが来た。


Stay smart!

日本人とは

2014年05月15日 | 国際
どうも世界のきな臭さが増している。


あのベトナムでも反中の暴動が起きた。

もちろん中国のせいだが。

あのというのは、同じ社会主義国なのにどうして仲が悪いのだろうか。


どうやら中国はアメリカ以上に世界の嫌われ者らしい。



尖閣でも同じことが起きているのに

日本ではなぜ暴動は起きないのか。


第二次世界大戦でギャフンと言わされ、

学生パワーも70年安保闘争で潰されてしまった。


その後は、空前の経済成長を遂げ

ものの豊かさとともに日本人の牙は完全に抜かれてしまったのだろう。



日本人は太古の昔から調和の精神を培い、

勤勉を由としてきた。


正直さと精緻さのもとに技術力と信頼性を勝ち取ったのだ。



国を比較するのにはいくつかの基準が設けられている。

経済成長時代の豊かさの基準はGNP(国民総生産)だった。


ところが、心の豊かさを示すGNH(国民総幸福度)がブータンから示されると

雪崩をうって豊かさの方向性が変わっていった。


いま、GNMなるものを設けて測るとするならば

日本は世界一になるだろう。


GNM(Gross National Moral) とは国民総道徳度とでもいおうか、

ボクが勝手に作ったものだ。


東北の大震災での日本人の行動は世界で高く評価された。

「もったいない」や「おもてなし」の精神も日本の道徳観に基づくものだろう。


日本でも原発反対などのデモが散発的には行われているが

非常に整然としていて、お祭りイベント的なものになってしまっているようだ。


シュプレヒコールの声も小さい。

ジグザグでももない。


暴力や破壊工作はいけない。

70年代までの学生運動も、

リンチや内ゲバ、テロ行為になって大衆から見放されていった。


ボクも、ゲバ棒を持ち、火炎瓶を投げたクチだから身をもって体験している。

だが、若さのエネルギーを発散するには不謹慎ながら最高だったのだ。


今の若者は(あまり使いたくない言葉だが)

