幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

いのちの電話シンポジウム 「依存症といのち」 司会;米沢宏氏、講演;成瀬暢之氏、高知東生氏

2024-09-15 18:15:18 | 生き方 考え方 笑顔 ロゴセラピー
第一部
司会;米沢宏氏
 つくば大学出身で、稲村先生の教室で学んだ。
依存症者の自殺が多い。

成瀬暢之氏 埼玉県立精神医療センター
 「依存症の生きづらさと回復について」
 回復を望むのであれば、依存症者の人を「病者」として支援することが必要です。
依存症は病気である。凝らしめてよくなる病気はない。むしろ悪化する。
依存症やの物質使用は責められるべき「悪」ではない。
周りから、「やる気のなさ」と責められる。

依存症とは
 風鈴とクーラーの話
昔はいろいろ工夫していて、暑さを我慢していた。
今はすぐにクーラーをすぐ付ける。
今はクーラーがあるのが当たり前。
便利なものに慣れると、それなしに暮せない。
「あなたはクーラー依存症ですから、うちわで我慢してください」
と言われたら怒るでしょう。
快感を得られても、快感は減弱していく。
同じ快感をえるためには、より強い刺激が欲しくなる。
乱用;物質使用上のルール違反
異存;物質使用のコントロール障害
中毒;物質使用によるダメージ
使用障害・乱用+依存(DSM-5)

1.依存症とは
物質使用のコントロール障害
アディクションとは
依存症に加え、行動のコントロール障害も含む概念
ギャンブル、ゲームなど
107万人が該当。医療機関に訪れる人は5万人/年

2.依存症の背景にあるもの
「意思が弱い」「だらしない」「自己中心的」「甘えている」などは依存症の症状
依存症に共通した特徴
①自己評価が低く自信をもてない
②人を信じられない
③本音を言えない
④見捨てられる不安が強い
⑤孤独で寂しい
⑥自分を大切にできない。

実は頑張っている人。
「人間不信」と「自己否定」
そのため人とつながっておらず、孤独で、人から癒されていない。

多くの人は解決できないつらさを一人で抱えて辛い状況にある。
幼少期の辛い体験を持っている。

「人に癒されず生きづらさを抱えた人の支援」

小児期逆境体験を持っていると、うつ4.6倍など(10の内4つ以上)
逆境体験が多いほど、「人間不信」が強く、「ストレスに対処する能力」が低い。

死にたいと語る人が多い。
生きるのが辛い。

「アルコール」「うつ」「自殺」は関係が強い。

3.依存症からの回復
6つの問題からの回復が依存症の回復
突破口は、「本音が言えるようになる」
そこで自助グループが必要になる。

「断酒会」は家族も入った会員制
人に癒されるようになると、酒や薬物に酔う必要はなくなる。
「正直な気持ちを安心して話せる場所」をもてれば、そこで人は癒される。
回復が進んだ人は、自分のひどかった経験がこれから回復を望む人の手助けになり、自己肯定感が高まる。
支援する側に回る。

自助グループで「仲間」と呼び合うと仲間になる。

「信頼できる人間」と「安心できる居場所」が必要

4.依存症者への望ましい対応

家族から止めなさいと言われると6割くらいは使いたくなる。

薬物依存は、苦しさがまぎれるからが58.8%
苦しいから止められない。

依存症はメンタルヘルスの問題。

患者一人ひとりに敬意を持って接する。
対等の立場にあることを常に自覚する。

依存症者は健康なひとの中で回復します。
信頼をはぐくめる場所において回復します。

5.新たな依存症支援の考え
コツを1つ挙げるとしたら、それは、「やめさせようとしないこと」である!」

止めることを無理強いしない。

薬物があったから、これまで生きて来られたと思えるような人が多い。
いのち綱が人ではなく物質だった。
問題は、「止めない」のではなく「止められない」ことである。

ハーム・リダクションアプローチとは?
止めさせることより、害を減らすこと。
注射器の回し使いによる感染があるなら、注射器を配れば良い。
困っていることを支援する。

「無理にやめさせようとしない」 信頼関係を築きやすくなる。

やめさせようとする

スティグマを軽減する」 自尊心を尊重する
患者は周りの目とも戦う必要がある。

患者さんと向き合うまでに10年かかった。
家族も傷ついている。
依存症の回復を妨げているのは、賞イヤ社会の誤解・原研のスティグマ

敷居の低い支援
「底つき」と「共依存」の誤解
「底つき」まで持って行こうとしない。
「共依存」は、治療者が熱心に関わったり親切にしてはいけないということではない。

6.支援者に大切なこと
信頼関係を築くために
こちらから信じることから始まる。
こちらが余裕がある。
回復を信じられる。
共倒れをしないこと。

人に癒されている人が癒す人になる。


高知東生氏
『生き直す 私は一人でない』
母を自死で亡くしている。

2016年6月24日薬物で逮捕され、それから8年。
多くの人に支えてもらって今がある。

なんで有名な女優と結婚して薬物に手を染めてしまったか。
宝物をなんで裏切ったのか。
隠し事がたくさんあった。
エステや加圧トレーニングの店を次々オープン。でも上手く行かなくて大きなストレス。
薬物を使っていた女性と知り合い、不適切な関係を持った。
今考えると、薬物を使って話を聴いてくれる人がまともな人ではないのは分かるのだが。
見つかったら人生をダメにするとわかっている人に話を打ちあけていた。
秘密を握りあう恐怖に変わって行く、抜けだせなくなった。
ヤバいから止めようと言っても、お互い「大丈夫」と言い続けていた。
抜けだせなくなっていた。
大切な家族や友人を失った。
店の退去費用、従業員の補償などで貯金を使い果たした。
クルマや時計なども売った。

