人生に終わりがあるように、
旅にも終わりはやって来る。
何度この言葉を書いてきたことか。
旅の終わりはいつも空しい。
だが、少しずつ何かが違ってきている。
ボクにとって旅は人生だし、
人生そのものが旅なのだ。
だから、人生が終わらない限り、ボクの旅は終わらない。
日本に帰ることが旅の終焉ではない。
日本に帰ってもボクの旅は続く。
終着駅だと思っていたら、そこは始発駅だったと気づかされる。
旅とはおおむね逃避行動である。
そして、消費行動でもある。
もちろんビジネスマンや政治家などにとっては純粋な仕事の場合はありうる。
建設的であり、生産性を伴う旅を続けたい。
今回も、多くの人と行動を共にした。
いろんな出会いと経験の中から貴重な学びを得ることができた。
だけど、学生ではない。
結果を出して、残して何ぼの熾烈なビジネスの世界に生きている。
「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」と林芙美子は詠んだ。
彼女は、女性を花にたとえ、楽しい若い時代は短く、苦しいときが 多かったみずからの半生をうたったものだが、
ビジネスはそう短くあってははいけない。
苦しきことは数多とあるが、達成感や人の喜ぶ顔はそれ以上に心地よさをもたらしてくれる。
そして、自分の死後も末永く引き継がれることこそが肝心なのだ。
畑を耕し、種を蒔き、水や肥料を施しながらやっと芽が出る。
長雨や日照りに晒されながらも耐え忍び、
それでも花はまだ咲かない。
苦節幾星霜。
花が咲くことを信じてわが子のように慈しみ育てることだ。
散らない花よ咲き誇れ!とばかりに、
この世にないたった一つの花を咲かせるために。
【追記】
ベトナム風物光景
路上の宴会
店先だろうがお構いなく宴は続く
日本の花見の宴会に似た風景が、ここベトナムでは路上で行われる。
もっとも、花見でなく月見であるが。
ベトナムは古来中国の影響を色濃く受けている。
旧正月もそうだが、中秋節も中国の文化を引き継いでいる。
日本も、中秋の名月としてお月見をする習慣も同じ起源に由来するのだろうが、
祝い方が半端ではない。
町中お祭り騒ぎになるとろとが面白い。
通りには獅子舞が出て練り歩く。
町中に月餅屋が出現する。
そうした光景もまた微笑ましい。
中秋の名月を見ながら深夜便で帰国の途に就く。