エネルギーを封印されているようで可哀想に映る。



日本においては、

憲法21条1項で、

「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、 これを保障する。」とされている。


憲法(19条)の思想・良心の自由もある。


だから、暴力に訴えなくてもいろんな形で意見を訴えることができる。


だが、国境を越えて押し寄せてくる圧力にはどう対抗すればいいのか。


特に、上記の自由のない国においては尚の事だ。


先日上海に行った時にも、

若者たちが10人ほどたむろしているだけで、

公安が二人寄ってきて監視している光景に出くわした。


中国国内においてもウイグル人やチベット人は差別のもとに置かれている。

雲南省に住む約900人のウイグル人が忽然と姿を消されている。


嘘とごまかしとゴリ押しがまかり通る国につける薬はあるのか。




もうひとつ、

ベトナムは平均年齢が28歳とも言われる若者の国だ。

一方日本人の平均年齢は、47歳という。


エネルギーが違うわけだ。



大人の国と子供の国といえば、日本には聞こえはいいが、

良し悪しは別としてこれが成熟国家(年寄り国家)と新興国(若者国家)の違いの表れの一つだろう。

侵略国家とどう付き合うか

2014年05月14日 | 国際
中国とベトナムの関係が悪化している。


原因は、言うまでもなく、中国の南沙諸島への侵略行為だ。

それに対し、ベトナムが激しく抵抗している。


これは、日中の尖閣問題とほぼ同じ図式に当たるだろう。

中国は資源の確保のため身の振り構わず海洋へと侵略行為に打って出ている。


それに対してベトナムは毅然として戦う姿勢を見せている。

それは政府に留まらず、今や国民にも飛び火している。


南部の有名なリゾート地、ナチャンではホテルやバーが中国人を締め出し始めた。


そして、ホーチミンに住むベトナム人の友人から以下のようなメッセージが昨日入った。


「今日の出来事ですが、

自分の勤め先の周りにある工業団地内にある中国系企業は千人規模のデモ隊にやられてひどい有り様でした。

うちの企業にも入りましたが幸い日系なので物を壊されただけでした。

警察もミテルダケの状態でした」


日本でもベトナム人の抗議デモがあったばかりだ。



尖閣問題も同じでありながら、

日本人はこうした目だった動きを見せていない。



政府間ベースではもっと毅然とした対応が必要だと思うが、

民間ベースでは、温和な対応が求められる。


中国も韓国も、個人的には良い人が多い。

在日外国人をターゲットにすべきではない。


ただし、中国大使館へのデモは行うべきだろう。

それは抗議の意思を伝えるためであって、

暴力や破壊工作はもってのほかだ。


幸か不幸か、日本は島国であり、どことも陸続きの国境を接していない。


だが、他のほとんどの国は陸続きで国境を接する。

この危機感は日本人には想像できないだろう。


歴史上、ほとんどの国が他国の侵略にあっている。

日本は、第二次大戦後一時的にアメリカの支配下に置かれたものの

ほとんど他国からの侵略を経験していない。


中国のある高官は、日本との戦争も厭わないといった発言をしている。

それは日本にもいる。


戦争は絶対にすべきではない。

だからといって日本人の平和ボケは救いようのないところまで来ている。


それを見透かすかのように、

安倍内閣は集団的自衛権を行使しようとしている。


侵略行為は断固として阻止しなければならないが、

打って出るだけの意味はない。



日本は、西欧の列強からアジアを守るみ旗の下、

事実上のアジア侵略を犯した。


もちろん、アジア諸国の独立に大いに貢献したことも事実だが、

日本人の犠牲者はあまりにも多かった。



リーマンショック以降、アメリカは世界の覇者としての力を失いつつある。

それに乗じて、ロシアや中国がこうした侵略行為を露骨に見せ始めた。


中国は国内に新疆ウイグル、チベットいう火種を抱えている。

内憂外患を自ら引き寄せている格好だ。



果たして、世界は群雄割拠の戦国時代へと後戻りしてしまうのであろうか。


そうは思わないし、またそうなってはいけない。






いずれにせよ、

世界の厄介者をどう導くべきか、

そしてどう付き合っていくべきか

一人ひとりが真剣に考えなければいけない時代に来ていることは事実だ。


そろそろ平和ボケは払いのけなければならない。



ただいつの時代も、悪は滅びた。

そして、最後には正義が勝のだ。

何のために生まれてきたのか

2014年05月13日 | ライフスタイル
何のために生まれてきたのか、

何のために生きているのか、

あるいは、

何のために生かされているのか。


よく考える。


それを人間の三大欲望に照らし合わせて考えてみた。

食欲、性欲、眠欲だ。


食べるためには働かなければならない。


それを時系列に考察すると

学生時代の勉学はより良い職種、人生のために必要不可欠なプロセスである。


それを怠ると、一生後悔することになるが

いくつになっても勉学の必要性を気づいた時点で取り返すことはできる。


それに、勉学は一生続くものである。

その勉学に専念できるのが、学生、子供時代だ。




そして、性欲。

これは子孫を残すという生物の義務である。

少子化が続けば、

日本人が絶滅危惧種に取り上げられる可能性がないとは言えない。


これは、異性を愛し、子供を作り、

その子を育て上げるという一連の過程を経る。


そこに一貫して流れるのは『愛』だ。

だから、性欲を「愛欲」と言い換えてもいいだろう。


これはセックスだけを意味しない。

人間愛、人類愛、そして博愛へと昇華する。



眠欲は、健康を意味する。

人はすべからく心身ともに健康であらねばならない。


ところが世の中にはこれを害する誘惑と欲望が渦巻いている。


そしてそれに毒される人があとを絶たない。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


この三大欲求を健全に全うするためには、


先の学問を続けることと

働くことの貴さを認識しなければならない。


働くとは、人が動くと書く。

あるいは、人を動かすと読むこともできる。


体を動かす、頭を動かす、心を動かす。

その全てがうまく動くとき、「心技体」が揃うのだ。


それが人格となる。



さて、働くには3つの段階がある。

食べるために働く(ライスワーク rice work・動職)。


自分のやりたいことのために働く(ライフワーク life work・人職)。

世のため、人のため、誰かの為に働く(ライトワーク wright work・天職)


現在の仕事がこの3つを兼ね備えることが理想だ。


だが現実はなかなかそうはいかない。


生きるためだけ(餓えをしのぐ)にあくせく働く。

自分の利益(私利私欲)のためにシコシコ働く。


これはプロセスとしては仕方がないことかもしれない。


だが、一生を通じてどこかの時点でライトワーク(天職)に切り替えなければならない。

そこまで行き着かないで一生を終える人がほとんどだが。


天職ならぬ、転職を繰り返す人のなんと多いことか。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

自ら三大義務を課している。


それは、

学問、労働、奉仕である。


そして、付帯義務として心身の健康維持がある。


死ぬまで勉学を積み、

働き、奉仕する。


そして死ぬまで心身ともに健康であること。


そのために日々研鑽を怠らない。

それには、情熱の火を燃やし、

消さぬようモチベーションを保たなければならない。


生易しいことではない。


そして、人のため、愛するもののため、縁あって出会った人のために

何かを残すことこそが生きた証になるのではないだろうか。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


不幸にも子孫を残せない人々がいる。

それが意図的であるにせよ無いにせよ。


だが、養子や里親制度がある。

日本では抵抗を示すきらいがあるが、

立派な子孫の残し方だと思う。



余談だが、

思うに、キリストやマホメッド、お釈迦様には子孫はいるのか。


受胎告知でお馴染みのマリア様はシングルマザーだったのか。



余談2:


ある年齢を過ぎると食欲、性欲、眠欲といった欲望は減退すると言われている。


ところがどうだ、

一向に衰える気配さえない。


食欲旺盛、性欲旺盛、眠欲旺盛。

加えて事業欲も旺盛だ。


これは欲望というより、野望なのかもしれない。



「老兵は死なず。

ただ立ちはだかるのみ」 By Asay




【参考記事】


施設で子ども養護、日本85% 国際NGO「人権侵害」

2014年5月1日付け 朝日新聞


 生みの親が育てられない子どもの大半が施設で暮らす日本の現状は、

数万人の子どもたちから家庭で育つ機会を奪い、

人権侵害ともいえる――。

国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は1日、

日本の社会的養護の問題を指摘する調査報告書をまとめた。


2009年に東京事務所を開設して以来、

日本についての初の本格的な調査で、今後、政策の見直しを訴えていくという。


 社会的養護は、

親を亡くしたり、親が育てる意思や能力を持たなかったりする子どもを育てる公的制度。


国内では、対象となる20歳未満の子どもが4万人余りいて、

そのうち、原則18歳まで家庭で養育する「里親」などと暮らす子は全体の約15%にとどまる。


残る約85%は乳児院や児童養護施設、自立援助ホームなどで暮らしており、

報告書は「不必要な施設入所で家庭的環境を奪うことは人権侵害である」と非難した。


 原因としては、子どもの預け先を決める児童相談所の要員不足などを指摘した。


海外では、社会的養護の対象の子どもが施設で暮らす割合は、

豪州が1割弱、米国が2割強、韓国が6割程度だという。


 日本も批准している国連子どもの権利条約は

「子どもは家庭環境の下で幸福、愛情及び理解ある雰囲気の中で成長すべきだ」と定め、

締約国の状況を監視する子どもの権利委員会も「施設入所は最終手段だ」としている。

悩み事

2014年05月12日 | ライフスタイル
雨が緑から滴り落ちる。

薫風に身を起き、雨音を聞きながらブログを認めている。


昨今、頭を悩ませている事柄がある。


自らの些事は言うまでもないが、

他人様のことが気になって仕方がない。


妬みや恨みではない。


昨日も書いたが、

今ボクの周りは心の病を抱えた人があまりにも多い。


その人たちをどうしたらいいものか、と。

救うというと思い上がりに聞こえるが、

自分に出来ることは何かとつい考え込んでしまう。


何とかしてあげたい、と思えば思うほど

力量のなさに打ちひしがれる。



健康と経済に不安がなければ、人は基本的に幸せになれるだろう。


だが、いつ健康を壊し、経済的困難に襲われるかは誰しも予測不可能である。


不安は尽きないが、今ボクは十分に幸せである。

これ以上自分自身の幸せは望まない。


だからこそ、人の幸せが気になる。

特に、心の病を持つ人は、幸せを実感しにくい。


なぜなら、幸せは金銭物質だけでは測れないからだ。

幸せは求めるものではなく、感じるものだから。


自分自身が感じるからといって、

他人にそれを強要することはできない。


「幸せを感じなさい」


頭で解っても、心から理解することは至難の業だ。


特に心を患っていればなおさらだろう。


自分の身の回りにいる人に

できるだけ寄り添い、

言葉をかけ、気にかけているだけしかボクにはできない。


生の声、心の叫びが聞こえるたびに、

どうしたらいいのか、考え込んでしまう。



ビジネスにおいても、

自分の利益しか考えない人が多い。


少なくとも自分の利益を最優先に考える。


当たり前と言えば当たり前かもしれない。


だが、それは本当に当たり前なのか。


自分は損をしてでも、

人の利益を最優先に考えるのはそんなにおかしいことなのだろうか。



「人は誰しも我が身が一番可愛い」とうそぶく人がいる。

それは否定しない。


それを人の身になって考えてみたらどうだろう。


あの人は「自分のことが一番可愛い」と思っている、と。


だったら、自分を捨てて、

あの人のことを一番に考えてあげたらどうなのか。


それが『愛』なのではないだろうか。


相手が望むもの。

それを叶えることができたら、その人はきっと幸せになれる。


その人の幸せな姿を見ることで、

自分自身も幸せになれる。


そうありたいと、ずっと考えている。


だけど、

相手の望むことを叶えるのは、

自分の望みを叶えるよりもずっと難しいことを知った。


つまり、

自分の席を確保するより、

他人に席を譲ることのほうが難しいのだ。


だが、こういう考え方もある。

他人に席を譲るためには、

まず自分の席を確保しなければならない。



自分の席を確保するために

熾烈で醜い争いを勝ち抜いてきた。


これからは、

それをどう譲るかが課題である。



人は、どんなにに幸せになっても悩みは尽きないものだ。

だが、その悩みこそが、より一層高みに押し上げてくれる。



人を山の頂に導くとき、

下から押し上げるやり方と、

自分が先に登って、引っ張り上げるやり方がある。


どちらも、目的は人を山の頂に登らせるためだ。

その心を失ってはいけない。



ボクは今まで、人を蹴落として自分だけが頂上を目指してきた。

これからは、引っ張り上げることに専念したい。



緑を叩く雨音が一層強くなってきた。

山林にいて心を鎮めるには、雨もまた良し。

(阿蘇の山奥にて)

薬はいらない

2014年05月11日 | 健康
障害者の人と接する機会が増えている。 うつ病が生じて 発達障害、知的障害、自閉症、 アスペルガー、ADHD,PTSD、パニック障害、睡眠障害などなど。 いろんな病名はあるけれど、 正直なところどう違うのかさえわからない。 社会不適合のレッテルを貼られ、 就労が困難になっている。 そして薬漬けにされる。 障害者年金や生活保護に頼った生活を余儀なくされる。 病院代、薬代は無料だ。 交通機関なども割引が受けられるなどの利点がある。 反面、障害者雇用、就労支援機関もあるけれど、 まだまだ追いつけないのが実情だ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ある人の薬を見せてもらった。 睡眠薬が3種類。 うつ病の薬が3種類。 これはドーパミンやアドレナリンを分泌させ 元気づけるための薬。 一方、興奮を抑える薬が2種類。 そして、頭痛薬と計9種類の薬を飲む。 片方で元気づけておいて、 反対でそれを抑えようとする薬。 言うまでもなく、すべての薬に副作用がある。 眠気、めまい、食欲不振、頭痛、吐き気、倦怠感などなど。 薬の服用が返って症状を悪くするかのような内容だ。 ある意味病院の利益のためにやっているような気がする。 このように西洋医学は薬漬けにして一時的に症状を叩くことが多い。 一方、東洋医学においては、 病名をつけることなく、自己免疫力をつけ、体質改善を図る。 だから、改善の症状には一定の時間がかかる。 漢方薬も然り。 だが、効果は抜群である。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 薬に頼らずどうやって治すのか。 簡単に言えば、呼吸を変えれば治る。 自然治癒力を上げることで、自分で自分の体を治せる。 つまり、呼吸ひとつで人生が変えられるのだ。 呼吸法を意識するだけで、 健康で明るい生活が送れるようになる。 ボク自身がそうしている。 そして誰でもできる。 つまり医者いらず、薬いらず。 この呼吸法を覚えれば、お金もかからない。 ちょっとした訓練で習得できる。 そしてそれをこのフリートークで学べるのだ。 毎週土曜日、午後2時から行っている。 天気の良い日は屋上でもできる。 不眠症で悩む方、 不安症の方、 憂鬱な気分、やる気が出ない方などには最適です。 さあ、健康で明るク、心豊かな生活が送りたい方は ぜひご参加ください。

