世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

9月22日(月)のつぶやき

2014年09月23日 | 福祉
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方向性

2014年09月22日 | ライフスタイル
     ハノイの焼き鳥屋さん



自分がどこへ向かおうとしているのか。

あるいは自分は何をやりたいのか。


目的地を決めないでさ迷い歩くことも時にはいいが、

人生の方向性を決めずに漠然と一日を過ごすのはいかがなものか。


毎日が、起きて、食って酒飲んで寝て。

自分に都合のいい言い訳を繰り返しながら、

あるいは生活のためといいながら気が向かない仕事で一日が終わる。


どれも人それぞれの一生の中の一日の風景である。



幸い、おかげさまで健康である。

幸い、おかげさまでやりたいことをやらさせていただいている。


もちろん、100%なんてことはあり得ない。

だけど、100%に近付けたいと思って日夜努力している。


それには100%以上、120%とか150%くらい努力して初めて

それでも70%とか80%しか思うようにならない。


それはそれでありがたいと思う。

だけど、そこで満足してしまったらおしまいである。


完璧を求めず、完璧を目指す。

十分な努力もせず完璧だけを求めることで心のバランスが崩れることがある。


完璧を目指しながら、どこかで完璧でなくてもいいんだと許せる気持ちを持つことで心の余裕が生まれる。

完璧主義の人が陥る罠がそこにある。


真面目な人ほど許す気持ちが弱い。

だから鬱にもなりやすい。


許すとは、自分を許し、人を許すことなのだ。

嫌い憎しみ羨み妬むことは邪道であり、それだけで醜い。



自分の価値観を持つ。

だがひとりよがりでは社会性がなくなる。


奇人変人の部類で浮くことは一向に差支えないが、

社会性を欠いては生活そのものが成り立たなくなる危険性がある。


仙人のように山に籠り、瞑想に明け暮れ、霞を食べて生きていけるならそれもよいだろう。

だが、現実にはそうもいくまい。



だからこそ、今自分の進む方向をしっかりと見極めることが大事になってくる。

一昔、二昔前ならば、護送船団に導かれてみなと同じ船に乗っていればよかった。


ところが、今はそれぞれの小舟で果てしない海原にぽつんと浮かんでいるようなものだ。

水平線の向うをどう目指そうと好きなようにできる。


人生の方向は、ナビは教えてくれない。

ナビ慣れしてしまうとそれすらも頼ろうとする。

ボクは相変わらず、旅先では地図とコンパスだ。



進むべき方向 = やりたいこと(好きなこと) + 社会性


ところが、今、やりたいことがわからないという人が多いことに驚かされる。

それは、飼いならされた証拠である。

動物園のライオンが餌の取り方を知らないのと同様に。


社会性とは、社会貢献と同時にニーズがあるか

つまりビジネス性があるかどうかにかかってくる。


次は、それを自分のことに照らし合わせて検証してみたい。


ボクの好きなことは「旅」である。

やりたいことは、「旅して暮らす」ことだ。


だから、自分の旅を社会貢献とニーズという観点から

いかにビジネス化するかをいつも考えている。


すべてのボクの活動(行動)はその観点から発していて、ずれはない。


その方向性が間違いではないことは

見えざる手が動かしていると思われるからに他ならない。


見えざる手については、長くなるので次回述べることにする。
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9月21日(日)のつぶやき

2014年09月22日 | 福祉
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行き詰った時の打開策

2014年09月21日 | 苦境
          ハノイの一風景


壁にぶつかる、

つまり、資金面、技術面、人材面などの問題(難題)が発生する。

失敗する。

提案を拒絶(否定)される。

妨害(誹謗中傷)される、などなど。



何かをやろうとすれば、必ず起きる事象だ。

大概はここで辞めてしまう。


成功の秘訣は、まず始めることにある。

そして、やり続けることである。


たったこれだけで、すべての夢が達成できる。


なのになぜほとんどの人が夢を実現できないのか。

それは、始めないからであり、

始めても途中で辞めてしまうからだ。



あきらめなくても、夢の途上では幾多の困難が待ち受けている。

それも一度や二度ではない。


何十回も、何百回も、時には、何千、何万もそれは亡霊のように現れては消え、消えては現れる。


それをその都度立ち向かいクリアしていく覚悟が必要となる。

それでも心は揺らぐ。


そんな時どうするか。


自分に言い聞かせる。

万策尽きても、まだ半分。

まだ方法はある。

考えろ、考えろ、と。


考える時、二つのことを心がける。

一つは、開き直ること。

つまり、ダメ元精神。

すべてを失ってもまたゼロからやりなおせばいい、くらいの気持ちを持つ。



もう一つは、初心に帰ること。

原点に返るといってもいい。



そもそも何のためにそれをやるのか。

誰のためにやるのか。


もしも、自分のためだったら考え直したほうがいい。

人のため、相手のため、愛する人のため、そして社会のため。


そこに意義を見出さない限り、やることそのものが間違っている。



さらに付け加えるなら、

楽しいか、だ。

やってて楽しくなければ意味がない。

苦しさよりも楽しさが超越しているか?