苦しかったのは2年目
一人で部屋に引きこもっていた。
マスコミに叩かれ、日本中を敵に回していたように感じた。
友だちのほとんどが連絡をブロックされた。

執行猶予の4年があければ、「あの人が助けてくれるのでは」と希望を持っていた。

近づいてくる人は、
・ネットワークビジネス
・宗教勧誘
・霊感療法への誘導
・マスコミへ売る

友だちが「俺の会社で働けば」と言ってくれたら、役員会議で反対にあった。
俺が作った会社なのに自由にならなかった。

働いてもいいけど、働いていることをPRして良い?と言われた。
断った。

数回お茶したら、霊感療法への誘い。

2年ブロックされていた人から連絡が来て喫茶店で、出たら週刊誌の記者がいた。
そしてその夫婦に話したことが記事になっていた。

3年目に転機が訪れた
執行猶予4年持たないとの思い。
おふくろ自殺だったよな。
オレも同じように終わるのかと思ったけど、実行できなかった。
生きたかった。でもどうすれば良いかがわからなかった。
X(ツイッター)で自分のことを話そうと思った。
そうしたら一緒に啓発活動をしてくれませんか?
それが田中紀子さん。
断ったけど、熱心に誘ってくれた。
そして横浜のレストランでランチをした。
彼女は自分のことを全て話してくれた。
喫茶店を変えて、7時間話した。
今までの人とはなんか違う。
田中さんには胸のうちのことを話した。
「あんたが恥と思うことをプラスにしませんか?」
「あなたの精神的な不安を一つひとつ取り除きましょう」
講演をどんどん入れてくれた。芸能界の時とはケタが違うけど、生活の糧になった。
回復プログラムをやってみませんか。
回復12ステップをにも取り組む
一歩一歩やっていると取材が舞い込んできた。
当時回復プログラムをやっている著名人はいなかった。
またいろんな人に迷惑をかけるのではないかと思った。
田中さんは断固「取材は受けるべき」と。
誤解が出ないように田中さんは関わってくれた。
取材を受けていると、「今の方がよおい」「他の人を助けてあげてください」
勇気を持って話すと依存者家族から応援になっていると。
田中さんから「回復の過程を文章にしてみませんか」と言われた。

実は隠したい過去があった。
ばあちゃんに育てられた。
ばあちゃんから、「おじいちゃんが釣りに行ったとき、箱に入って流されてきた」と。
「捨てられる」「逃げられる」
良い子でいないといけないといけない。
おばさんが何度か来て、いつも何か買ってくれた。また来てくれないかと楽しみにしていた。
おばちゃんから「あのおばさん、あんたのお母さんよ。明日からは一緒に暮らすのよ」と。
夢のような生活ができると思ったら、毎晩お酒を飲んで帰って来た。それが嫌で家出をしたこともあった。
男性が迎えに来て、キャバレーに案内され、組長が父親だと言われた。
そこでも「いい子でいなければ」と過ごしていた。
田舎は高知で有名な親分だった。
中学から全寮制の学校、明徳義塾、母親から離れると思って。
17歳のとき、大会近づくと父兄が食事を振る舞ってくれる。
そのとき、俺のおふくろがいた。全然嬉しくなかった。
おふくろの持っていた高級なものがだんだん減って来た。
それからおふくろは何度も足を運ぶようになった。
段々、これが母と息子の会話かなと思うようになった。
母が僕に会いに来た。大学に入って欲しい。野球で。
野球では難しいと分かっていた。
「組を継ぐのだけはだめだ。やくざだけは絶対ダメ」と言った。
組の若い衆からちやほやされていた。
「就職して仕送りするから:と言った。
母が帰るとき「私きれいかな?」
その1時間後おふくろは自殺した。
実際の父親は別の人だった。その人もヤクザの親分だった。
子を親を変えられない。
信じていたばーちゃんも含めて真実を言ってくれなかった。
「女は信じない」 ぶっ壊れた。
大切な人たちの誰にも愛されない。
大切なものは金。
絶対に弱音を吐くものか。
それをツイッターで呟き出したら、大反響を生んだ。
特に自死孤児から共感が寄せられた。

しかし、そう簡単には変えられない。
高知さんの女性感は歪んでいると言われた。
男は仕事で成功することが正義だと思っていた。

田中さんから「母親の生年月日はわかりますか?」と尋ねられたが答えられなかった。
「徹子の部屋」に出た時、「41歳で交通事故で亡くなった」と言った。
母親は子どもを産んで、女を選んだと。
田中さんから、「お母さんのことをもっと調べませんか」と言われた。
「確かに生年月日も知らない」と思った。
偶然、母の同僚、親友に出逢えた。その女性が生きていた。
その女性に「母は最低の人だった」と言った。
その恨みをパワーに生かさないとやっていけなかった。
そのおばさんが「おかあさんに失礼だよ。あんたのお母さんは息子しか見てなかったよ。当時のシングルマザーは本当に大変だった。ジョージ(高知東生)のためなら何でもする」と。
再びあった時に驚いた。「母は博打にはまっていたからね」
おふくろは博打の借金返済のために自殺した。その保険が失効する2日前だった。
おふくろに捨てられたのではなく、おふくろは自分を守ろうとしてくれていた。
男は男らしく。
女は男が守るもの。
男は弱音を吐かないもの
との思い込みがあった。

あの時の選択はあの時がベストだったなと思うように思っていいる。
困った時は誰かに相談すれば良い。
そうすれば執筆依頼が来た。
『生き直す 私は一人ではない』『土竜』

ピンチのときはまず自分が変わろう 誰かに相談しよう
本当の味方を見分ける目を持とう。
偉大な見えない力を信じよう 今できることに最善を尽くす

これからも皆さんのお役に立てたらと思って邁進してまいります。


第二部
成瀬氏
 当事者の話があると、私の話を薄っぺらいなと。多くの人の回復で何が大切かを通訳して話している。高知さんの話を聴いて、普段の業務にどう生かすか。

質問;
 本人に依存症の意識が無い場合どうすれば良いか?