人生の試練

2014年05月10日 | 苦境
長い人生のうちには

何度か試練に見舞われる。


そして、それをどう乗り切るのかにその後の人生はかかっている。


乗り越えられない試練はやってこない。

逆に、乗り越えられるからその試練が与えられるのだ。


単に試されているのだ。


逃げてはいけない。

目を逸らしてはいけない。


真正面から正攻法で立ち向かえばいい。

それには勇気がいるだろう。


小さな勇気を振り絞って、一歩踏み出せば、

案外簡単に扉が開くかもしれない。

「案ずるより産むが易し」


fear overruns the danger.

Fear is often worse than the danger itself.

it is easier to do something than worry about it.



一回では乗り越えられない壁でも、

何度も、何度も、手を変え品を替えして立ち向かえば、

必ず乗り越えられる。



試練に出くわした時、二通りの人がいる。


ダメになる人と、

そこからまた一段と飛躍する人に分かれる。



一時的に落ち込むことはいい。

むしろトコトン落ち込めばいい。


1日で復活する人もいれば、

3日、1週間、10日、一ヶ月かかる人もいる。


だが、必ず立ち直らなければそのまま沈んでしまうだけだ。


立ち直るためにはいろいろな方法がある。


いつまでも引きずらないためには

気持ちを切り替えなければならない。


気分転換が必要だ。


ひとところにじっとしていると、

いつまでも思い出されてなかなか吹っ切れない。



いつもと違うことをしてみよう。

いつもと違うところに行ってみよう。


だからボクは言う。

「旅に出なさい」と。



【追記】


最悪なパターンは、

家に引き篭ることだ。


とにかく外に出よう。

違った世界に飛び出そう!



【追記2】


ボクもご多分に漏れず幾多の試練に襲われ、

その度に乗り越えてきた。


もちろ日朝一夕にはいかないものばかり。

その度に、もう駄目かもしれないと思った。


今も試練の真っ只中にいる。

だけど、十分な対策を施してはいない。


まだどこかに甘えがあるのだ。

行動に移せない自分がもどかしい。


だが、危機が迫って、訪れることは必至だ。


日々のぬるま湯に使って、流されている自分が腹立たしい。

そのつけは必ず来る。


何をすればいいのかもわかっていながら、動かない自分が情けない。


自責の念を込めて書いてみた。

家族と家庭

2014年05月09日 | ライフスタイル
ボクには家族はいても家庭はない。


家庭を無くして5年ほどになる。

家族はそれぞれバラバラに暮らす。


家はあるがもう何年も帰っていない。

基本ホテル暮らしである。


といっても、海外以外は自前のホテル。

阿蘇のコンドミニアムと

街中のゲストハウス。


毎日が旅気分。

まんざらでもない。

むしろ性にあっている。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

家族のあり方が大きく変わってきた。


家族でなく孤(個)族の時代である。

ひとり暮らしの家庭(?)は否応なく増えていく。



おひとり様といえばまだ聞こえはいいが、

近い将来、日本が迎えるのはケタ外れの「独り社会」である。


単身世帯は4割にのぼり、

男性の3分の1、女性の4分の1は「生涯独身」だというから恐ろしい。


かつての「パラサイト・シングル」たちは、今や未婚のまま高齢化。

親が亡くなり、職場を去れば、社会からの孤立は深刻化する。



そしてその先には、「孤独死」が待っている。



若いうちのおひとり様は、まだ「おきらく様」でいられるかもしれない。


友達はいるし、独りは気楽。

結婚はしない、子どももいらない、と。


年を取れば否応なく一人を強いられる。


理想の共白夫婦(㊟))はごくひと握り。

家庭内別居や仮面夫婦は増加の一途だ。


子育ても一段落して、

お互い好きなことをやりましょう、と

不文律や暗黙の了解が夫婦間に出来上がる。


熟年離婚は今は昔。

それすら面倒くさい。


無駄なエネルギーを使うより、

現状のままでもお互い楽しめればいいじゃないと開き直る。


一緒にいる意味もないが、別れる意味もない。

それぞれの収入に干渉することなく

仲間を作って趣味に、恋に勤しむ。


それはまだいい。

幸せならば。



悲惨なのは、結婚することもなく

子供もなく、老いだけが否応なく進むケースだ。


それでも健康で趣味があれば

そのコミュニティーに溶け込むこともできるだろう。


だが、そもそも一人でその年まで生きてきた人は

趣味もなく、コミュニケーションをとるのが苦手な人が多い。


若いうちから家族以外のつながりの中で暮らす訓練ができていないで

いきなり年をとって打ち解けようと思っても所詮無理な話だ。



幸か不幸か、現代は一人の世界が築きやすい。

だが一旦その中に逃げ込んでしまえば、

なかなか人前に出ることは難しくなる。


ボクはこれを「ひとりぼっち症候群」と名付けた。

Lonely heart Syndrome

Alon Syndorom

Isolation Syndrome


こうなると時代の流れはなかなか止められない。


ならば抗うことなく、受け入れ楽しむことだ。



㊟ 共白夫婦とは、

読んで字のごとく、共に白髪の生えるまで末永く仲の良い夫婦のことであること。

Live together until die.