あるいは、苦しささえも楽しみに変えられるか?



自問してみた。

4年前、なぜフリートークを作ったか?

そして今なぜそれを全国に広げるのか?


アジアになぜ日本の文化を広めようとしているのか?などなど。

それを楽しんでる?


自問自答は続く。
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9月20日(土)のつぶやき

2014年09月21日 | 福祉
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ASEANビジネス

2014年09月20日 | 海外事業
ASEANビジネスセミナーなるものに行ってきた。

独立行政法人の中小企業基盤整備機構というところの主催である。


今や日本のみならず世界が注目するASEAN。



一口にASEANといっても、10か国あり、

それぞれに言葉も通貨も、宗教も違う。




そして、陸のASEANと海のASEANが5か国ずつに分かれているのが興味深い。

ラオス、ミャンマー、タイ、カンボジア、ベトナムの北部の国々が“陸のASEAN”である。

来年の経済共同体設立を前に陸のASEANではインフラ整備が急ピッチで進んでいる。

その大動脈を結ぶのが経済回廊と呼ばれる国際道路の整備だ。

国境を越えて道路が結ばれることで人、物、金の動きが加速している。

ベトナムととカンボジア、そしてタイをつなぐ南部経済回廊。

経済共同体設立をきっかけに5年前から整備が進められている。

    
       この橋が来年完成すればフェリーを使わずにホーチミン、プノンペン間が結ばれる。



ボクもこのルートを2度バスで通った。




ベトナムに次いでボクのお気に入りの国、カンボジア。


ますます自分の進めている方向性に間違いがないことを確信した。


年内に、プノンペンからバンコクまでバスで駆け抜けてみたい。

そしてさらにミャンマーへ。

これはまさに東南アジア版フロンティアと呼べるものだろう。



【追記】


面白いのは、陸のASEANの5か国はすべて仏教国だということ。


一方、海のASEANと呼ばれる、マレーシア、インドネシア、シンガポール、ブルネイ、フィリピンは

イスラム、キリスト、ヒンドゥー、仏教など入り混じっていること。


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9月19日(金)のつぶやき

2014年09月20日 | 福祉
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時の流れるままに

2014年09月19日 | ライフスタイル
🎶 最近なんだかなー、ってfeeling.

もうどうにでもなれ!、ってヤ・ケ・ク・ソ ♪


そんなラップの歌詞が生まれそうな気分になるのは季節のせい?


そんなブルーな気持ちに反作用が働く。

なんかいいことしなくっちゃ、って。



「週三行」という目標を立ててみた。


一行 身体にいいこと

二行 頭にいいこと

三行 心にいいこと



でも焦れば焦るほど、

もがけばもがくほど底なし沼に沈んでいくような感覚を覚える。

じゃあ、自然の成り行きに任せてみるか。


自分の意思とは違う作用が働いている。

それを受け入れてみよう。


時には流れに身を任せるのもいいかもしれない。

どこへ行くのかわからない。


今まで、目標を決めて、そのために手段を講じて実行してきた。

弱音を吐かず、強がってストイックに生きてきた。

強迫観念に駆られるように自分に休むことを許さなかった。

油断せず、気を抜かずピリピリとした張りつめた神経を保ってきた。


でも、疲れた。

ホトホト疲れた。


張りすぎた糸がどこかで切れた音が聞こえた。


今は静かに眠りたい。

もう、目覚めなくていいよって、誰かに言ってほしい。





無理するって、どこかに矛盾を抱えているんだよね。

無理がたたると、その矛盾が一気に噴き出す。


なんとか取ろうとしていた体と頭と心のバランスが崩れる。

こんな時はどうすればいいのだろう。


なるようになるさ、と人はいう。

ならば、どうなるのか無抵抗に身を任せてみようか。


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9月18日(木)のつぶやき

2014年09月19日 | 福祉
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秋の憂鬱

2014年09月18日 | 苦境
          ベトナムにもトゥクトゥクがあった(道端でばくち?に打ち込むドライバーたち)