回答;
 本人が何に困っているか。そこに依存症云々は関係ない。本人が正直に話をしてもらえるか。かつこちらに準備が出来たら話してくれる。ほじくるような話の聞き方をすると語らない。
「どうですか? 何か困っているありますか」と言葉を投げかける。
「あなたは依存症だから、止めなさい」だけはやってはいけない。

質問;
 ハーム・リダクションは他に何か役立つか?

回答;
 問題行動の前に苦しいことがあり、問題が起きている。大きな問題にならないようにする。あなたの生きづらさをどうするかに仕えらのではなく。
 苦しさから生まれ得た症状。仕方がないと認めるが、治療側は止めた方が良いと頭に置いているが指示することはない。大麻は大きな症状はでないけど、逮捕が大きな問題。では逮捕されないようにするためにはどうするか。逮捕されると治療が中断する。
 ODが止まらないならこういう準備をしておく。本人が考え選択する。
その方が止める人が多いから言っている。

質問;
 不信感をぶつけられることもあるが、それでも信頼していくためにどうしているか?

回答;
 不信感をぶつけられのは当たり前。外来に来たらよくきましたねとする。当たり前に相手をを扱うと「あれ?ここは違うな」と感じる。最初の1時間が勝負。1:1で話を聴く。
 信頼関係を築くためにやっている。信頼関係ができると相手が話してくれる。
双方向の信頼関係があると、治療側が癒されることがある。
薬やテクニックなどの技術ではなく。
難しいケースもまだその時期に来ていないと。
チームとしてかかわる。治療が弱ってしまうのは良いかかわりでない。
来てくれたら良いと考える。

高知氏
質問;
 開始プログラムに取り組んでいた人が再発、自死になるとか。

回答;
結局は自分のために。支援する側はただただ待つこと。支援すると決めたなら、待つこと。その中で再発することもある。寄り添ってあげることを忘れないこと。一人にさせないこと。ぼくのチームは、薬物を止めることが目的でない。あなたらしく笑顔で生きることが目的。止めることより目の前のことをやる。捕まらないように努力している。悪い環境だとやり方を間違えている。間違えて教えられている。
「俺たちは努力家だよな。でも努力の矛先を間違えているよな」
そういうと泣いてくれる人がいる。伝わる人がいる。
僕は完治した人間でなく、死ぬまで完治努力をし続ける。絶対「一人で悩むな」
いろいろな情報を集める。アトピーみたい。いろいろやってもなかなかよくならない。でもやっていると突然良くなることがある。
 依存症は一人ひとり違う。必ずどこかで気づく。孤独さえしていなければ。「待とうよ」。苦しいのは本人だから。横に傍にいてあげるだけで違う。待つということが相手の笑顔につながる。

質問; 
 回復プログラム中で自殺があるとメンバーはどうダメージを受けとめるか。

 おふくろの自死の話をするたびに、涙が浮かぶ。でも「産んでくれてありがとうとの感謝も生まれる」。悲しい時遠慮なく泣いて良いのでは。

質問;
 母の自死は本を書く前と書いてからで変化ありますか?

回答;
 ギャンブル依存の自死遺族の集まりに呼ばれて話をした。だんだん楽になって来ていた。でも”自死“の言葉が看板があると、これまで起きなかった感情が出てきた。自分に向き合ってやってきたのに、ゲストなのに全く話せなかった。自分で解決していたと思ったけど。そうではなかった。
 大人は自死を知られたくないので、葬儀も簡単も終わった。
 ばあーちゃんの妹の成功していた人から、養子にならないかと言われた。しかし、母の戒名を亡くして永大供養するようにとの条件付きだった。つまり母を捨てるということ。嬉しかった。養子になろうと一時思ったが断わった。
 養子になると思った時、母を捨てた。それが苦しかった。そこで母の戒名がきちんとやろうと思った。その時電話がかかって来た。そいつが明徳義塾の後輩で、お寺の息子で。位牌はまた明徳義塾の後輩がやってくれた。
今その位牌に、「かあちゃんきれいだよ」と言っている。

質問;
 いつまたスリップしてしまうとの不安は怖くないですか?

回答;
 ぜんぜん怖くない。スリップしたらまたその時考えればよい。
自助グループの12ステップがあったこと、とても幸せで、とても楽である。
もっと早く出会いたかった。

成瀬氏
 正直、笑顔、信頼できる。人間関係のあるべき姿を示している。こんな人になれたらよいと思う。
 回復した人はマイナスがゼロになるのではなくプラスになっている。酒・薬物を止めることより人間関係の信頼関係を構築する。孤立すると人は病んでいく。
 子どもたちに共通しているのは、「居場所がない」、「信用できる大人がいない」こと。そういう子どもたちにどうしていくか。子どもが幸せにならない日本の社会は暗い。健康な人が一人ひとりがかかわっていくことが重要になる。

感想
 成瀬氏の講演は、依存症の人を病気とみて対応することがよく分かりました。
米国では「ハンディキャップ法」で本人が治療を受けていると、それがアルコールや薬物依存でも、「ハンディキャップ法」で守られていると聞いたことがあります。
 日本ではいまだに、「弱い人」「ダメな人」のイメージが強いです。
 依存する人は真面目な人が多いとの説明もありました。完璧にやろうと思うとできないけど、その思いが強く、それが大きなストレスになり、そのストレスを忘れるためにアルコールや薬物に依存してしまうようです。