病気言葉

2014年05月08日 | 健康
病気がちな人、

心を患いがちな人に共通のことがある。


それは日常の言葉の使い方だ。


まるで病気を引き寄せているような言語を使っている。


それは大きく分けて二つの分野になる。



ひとつは他人、第三者に向けて。


もう一つは、自分自身に向けて、だ。


どちらも、否定的な言葉、誹謗中傷的な言葉が多い。


それはあたかも自分に向けてのネガティブキャンペーンのようだ。


あいつらバカだ。キチガイだ。

どうしようもない。

許せん。などなど。



それは言霊となって自分に跳ね返ってくる。


吐いた言葉そのものが毒素を帯びている。

吐いた人間がその毒素にやられてしまう。



反対に、健康言葉を使うと、

自ずから元気になっていく。


それは、幸せ言葉だとか、天国言葉だとも言われる。

斎藤一人さんによれば、

●ツイてる
●うれしい
●楽しい
●感謝してます
●幸せ
●ありがとう
●許します
●愛してます




常にこれらを口癖になるように心がければ

病のほうから逃げていく。



♪身体の傷なら癒せるけれど、

心の傷は癒せはしない♫


なんて歌があるけど、

逆だって言えるのではないか。


The wound never heal(cure).


考え方一つで、心の傷は消える。

いつまでも根に持てば(stick around)、

その心が体まで蝕んでしまうだろう。


寝に持つから不眠症になる。

床に入ったら、全て忘れる。

頭を無にする。


雑念に襲われたら、楽しいことを考える。

眠れなくても、横になっているだけで心も体も休まる。



現実は、

病気言葉、あるいは地獄言葉を吐く人がいかに多いことか。



あるいは自らを不安に貶める不安症。

Anxiety disorder

起きてもいないことを、

もしこうなったらどうしようと心配ばかりしてしまう。


それがストレスとなりうつ病やパニック障害を引き起こす。


心配しなさんな、

クヨクヨしなさんな。

ジタバタしなさんな。


悩んでも悩まなくても、なるようになる。

なるようにしかならん。


開き直ってみると、灯りが見えてくる。


次の二つのことに意識して心がけてみよう。


1.健康言葉を習慣づけ口癖にしよう。

2.ないものを悔やむより、あるものにフォーカスしよう。




【今日のことわざ】


毒を食らわば皿まで。

In for a penny, in for a pound.

(ペニーを手に入れる仕事を始めたからには、ポンドも手に入れなくてはならない)


As well be hanged for a sheep as a lamb.

(子羊を盗んで絞首刑になるより、親羊を盗んで絞首刑なったほうがましだ



病膏肓に入る

He is so seriously ill that recovery will be difficult.⇒やみつき(病み付き)

NATTO Project

2014年05月07日 | 国際
「NATTO プロジェクト(世界戦略)」が徐々に広がりを見せている。


今朝、ホーチミンから連絡があり、

6月2日に行われる「NATTO料理コンテスト」に

ベトナムの食品工科大学からも講師を招聘するよう働きかけていることが分かった。


納豆の価値をアカデミックな分野からも後押ししようというものだ。

日本食文化、栄養学としても研究価値は十分ある。


単なる美味しいというだけではなく、

日本食(和食)ということだけでも


健康につながるイメージが強い。



日本貿易振興機構(ジェトロ)が3月に発表した調査資料によると、

ホーチミン市民の37.8%が「好きな外国料理」として日本料理を挙げ、

外国料理の中で日本料理を最も好んでいることが明らかになった。

 
ホーチミンでは、「好きな外国料理」トップが日本料理の37.8%。

以下、◇中国料理23.4%、◇韓国料理13.8%、◇イタリア料理7.2%、◇フランス料理7.0%などと続いた。



NATTOは日本の健康食品ということが浸透すれば、

NATTOを食べる習慣が根付くことは十分可能性が高い。

それを現地の学術界からもお墨付きが出ればこれほど説得力があるものはないだろう。


加えて、マスコミにも働きかける。

新聞やテレビの影響力はまだ日本より強い。


いろいろな方面から働きかけて、

NATTOの知名度を上げなければならない。


だが、あくまでも一番の強みはネットによるクチコミだ。


若者とネット社会の影響力は新興国ほど強い。


ベトナムにもファーストフードの悪影響が増している。

それにつれ、ダイエット、健康に興味ある女性が増えている。


納豆は美容にも効果があることが証明されている。

それは江戸時代から「納豆食う人、色白美人」と言われる所以でもある。

納豆菌は消化を高め、腸の中をきれいにすることから


便秘を予防し肌を美しく保つのです。


血液をサラサラにすることは周知のことだが、

コレステロールを下げ、脳の老化を防ぎ、

骨粗鬆症も予防してくれる。


それは、ボク自身が身をもって証明している。


こうした裏付けがあって初めて、世界に納豆を普及させる意義があるのだ。


”KARAOKE”,”SUSHI”についで、”NATTO”が世界で通用する日はそう遠くない。




【追記】



納豆の効能 納豆の“ネバネバ”に秘められた驚異のパワー


古くからの伝承をはじめ,納豆にはさまざまな効果が語り伝えられています。

医学的に立証されつつあるものから,おばあちゃんの知恵袋的なものまで,納豆の効能をご紹介します。

________________________________________

語り継がれる納豆の効能


•納豆食うひと,色白美人。(秋田美人)