どうも憂鬱が止まらない。


これが長引けば、うつ病になるのだろう。

自分には鬱は無縁だと思っていた節がある。


誰でも落ち込むときは一種の鬱状態になる。

全くの無気力になった時、それは病気とみなされるという。


何とか気力だけは保っている。



人間の悩みは大きく3つに分類されることは再三書いてきた。


健康、お金、そして人間関係の3つだ。


健康は今のところおおむね大過ない。

人間関係もごく一部を除いては順調である。


問題は、やはり、金だ。


おかげさまで仕事は山ほどある。

時間も体も足りないくらいに山積している。


金欠ということは、それに伴う成果がなかなか出ないことを意味する。

もっぱら支出が収入を上回る。

だから首が回らない。


一般に、サラリーマンは1万2万のお金にあくせくし、

経営者は、100万単位の資金に苦労する、といわれる。



それでも何かに憑りつかれたように前に進まざるをえない。


次のステップの兆しは見えている。

だから、いろんな柵(しがらみ)を削ぎ落とす時期なのかもしれない。



すべての事象は絶妙なタイミングで訪れる、というのがボクの持論だ。

そして、悪いことは絶対に起きない、と思っている。

悪いと感じることは起きても、それはすべて良いことの前兆なのだ、と。


とはいえ、窮地であることにはなんら変わりはない。


さあ、乗り越えよう。

北風が吹く前に。



【追記】


お金では買えないものがある。


それは、


「愛」と「健康」である。

(表面的なことはお金でも買えるが)


今のところこの二つがボクにはある。

だから、お金がなくてもボクは最高に幸せ者だ。
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9月17日(水)のつぶやき

2014年09月18日 | 福祉
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夢実現の道程には

2014年09月17日 | 
       写真は、HanoiのHo Tay(テイ湖)


今、夢の実現の途上にある。


いや、今に限らず、いつだって夢の途上にいる。

そしてそれはまた、旅の途上でもある。



今までいろんな夢を実現してきた。


だがどれ一つとしてすんなり実現できた夢はない。

もうダメだと諦めかけたことも1度や2度ではなかった。


だが決まって救世主が現れる。

それも予期せぬところから。


だからといって今回もそうだとは限らない。

楽観はしていない。


いつもこれが最後の勝負だと思って臨んだ。

だから、諦めない。

あきらめた時、ボクの人生は終わる。



例によって、複数の夢を同時に進めている。

その脇から、新たな夢がひょっこり沸き起こる。


それは、自分がしたいことというより、誰かがしたいという夢なのだ。

それが今までとは大きく違う。


誰かの夢を実現させることが、今のボクの夢なのだろう。

何かしら使命感を覚える。



唯一自分自身の夢といえば、出版することだ。

それも複数の本を。

そのどれもが10万部以上のベストセラーにする。

そして、100万部を超える小説の映画化。

そしてオスカー。


そのすべてを実現するつもりだ。

そのためには、200歳まで生きなければならないかもしれない。


人は笑うだろう。

だがボクはいたって本気である。



たとえ道半ばで倒れたとしても、

ボクの意思は、3人の子供たちが引き継いでくれるだろう。


夢もまた自分の子供たちなのだ。


苦しい、苦しい、どこまで苦しめばいいのか。

夢の途上はいつだってこうだ。


今産みの苦しみの真っ只中にある。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「ボクは君のために生きている。

君を幸せにするために一生懸命やっているんだ」


「ううん、違うわ。私のためなんかじゃない。

だって、いつだってあなたは私のそばにいないでしょ。

あなたはあなたの夢を叶えるためにやっているにすぎないわ」


「そんなことはない、ボクの夢はすべては君のためなんだ。

ボクだって、ほんとうはいつも君のそばにいたいんだ。

それをどうして分かってくれないのか」


彼女は一筋の涙をこぼし静かに去っていった。



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9月16日(火)のつぶやき

2014年09月17日 | 福祉

屋台のオーナーになって、熊本に新しい文化を作らないか!? goo.gl/NdrQmR


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屋台で起業

2014年09月16日 | ライフスタイル
ボクはアウトドア人間(Outdoor person)である。


ベトナムが好きなのも、そもそもがそこにアウトドア―のライススタイルが根付いているからだった。

暖かい国はどこもそうだが、特にビール天国、コーヒ―天国、何でもありの食文化と来れば言うことはない。


そんなこんなで、ボクは屋台が好きだ。

おでん屋の屋台、ラーメン屋の屋台などなど。


でも、めっきり少なくなった。

福岡の街が好きな理由の一つは屋台文化が根付いていることにある。


熊本には、白川公園に一軒残るだけだ。

市の条例が禁止しているらしい。


ならば私有地なら大丈夫だろう。

フリートーク前の駐車スペースを生かして、屋台を開く人はいませんか。

熊本ならではのこだわりのメニューでもいい。


街中で、アクセスもいい。


    ここに屋台を開こう


外国人も、観光客も喜ぶと思う。

ヒットすることは間違いないでしょう。



【追記】


熊本に屋台村を、と熊本市長に提案したことがあった。

警察の許可が下りないと、あっさり拒否された。


私有地なら可能だろう。
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9月15日(月)のつぶやき

2014年09月16日 | 福祉
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