 高知東生さんの壮絶な人生、必死で生きて来られたことがよく分かりました。
無理して頑張り過ぎていたことが大きなストレスになり、つい癒してくれる女性が薬物をやっていて、誘惑に負けてしまわれたようです。薬物をやっていない女性なら不倫だけで終わったかもしれません。
 誰と出逢うか、大きいですね。

 多くの人に聞いて欲しい内容でした。
今回は会場だけでなく、リモートにされ、多くの人に聞いていただく努力がなされていました。
 ぜひ、アーカイブで後日録画を期間限定でも見られるように是非していただきたいです。
その日の都合のよい人だけに聴いて欲しいのか、それとももっと多くの人に聴いて欲しいのか、厚生労働省の補助事業ですので、税金が使われています。税金を少しでも活用するためにぜひ考えていただきたいです。
 その瞬間瞬間で何を選択するか。その時に、「多くの人に聴いて欲しい。聴くことが予防にもなる」との強い思いがあれば、リモート、アーカイブは当然の選択肢だと思うのですが・・・。今回はリモートがあったので、一歩前進なのかもしれませんが・・・。
 このようにブログやHPで紹介しているのは、”ハチドリの一滴”かもしれませんが、少しでも多くの人に知っていただきたいからです。
 誰に出逢うか、何に出逢うとによって、大きく人生は変わることがあります。
哀しいかな、よくない出逢いもあります。
高知東生さんは、薬物やっていた女性との出逢い、薬物依存の啓発活動に誘ってくれた田中紀子さんとの出逢い、もちろん高知さんの選択があるのですが。
 このブログも一つの出逢いになると良いのですが。

 この本に、メンタルな病を治すのは人と人との繋がりだと書かれています。
稲村氏はいのちの電話の創成期メンバーのお一人です。
まさにそんなお話でもありました。
この本はぜひ読まれると良い本です。
良い先生は良いお弟子さんを育ちますね。
この本は、同じくいのちの電話の創成期メンバーのお一人の斎藤友紀雄氏に教えていただきました。

NHK「こころの時代」 第六回 人生のな中の出逢い ”妻エリーとの出逢いが、苦悩する人を愛する人に変えてくれた”

2024-09-15 07:42:07 | 生き方 考え方 笑顔 ロゴセラピー
家族に支えられながら40冊の本をだした。
それはロゴセラピー、生きる意味を問う心理療法です。
孫、フランクルはそれを実践していました。
いたずらしたら烈火のごとき怒っていたが、無邪気な子どもに怒っていることに気がつて態度が変わった。
空は人生の苦悩が人生から切り離せないことをよく言っていた。
『苦悩する人間』
苦悩する人は、もはや運命を外面的に変えることはできない。しかし、内面的に替えることを知っている。苦悩は成長です。苦悩は人間に見抜く力を与える。苦悩への勇気、それが必要です。
それをエリ―がフランクルに与えた。
エリーは戦後結婚した二人目の妻。
フランクルは愛によって生きる意味を考え続けた。

人間にとっての人生での出会いがどういう意味を持つのか。

二人目の妻、エリーとの出逢いが、どれだけ大きな意味を持っていたか。

もう一度会いたいと思っていた、母と妻が亡くなっていた。
再会することだけを目的にナチスの強制収容所で生きのびた。
絶望に追い込まれた。
自殺するかもしれないと心配する友だちが、ロゴセラピーの本を出すことを勧めた。
人生の達人でさえ、人生に意味を見出せなかった。
本を出すだけでは、空虚な穴があり、その穴を埋めてくれるものが見つからなかった。

故郷に戻ったフランクルを支えてくれたのは、友人たちだった。
仕事も見つけてくれた。
その職場で看護婦との出逢いがあった。
フランクルの精神科のベッドを使わせてくれないかと看護婦が言ってきた。
それが二人の出逢いだった。25歳ほどの年齢差があった。
エリ―は少女時代から行動的だった。

エリ―は自分を生かせる仕事、病院での仕事を見つけた。
エリーはキリスト教徒、フランクルはユダヤ教徒、

彼女はありのまま。フランクルは彼女に出逢ってあらたな道を見つけた。

「もっとも深く考える者は、もっとも生き生きとしたものを愛する」
フランクルは同情から自分に寄ってくるのを心配していた。
「同情からではなく、愛から」と書いたカードをエリーはフランクルに渡した。
強制所の辛い話をすると多くの人は逃げていtった。
しかし、エリーさんはずーっと聴いていた。
フランクルはエリーさんに「ロゴセラピーを広げていく仕事を手伝って欲しい」とお願いし、了承してくれた。講演旅行もずーっと一緒に、フランクルが死ぬまで一緒にいた。
二人はよく喧嘩していた。言い合いが激しかった。
お互いぶちまけて、そして仲よくしていた。

母は何でも「はい」という人ではなかった。
フランクルに「それでは伝わらない」とハッキリ言っていた。

『夜と霧』が出ると、講演や執筆を手伝った。
それにより、フランクルは外に向かった。
40冊、手紙は約11,000通。全てエリーがタイプした。

米国から名誉博士号を授与すると言われたとき、
「エリーだけがその名誉に値する。この私がよく知っている。
自分より、エリーにその価値がある」と言った。
エリーに名誉博士号が与えられた。

私(勝田)がロゴセラピーを学びだした1年前にフランクルは亡くなっていた。
ロゴセラピーを学んで3年後にエリーさんに会った。
「大変だったのよ」とざっくばらんに言う人だった。