納豆中のビタミンB2は肌や粘膜を守る働きがあり納豆を食べつづけると肌が白く滑らかになります。

秋田美人のルーツは納豆にあり―


•うなぎの蒲焼食ったら納豆を忘れるな。

納豆に含まれている各種の消化酵素が脂肪の多い蒲焼の消化を助け,胃腸の調子を整えます。

ジアスターゼの多い大根おろしを薬味に使えば効果はいっそうアップします。


•納豆を常用すると結核が逃げていく。

納豆中の豊富な栄養が体力をつけ,病気に対する抵抗力を強めます。


•五月肩こり月,納豆月。

農繁期の五月になったら,納豆を食べると疲れがたまらないという意味。

昔は寒中に感想納豆や納豆漬けを大量に仕込み,田植えの時期に備えました。


•納豆の粉末を用いると胃の調子が良い。

多彩な消化酵素が消化を助け,ネバネバが胃壁をガードしてくれます。


•心臓や血管を丈夫にする。

納豆中に含まれているリノール酸などの不飽和脂肪酸が,血管中のコレステロールを洗い流し,

納豆タンパクが心臓や血管の筋肉をしなやかにします。


•肩こりにも納豆。

納豆をすり鉢でよくすりつぶし,わしか木綿布に引き伸ばして患部に貼ります。


•ねぎをたっぷり入れた納豆汁は,風邪のひきはじめによい。

ねぎの薬効と納豆のバランスの取れた栄養が合体して体力をつけ,からだを芯から温めます。


•腹くだしが起こったら叩き納豆。

納豆を包んでていねいに叩き,あつあつのご飯にかけて食べます。

納豆菌の生長効果を生かしたもの。


•根がつき,粘りが出る。

納豆にはビタミンBのグループがほとんど含まれており,バランスの良いアミノ酸とともにスタミナがつきます。


•一月六日の納豆の年取り。

この日に納豆を食べると万病の根が抜けていくといい,夕方の膳に必ず納豆汁をとります。


•納豆は夏負けの妙薬。

消化の良いタンパク質と豊富なビタミンは,暑さで弱ったからだに体力をつける上で役立ちます。

納豆に梅干を混ぜ,よくたたいてから食べるとより効果的。


•納豆めしに食あたりなし。

納豆めしなら酵素によって消化吸収が良くなるので,多少食べ過ぎてもすぐに空腹になります。


•納豆どきの医者知らず。

昔は納豆の仕込みは秋から冬にかけてがシーズンでした。

納豆を食べるころになると,体力が充満してきて病気にかかる人もいなくなってしまうというたとえです。


•酒を飲むときに納豆を食べると悪酔いしない。

二日酔いを防ぐ。

納豆のアミノ酸と豊富なビタミンがアルコールをすばやく分解してくれます。また,ネバネバが胃壁をアルコールから守る効果もあります。


•カラスのお灸(口角炎)ができたら納豆。

口角炎はビタミンB2が不足するとできますが,納豆にはビタミンB2がたっぷり含まれているので効果的です。


•頭にシラクモがでたらネバがよい。

シラクモというのは一種の皮膚病で,その病原菌退治には納豆菌が効果的。




なるほど。

ボクも知らなかったことがいっぱい。


納豆は奥が深い!

性愛を描いたら天下一品

2014年05月06日 | 
ボクの好きな作家が二人いる。


一人は五木寛之であり、

もうひとりが、渡辺淳一だ。


渡辺淳一は80歳でこの世を去った。



彼の性愛の描写が好きだ。

彼の小説は、彼の生き様そのものだった。


彼は医師でありながら小説を書き、

それがアダで医学会を去り、小説家になった異色の人だ。


当初は医学小説が多かったが

徐々に伝記や歴史モノに姿を変えていった。


そうしていつの日にか男女の性愛を描くようになった。


激しい不倫愛を描いた「失楽園」はあまりにも有名である。


彼の独自の恋愛論は、

生と死を生涯追究した作家がたどり着いた人間賛歌だった。


「小説を書くときは自らその場に行って、見て、体験しないとだめ」

と語り、恋愛小説にも女性たちと自身との体験が投影されていた。



彼の言動はボクに多大の影響を与えている。


女を抱かなければ、女は描けない。


彼の純愛とは、

男女は激しい愛におぼれ、理性をなくし、家庭を壊して、体も命も投げ出すものであり、

愛を燃えあがらせる障壁は不倫であり、幸せの頂点は死であったようだ。


ある女性から

「あんたみたいな男は最低、犬か豚以下だ」とののしられたというが、

それこそ男冥利に尽きる。


ボクも「サイテー(Suck!)」と何度言われたことか。


だが、晩年は男の孤独や高齢者の性を描いている。

誰しもが通る道である。


彼のように人生を謳歌し、全うしたいものだ。


ご冥福をお祈りします。

RIP(Rest in Peace)


といっても、天国で女をはべらせて遊んでいるだろうな。


(㊟ 一部朝日新聞の記事から抜粋)




【追記】

独白。


ボクもそろそろ作家としての道を歩もうか。

あまりゆっくりしてはいられない。


【蛇足】

だからといって、官能小説家になるわけではない。

それには圧倒的に経験不足、いや、ホント。



【蛇足2】

ボクのある作品を投稿したら、

卑猥な部分があると削除されてしまった経歴がある。


性描写は難しい。


渡辺淳一を師と崇め、性描写を真似てみたが、

足元にも及ばないのは言うまでもない。


真正面から性と愛を描くには、まだまだ修行が足りないということだろう。

もっと女を抱かなければ。joke!