フランクルは70歳以上でパイロットの免許を取った。
エリーも一緒に乗ったことがあるが、乗った時、墜落して一緒に死にたいと何度も思った。
フランクルが先に亡くなると分かっていたから。

フランクルは晩年目が見えなかった。エリーさんに読んでもらった。
孫が、「おばあちゃん大変だから、僕が読むよ」と言うと、フランクルは「おばあちゃんの声に慣れているからおばあちゃんに」と言った。

深夜に「死にたい」と電話がかかって来た。
フランクルはいろいろ死なないように言った。
その後手紙が来て、「私はフランクル先生との電話が終わって生きようと思った。フランクル先生が言ったことはほとんどわからなった。でも私のために一生懸命対応してくれたことが生きようと思った」と。

フランクルが強制収容所から戻ってきも、反ユダヤ主義は残っていた。
また同じユダヤ人仲間から「カソリックの女性と結婚した」ことを問題にする人もいた。
またフランクルが元ナチスの人と交流したことを非難する人もいた。
フランクルはその人が反省していると。

フランクルのブレのない人生。
彼自身が悩みぬいた人生を過ごしたことが大きな役割を担っている。

あるユダヤ人の人が、「イスラエルがカザの人々を攻撃しているのが苦しくて苦しくて辛い」と。そして今『夜と霧』を読んでいると言ってきた。(小野)

何に苦悩しているかではなく、どういう風に苦悩しているかが大切だと。
苦悩はとても大切なもの。苦悩は成長するために必要なもの。
苦悩の中にいる人はそれが分からない。
フランクルさえ苦悩に苦しんだ。
暗闇の中でも、光を見る気持ちが必要である。

チェスでその局面で必死に手を考える、でもまたする次の局面が来る。
苦悩も尽きないが、愛も尽きない。
人生に対するYES、それは人生への愛の形。

フランクルが大切にした出逢いが新たな出逢いを生んだ。
エリザベル・ルーカス先生、勝田さんの先生。
ルーカス先生は勝田先生を初め多くの弟子を育てた。
「学生の時にフランクルに出合えたのが大きい。ロゴセラピーは苦悩の対処だけでなく、予防にも大きな効果を果たせることができる」
「人間とは常に決定するものだ。人は状況だけに左右されるものではない。小さくても選択ができるのだ。平和が身近なところからもできる。ロゴセラピーは『平和』に繋がる考え方が多く含まれている。耐える人こそ英雄なのです。敵を理解しようとして妥協点を見いだそうとする。誰が戦争を辞めさせる勇気を持つ。人間は周りの世界に影響を与える。一人が平和にやれることがある」
ルーカス先生はフランクルの考えを正確に伝えることをしてきた。
私(勝田)は家庭で上手く行って行かなかった。そのことを相談した。
パートナーから別れたいと言われ、それをルーカス先生に言ったら「良かったじゃない」と言われた。
確かに別れがなかったら私はロゴセラピーを日本に伝えることはなかった。

ロゴセラピーをずーっと聴いていると、「予防」という考えが腑に落ちた(小野)。

自分が知り合った人をどう助けられるか。
それを見た人が自分も何かができるのではないかと考える。
小さな平和の連鎖が広がっていく。
平和というと、自分はできるだろうかと足が竦むが、もっと身近なところからできる。
ロゴセラピーを教育の場でどう生かしていくかが今の私たちに問われている。
相手を傷つけないでどう対応するか。

ルーカス先生に出逢たことはラッキーだったと思う。
ロゴセラピーは遠いものでも難しいものでもない。
生きているからこそ苦しみに出合う。自分がどうそれに気づくか。ロゴセラピーが大きなヒントを与えてくれると思った(小野)。

ハラルドさん、フランクルの晩年の助手を務めた。
フランクルは片目が完全に見えなくなったが、エネルギッシュだった。
何度も死にかけた。でも何があっても文句を言わなかった。

手術室に入る前に、フランクルはエリーに言った。「あなたに本をプレゼントしている」
手術の後フランクルの意識はもどらず、3日後92歳の生涯を終えた。
エリーは書斎を片づけていたとき本『苦悩する人』にフランクが書いた文字が。
「エリーへ あなたは苦悩する人間を愛する人間に変えてくれました。フランクル」
目が見えないフランクがエリーに書いた言葉が挟まれていた。






感想
  ルーカス先生は時々プールに行かれているそうです。
あるとき、大きな男性が激しく泳いでいた。水しぶきがこちらにかかって来た。
2回目も水しぶきがかかって来た。
3回目の時に、「泳ぎがお上手なんですね」と言った。
そうすると男性はその後の泳ぎは静かになり、水しぶきはかかって来なくなったそうです。
 このとき、「もっと静かに泳いで欲しい」というと、相手の男性は怒ってきたかもしれない。そうすると監視員に伝え、監視員がその男性に注意すると、男性は怒るかもしれない。

 この話は考えさせられました。
どう問題を解決するかには方法があるということなのでしょう。

 六回目は「出逢い」でした。
誰に何に出逢うかは大きいです。
そしてその出逢いをどう生かすか。
臨済宗の言葉に「有縁を度すべし」があります。
まさにその縁をどう生かすかが自分の人生なのかもしれません。

6歳で逝った娘、今も急に流れる涙。暑い日は、亡き妻を思う。辛い喪失抱えた2人を支えた“共感の場” "グリーフクッキング”