納豆を世界に普及させる戦略

2014年05月05日 | 
「納豆を世界に普及させる」為のプロジェクトが着々と進んでいる。



ヒョンなことで納豆に関わるようになった。

それは、納豆メーカーとの繋がりがキッカケだった。


それも、全く関係のない関わり方だった。



【第一章】会長逮捕


ちょうど一年ほど前、

納豆メーカーの会長が銃刀法違反で逮捕され

彼の救済に一役買ったとに端を発する。


その繋がりが縁で、ボクは納豆を海外に輸出しないかと持ちかけた。


それから約半年、忘れかけた頃に

「面白い。会って話が聞きたい」という連絡が来た。


来たのは、会長の娘というアメリカ帰りの開発室長と

販売部の部長クラスだった。


国内の販売は頭打ちで、これからは海外に活路を見出さなければならない

という意見で一致した。




【第二章}納豆レストラン


これも、ヒョンなことから納豆専門のレストランがあることを知った。

早速食べに行った。


納豆づくしのメニューに驚愕。

そこは日本で、いや世界でただ一つの納豆レストランだった。




【第三章】クールジャパン出店計画


時を同じくして、経済産業省が

「クールジャパン商材の芽」 という名目で

出店者を募っていることを知った。


しかも、場所はベトナムのホーチミン。

絶好のチャンスである。


時期尚早と渋る納豆メーカーを説き伏せて

「参加します」という言質を取り寄せた。


ところがなんと、

昨年10月末日の申し込み締切日に、ドタキャン。

社内のコンセンサスが取れなかったという、呆れた言い訳。




【第四章】 和食 世界無形文化遺産へ登録


昨年末(2013年12月4日)、

ビッグニュースが日本を突き抜けた。


和食がユネスコの無形世界遺産の登録されたのだ。

これは、和食の代表の一つである納豆の世界普及に大いなる追い風となった。

同時に、ボクにも勇気を与えてくれた。


これを機にボクは独自な路線で打って出ることにした。




【第五章】マーケットリサーチ


再度納豆メーカーに依頼をした。

ベトナムに納豆を持ち込み、マーケットリサーチをさせて欲しいと。


そのために、工場見学をさせてもらった。

それは納豆のみならず、豆腐、コンニャクの工場も見ることができた。


この工場見学が、これから先大きな意味を持つことになる。


昨年末から今年1月にかけ、納豆50人分を持ってボクはベトナムへ出かけた。


そして、行く先々でベトナム人に試食をしてもらい

アンケートを取った。


ベトナム料理屋に飛び込みで、料理も作ってもらうことに成功した。




【第六章】ベトナムの納豆メーカー


アンケートの良好な結果を持って

ボクのベトナムにおける「納豆レストラン開業計画」は勢いを増した。


だがまたしても、納豆メーカーの裏切りに遭う。

レストランとして進出するつもりはない、と。


あくまでも、納豆の販売だけを目的とするという。

つまり、スーパー等に下ろすことを意味する。



そうした折、

ベトナムから一通のメールが届いた。


「ベトナムで納豆を作っております」

という、ホーチミンに住むベトナム人からのものだった。


驚いた。

ボクはいてもたってもいられなくなった。

その人に会わなくては。


3月、ボクはホーチミンに向かった。

彼に会い、豆腐工場も見せてもらった。


納豆は自宅でのまだ手作り状態だった。


だが、1月にオープンしたイオン・ベトナム店に少しずつ卸しているとのこと。

光明がさした。


彼とは、カンボジアの販路開拓のためプノンペンへの旅を共にした。

その時思った。


彼の納豆を世界に普及しよう、と。

そのためには、まず納豆レストランをベトナムに開かねばならない。




【第七章】納豆料理コンテストへ


納豆レストランをベトナムに開業させるに当たって、

その納豆料理を完成させなければならない。


そのために、料理コンテストを行う提案をした。

そして、来る6月2日、そのお膳立てをしていただいた。


現在、総勢12名が参加予定。


その足で、ハノイでもコンテストを開くべく打診中である。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ここまで一年。


さてここからどうなるのか。

6月のコンテストを経て、


今年中には納豆レストラン1号店を開業させる。


そして、来年、10店舗まで増やす。


それには生産体制を作らなければならない。

当然、それはプラント建設に至る。


それには数千万円から億単位の資金を要するだろう。


そこまで計画している。



そして、ASEANの経済統合後に、5年以内に100店舗までする。


ASEANは10カ国ある。

だから、一カ国10店舗の計算だ。


イスラム圏へ進出するために、ハラールのマークを取得する。

そうすれば一気に世界へと納豆食文化は広ますだろう。


ベトナムを世界の納豆の生産拠点にする。



寿司バーが世界を席巻したように

「納豆バー」が世界に広まるだろう。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「納豆で世界を健康にする
」をモットーに、


協力者、出資者を募ります。


また、6月、ベトナムに同行される方も募集しています。


興味を持ったらご連絡ください。

もったいない人

2014年05月04日 | 人生
人に会うたびに

「この人のために何ができるだろう」

と思うことが、この頃癖になってきた。


今までは、恥ずかしながら

「この人は自分に何の利益をもたらすだろうか」

「この人と付き合って、自分は何を得するだろうか」

と考えていた。



だが、


「この人のためにできることをしよう」

と思うようになって、人生が一転した。


好転したのだ。



ただ、時々誤解を受ける。


特に女性。

その人のことを親身になって考えると

ついつい深入りしてしまう。


感情移入(empathy)してしまうきらいがある。



先日嘘をついてしまった。


彼女のために彼女が望むことをしてあげようと思った。


ただ、そう言うと

多くの女性が思うように、

その見返りを求められるのではないだろうか、と

変に警戒してしまうのだ。


自分の体を求められるのではないか、

自分と寝るために、セックスしたいから


うまいこと言い寄っているのでないか、と。



その女性は、過去にだいぶそれで泣かされてきたようだった。

美貌ゆえ、男たちが言い寄り、騙されてきた。


そのためそれがかなりのトラウマになっているようだった。


ボクの指摘はズバリ的中した。

どこか萎縮してしまっている。

パラノイアに陥っている気配が見て取れた。


paranoia [uncountable]