2024-09-05 00:30:03 | 生き方 考え方 笑顔 ロゴセラピー

 6月中旬、料理教室に参加した奥山由美さん(48)は、作ったばかりの和菓子の前に、あどけない女の子の写真を置いた。小学1年生で亡くなった「こっちゃん」。奥山さんの一人娘だ。奥山さんは2022年夏、長女・琴音さん(当時6歳)を亡くした。写真を常に持ち歩き、こっちゃんとはいつでもどこでもずっと一緒だ。

 死別などによる悲しみに寄り添った支援を「グリーフ(悲嘆)ケア」という。奥山さんが失意に暮れていた時に知ったのが、この「グリーフケアクッキング」だった。この日の参加した10人はみな、子どもを亡くした経験を持つ。水ようかんなどを手作りした後、悲しみを打ち明け合った。

 奥山さんが初めて参加したのは2023年冬。無心に粉をこねて広げ、皮から水ギョーザを作った。たわいもない会話が心地よかった。どうにかなってしまいそうだった気持ちが和らいだ。

 帰り道、こう思えた。

 「息をしてるだけでも偉いぞ、自分! 生きよう!」

◆わずか5歳で余命宣告

 こっちゃんは21年、わずか5歳で余命1~2年の宣告を受けた。有効な治療法がないとされる悪性脳腫瘍「小児脳幹部グリオーマ」だった。

右半身にマヒが出たこっちゃんが左手で描いた絵。もともと手を動かすのが好きで、折り紙や粘土で作った作品を両親にプレゼントしたことも
 その後も奥山さんは、いつも通りに過ごしてもらいたいと、友達と自宅でカードゲームやおしゃべりをして遊ばせた。しかし、病状が進行し、右半身はマヒして動かせなくなった。それでも、左手で文字を書き、絵を描いた。ランドセルを背負って歩きたいと、歩く練習もした。奥山さんは、全力で生きる娘を尊敬した。

こっちゃんが小学校に通ったのは4日のみ。ランドセルは中身もほぼそのまま残している
 病気との生活は1年4か月に及んだ。娘が亡くなった直後は、感情が高ぶっていたと思う。同じ時期に闘病していた仲間に会いたいと新幹線に飛び乗って、東北地方へ向かった。娘が行きたがった公園に行き、食べたがったアイスを食べた。短期入院した病院を外から眺めた。いつも娘の写真とともに。

 在宅医療でみとったこともあり、家にいると切なくなる。予定を詰め込むことで悲しみを乗り越えようとしたのかもしれない。仕事にも時間をあまりおかずに復帰した。

こっちゃんが亡くなってすぐに作った闘病の記録写真。模造紙3枚に、こっちゃんの写真のほか、夫、奥山さんの家族3人で撮った写真が100枚近く並んでいる。今も部屋に飾っている
 がむしゃらに過ごす日々は長くは続かない。3か月ほどで体調を崩した。ひとりでは気持ちを抱えきれず、共感できる人を求めた。同じような喪失体験をした人の生き方を知りたかった。

 たまたま見かけた新聞記事で知ったのが、この料理教室だった。

こっちゃんの体調が悪くなってから、症状の記録をつけ始めた。自身の気持ちや夫の様子も書き記されている。1年4か月ほどの闘病生活で、ノートは9冊になった

◆「試練は乗り越えられる人に与えられる」なんて…

 6月の料理教室では、子どもを亡くした母親たちが車座に座り、ぽつりぽつりと思いを口にした。

 「毎日必死に生きていたら、今日になっていた。時間の感覚がわからない」

 「つきっきりで看病していた時間が幸せだった」

 「『試練は乗り越えられる人に与えられる』という言葉をかけられたが、そんなことない」。ひとりが話すと、周囲が大きく何度もうなずいた。「息子の死から30年以上たっても、毎日泣いています」。すすり泣く声が部屋に響く。

 奥山さんもここでは、思いを自然と口に出せる。「今月(6月)はこっちゃんがおなかに来た月。日常では平静を保っているけれど、涙が出ます」

 対話の中で、悲しみを抱えながら、子どもを亡くした経験から保育の資格を取ったり、ボランティア活動をしたりする人もいることを知った。

いつも持ち歩く写真は病気になる前のこっちゃんだ
 料理教室は、NPO法人「病気の子ども支援ネット遊びのボランティア」(東京)が、子どもを亡くした家族を対象に22年5月から実施している。「手を動かすことで、少しでも気持ちをほぐすことができるかもしれない」。法人理事長の坂上和子さん(70)はそう話す。

 悲しみが癒えることはない。奥山さんは、いまだに電車の中、在宅勤務中でも急に涙が流れることがあるという。グリーフケアを通じ、子どもとの死別という共通項があるものの、悲しみへの向き合い方は一人ひとり異なることを知った。寄り添い合ってくれる人たちがいて、分かち合う場所がある。それが支えになっている。

◆福知山線事故がきっかけ
 日本でグリーフケアという言葉が知られるようになったのは2000年代のことだ。05年4月に起きたJR福知山線脱線事故で、遺族の心のケアの重要性が注目された。以降、遺族らに寄り添う取り組みが少しずつ広がっていった。大学に研究機関が設けられ、専門家の養成講座もできた。取り組みは、医療関係者など遺族に接する人々、精神科医やカウンセラーなど専門職によるもの、自治体が提供するもの、当事者たちの自助グループなど多岐にわたる。

◆絶望…1か月で7キロも減った体重
 岐阜県の会社員・加藤豪さん(45)は、自らを支えてくれたグループを、今は支える側になっている。

 21年9月、最愛の妻(当時44歳)を病気で亡くした時、加藤さんはこう思ったという。

 人生、終わった――。

妻のスマホはそのまま置いている。妻が作った、子どもの弁当を記録したインスタグラムを眺めることも
 「この後、自分はどうなっちゃうんですかね」

 妻の死から1か月ほどがたった秋の夜、パートナーとの死別を経験したひとり親のサークル「エミナル」のオンライン会合で、加藤さんは尋ねた。

 画面越しに初めて顔を合わせた人々は、「今はそういうふうに思っていても、上を向けるようになりますよ」とほほえんだ。

 もしかしたら、自分もそうなれるかもしれない。押しつけには感じず、自然にそう思えた。同じような経験をした人の言葉だったからかもしれない。

 妻の死後、何も考えられなかった。「乳がん、ステージ4」と宣告されてから4年半。別れの日が来ることはわかっていたが、考えないようにしていた。不謹慎だと思っていた。心の準備ができなかった。

亡くなる前に妻が残したレシピは1ページしかない。「もっと書いてほしかった」とこぼす
 手続きをしていると、頭がしゃんとするが、ほかの時間は祭壇の前でぼう然と過ごした。食事をしたいとも思わない。1か月で体重は7キロほど減った。何をしていたのか覚えていないのが本当のところだ。

◆「エミナル」の由来は…?
妻が残した手帳を眺める。細かい文字で書かれた予定表やメモから、まじめな性格で子どもや仕事への思いが伝わってくる
 これからどうなるのか不安で検索し、「グリーフケア」という言葉を知った。妻が生前、図書館で予約していた本を借りに行き、グリーフケア関連の本も手に取った。自分がおかしいわけではないとわかったが、その後、どのように対処すべきかはわからなかった。

 心配だったのは子どもたちのことだ。当時はまだ中学生。「グリーフケア ひとり親」と検索し、「エミナル」に出会った。

 エミナルでは、配偶者の死別によるグリーフに寄り添い合い、ひとり親の悩みを話し合う。笑顔になれる場所にしたいという思いを込めて、「笑みになる」を縮めた「エミナル」と名前がついた。月に1回ほどオンラインで集まり、気持ちや経験、悩みを話す。

◆暑い日は、妻が亡くなった日を思う
 同じような喪失経験をした仲間とだから、気兼ねなく話せることもある。

 男親ひとりだと、学校の保護者会はちょっと行きにくいかな。妻のことを聞かれたらどう答えたらいいのだろう。遺骨はいつまで自宅に置いていた? 病気を宣告されてからの日々もつらかったよね――。経験を交えながら語り合う。

配偶者を亡くしたひとり親が集まる「エミナル」の仲間とは、ビアガーデンで楽しむことも。亡くなったパートナーのことを自然に話せる大切な場所だ
 気の合う仲間とは実際に会ってバーベキューをしたり、飲み会をしたりも。友人や会社の知人とは、遠慮して妻のことを話しにくいと感じることもある。だが、エミナルの仲間とは自然と話せる。何げない会話に妻が出てくる。いつの間にか心が安らいでいく。

 料理上手で子どもの服も手作りした器用な人だった。親戚や知人への贈り物を欠かさない優しい性格。そんな妻をいつでも見ていたいと、今はリビングに位牌(いはい)を置き、デジタルフォトフレームで妻の写真を流す。自宅は、常に妻の存在を感じられる空間だ。

 もう「グリーフケア」は必要ないかもしれない。そう感じる一方で、命日や誕生日には何ともいえない気持ちになる。「記念日反応」と呼ばれる現象だ。

 お盆が近づいてくると、妻が帰ってくる気がする。妻の誕生日、生きていたら、何歳になるのだろう。春は病気を宣告された日を、暑い日は妻が亡くなった日を思う。エミナルの仲間にラインのメッセージを送ると、「わかる」「そうだよね」と反応がある。気持ちを打ち明けられる、わかってくれる人がいることのありがたみを感じる。

◆上を向いて歩こう
 今も月に1回はエミナルのオンラインの集まりに出る。悲嘆を抱えるひとりではあるが、話し合いがスムーズに進むように司会などを担うファシリテーターとして会を仕切る。

 初めて参加した人は、かつての自分のような質問をする。

 「この後、自分はどうなっちゃうんですかね」

 そんなときは、自分が最初にかけてもらった言葉をかける。

 「きっと、上を向けるようになりますよ」

 大丈夫。自分がいま、そうだから。

 つらい別れは誰にでも、いつかは訪れる。乗り越えなければならないものでもない。グリーフケアという支えのあり方が、少しずつ社会に広がればと願う。

◆悲嘆は誰もが経験する正常な反応
 「死別による悲嘆は、誰もが経験する正常な反応。しかし、悲しみの表現方法などは人それぞれです」。グリーフケアに詳しい関西学院大の坂口幸弘教授(臨床死生学)はこう話す。

 遺族の多くは、自身の力で日常生活に少しずつ戻ることができるとされる。一方で、専門家のサポートがあった方がよいと考えられる人もいる。半年以上、日常生活が送れないほどの悲しみがあれば、「遺族ケア外来」などがある医療機関への受診を検討する。

 死別の悲しみはかつて、地域や親族で共有され、そっと寄り添うことで癒やされてきたが、そのつながりは希薄化している。グリーフケアは、奥山さんや加藤さんの心の支えになっている。ただ、グリーフケアは、言葉もその意味もまだ社会に浸透しているとは言いがたい。ホスピス財団が23年に公表した調査では知っている人は1割ほどにとどまった。取り組みはまだ十分でないのが現状だ。

奥山さんが参加したグリーフケアクッキングを開催する「NPO法人病気の子ども支援ネット遊びのボランティア」では、活動のための支援を募っています。

感想
 子どもを亡くした親が、一緒に料理を作って食べる。
食べることも後回しになっている人も多いのではないでしょうか。

 子どもを亡くしたことには意味がないですが、苦しいここから一歩前を向いて歩いていると、意味が生まれてくるのではないでしょうか。
その意味は亡くなった子どもと一緒に適えているものでもあるのだと思います。