1.an unreasonable belief that you cannot trust other people, or that they are trying to harm you or have a bad opinion of you

2.medical a mental illness that makes someone believe that they are very important and that people hate them and are trying to harm them



だからボクは言った。


「あなたが望むなら、ボクはあなたのお手伝いをすることができる。

だけど、決してそれ以上のことは望まない。

なぜなら、ボクにはガールフレンドがいっぱいいるから」


「知ってるわ」

彼女はプライドの高さをちらつかせながら冷めた顔つきで答えた。


(どこが知っていると言うんだ)

ボクは心の中でほくそ笑んだ。


彼女と会って話をするのはこの日がまだ2回目だった。

ボクは貴女(あなた)のことを知らない。

(I don't know exactly who you are.)

貴女もボクのことを知らない。

(You don't know who I am)


ボクは愉快になり、悪ふざけを重ねた。

「今夜もこれからそのうちの一人がボクを訪ねてくるんだ」

「そう」

彼女はその美貌を崩すまいと、無表情に頷いた。


もちろんこれは真っ赤な嘘である。

ボクには彼女はいない。


少なくとも日本には。

一人としていない。


ただ彼女の警戒心を解かなければ話はこれ以上進まないと思ったのだ。

こうした言動が誤解を生んでいることは百も承知だ。


ある意味その誤解を利用し、楽しんでいる。



これは一例に過ぎない。

女性に限らず男性にだって、その人のことを考える。


どうすればこの人のために役立つのか、と。




世の中、実に「もったいない人」があまりにも多すぎる。


自分の才能を過小評価して、

それを活かす機会を自ら放棄している。


「○○したい。

だけど自分にはできっこない」

と端から決めてかかっている。



できることしか頭には浮かばない。

あなたがしたいと思ったことは、

全てできることだ。


やろうとしないからできないだけなのだ。


一生懸命努力しているのできない。

とうい人も多い。



それは二つのことが原因なだけだ。


一つは、まだまだ努力が足りない。

もう一つは、努力の仕方が間違っている。


これに尽きる。


そして、すぐに諦めてしまう。


そして、あなたは言う。


ほら、やっぱり無理だった、と。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【今日の格言】


「情けは人のためならず」


the good you do for others is good you do yourself.

compassion is not for other people's benefit

フリートークから世界へ羽ばたく人々

2014年05月03日 | 国際
お陰さまで、フリートークも4年目に入りました。


これもひとえに足繁く通っていただくゲストのみなさんと

親身になってゲストのお世話をする外国人スタッフのおかげです。


ここまで、いろんなゲストの方がこられ、

それぞれの夢と目的を持ってこらた。


留学、起業、就職、転職、そして海外への旅立ち、移住などなど。


この3年間、いろいろな人生を垣間見てきた。


あるものは挫折し、また立ち上がった。

あるものは心を病み、それでもなんとか立ち直ろうとする。


海外に旅立つもの、

独立して起業するもの。

新しい家庭を築くもの。


そうした人々をひとりでも多く輩出すべく

フリートークは日夜努力している。


志半ばで諦めてしまう人もいる。


だが、ボクはその人たちを諦めない。


夢を語る人はそれだけでも素晴らしい。

夢を実現する人は、もっと素晴らしい。


だけど、その影には、夢に敗れる人も多い。


だけど、言いたい。


夢を諦めるな、と。


もしも、どうしたらいいかわからなくなったら、

道に迷ったら、ボクが手を貸してあげよう。


フリートークを訪れる全ての人の味方だから。

悩みがあったら聞かせて欲しい。


問題が起きたら、恥ずかしがらずに話して欲しい。


人はすべからく問題や悩みを抱えて生きているのだから。


一番問題なのは、

それをひとりで抱え込むことだ。


そして、泥沼へと入ってしまうことだ。



聞かせて欲しい、君の気持ちを。

話して欲しい、君の心を。


ボクはいつも君のそばにいるよ。


ここは”フリートーク”なのだから。

フィリピンとの業務提携

2014年05月02日 | 国際
遅ればせながらフィリピン進出の兆しが見えてきた。


フィリピンにある、韓国系の英会話学校から打診があった。


フィリピンには、セブやバギオを中心に

合宿制の英会話学校が多く存在する。


最近は、日本人も増え日本資本も進出している。


ボクも、2年ほど前マニラの同校を訪れ無料のワンデイトライアルを受けたことがある。


フィリピン人の多くが英語を話す。

Skype によるオンライン英会話も有名だ。


その一角に食い込もうという魂胆だ。


だが、真意は人材交流にある。

フィリピンとの太いパイプを持つことで、

日本にALTとして招聘することを目指している。


一校に一人のALTを置くことは当初からの目標だ。



そして、もうひとつ、

「インターナショナル・フリースクール」の設立だ。

場所は、阿蘇、西原村。


そこの先生にもフリピン人の起用を考えている。



問題は、その企画に携わる人材だ。


ネットショップ・ビジネスも専属のスタッフを募集している。


ハラールビジネスも然り。


仕事は山ほどある。

我と思わん人は集結して欲しい。