「こころの時代~宗教・人生~ シリーズ ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある」 最終回直前にEテレで一挙再放送

2024-09-04 01:42:44 | 生き方 考え方 笑顔 ロゴセラピー
深夜ですが、お見逃しの方、録画をしてご覧になるのもよいと思います。

 <最終回直前 一挙再放送> ※NHK Eテレ

(1)「日曜生まれの子」その光と影   9月14日(土)1:45~2:45 ※9/13(金)深夜

(2)苦悩を生き抜く            9月14日(土)2:45~3:15

(3)豊かさの中の「空虚」         9月15日(日)1:00~2:00 ※9/14(土)深夜

(4)人生という「砂時計」         9月15日(日)2:00~3:00

(5)「何か」に支えられて         9月15日(日)3:00~4:00



第5回;NHK『こころの時代』 ヴィクトール・フランクル第五回 人知を超える究極の意味「何か」に支えられて

2024-08-21 15:21:15 | 生き方 考え方 笑顔 ロゴセラピー
第五回 人知を超える究極の意味「何か」に支えられて

人間に元々備わっている「意味への意志」
「究極の意味」を知りたい。
すべての人間にそれがあるとヴィクトールフランクルは信じている。
強制収容所は私への卒業試験だったかもしれない。
自己超越、自己距離化、フランクルはロゴセラピーを実践した。
しかし、自分だけの力で助かったと思っていない。
危機のとき、何度も不思議なことが起きた。
超意味、究極の意味、人に起こることにはすべて超意味がある。
しかし、人はそれを知ることはできない。信じるしかない。

今回は「究極の意味」について話をしたい。
研究家の人の中でも意見が分かれている。
なぜならフランクルもそのことについて詳しくは述べていない。
そのために自分が考えていくしかない。
超越したもの、それへの眼差しがないと精神次元に移れない。
瞬間瞬間最善だと思う選択を人は行う。
その背景に究極の意味を考える必要がある。

強制収容所に行く前から解放されるまで、自分がどうして生き残ったか分からない。何か意味があったのではないか。
自分の人生を振り返ると、不思議なことがあるので、自分の意志だけでなく、何かに導かれているのではないかと。

最初の奇跡は、収容所に送られる前に起きた。
アメリカへのビザを申請した。
しかし、ビザが降りたのは自分だけ。両親には降りなかった。
フランクルは病院勤務だったので、両親も守られていた。
自分だけ亡命すると両親はすぐに強制収容所に送られる。
彼はどうするか迷った。祈るしかなかった。
ウィーンのキリスト教の大聖堂がある。
ユダヤ人なのでユダヤ人のバッチを付けているのでそこには入れないが、隠して入って祈った。
家に帰ると石がある。父がこれは壊されたシナゴーグの石の破片だと。
モーズの十戒の一つにしか使われていない言葉だった。
それが汝の父母を敬えだった。
偶然だったけど、そこに意味を感じた。
彼はロゴセラピーの入門書を書きはじめた。
その石の言葉が与えられる前は迷っていた。
彼はその記(しるし)で迷いが消えた。

1949年てレージェンシュッタトに家族四人、2年後ビルケナウへ。
そこで不思議な出来事。男女に分けられ、さらに二つに分けられた。
行先は知らされていなかった。
頑強な人は強制労働へ、ダメな人はガス室へ。
その判断をしたのがメンデル博士が判断した。
メンデル博士は左へと指示した。左はガス室行きだった。
右に知った人がいたので、メンデル博士の背後を回ってふらふらと右へ行った。
誰かが見ていたら左へ行かされていた。メンゲル博士は何度考えても左を指さしていた。

フランクルはなぜ自分が生き残ったのか? 
不思議な出来事があったから。
自分が能力があったからではなく、大きなミッションがあったから生きられたと考えた。

ロゴセラピーの原稿を隠し持っていたのを奪われた。
もう一つはアルプス山岳会の会員バッチも取られた。
この2つはとてもショックだった。
彼にとって山は特別だった。
厳しい岩壁を登っていた。80歳までやっていた。

奪われた時はショックを受けた。だけど、それはもしかしたら、これまで理論でやってきたのを実践で試せ!と思うようになった。
そのきっかけになったのが与えられた囚人服(きっとガス室で殺された)にポケットに紙きれがあり、そこに祈祷書から祈りの言葉があった。
あなたは心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主を愛しなさい。
この偶然をどう解釈すれば良いか。自分がこれから考えを示せと解釈するしかなかった。
フランクルはずーっとの紙切れを大切にしていた。
解放されたとき、どういうわけかその紙切れが亡くなっていた。
彼は超越的なつながりを常に意識していた。
どこからか聞こえてくるものがあったのではないか。

人間がどう生きるか、まさに生きること、それが全うできるか。
人生を諦めるということは、ロゴセラピーを諦めることになる。
常に状況によって、フランクルは迷いなくと見えるが、フランクルはその都度その都度揺れている、迷っている。
でも徹底的に考えているから、何かあったときに自分が見つけられる。
他のセラピーは原因を探る作業に明け暮れ谷底へ歩いていく。
ロゴセラピーはそのとき頂上を目指す。
目の前に手をかける岩があるので手をかける。
なぜそこにたまたま岩があるのかはわからない。

次にカウフェリング 収容所に移された。
他の収容所へ移動、過酷な労働から解放されると期待していた。
しかし別の人が行くことになり、トラックに乗った人は全員ガス室へ、フランクルは助かった。
フランクルは発疹チフスのかかった。
連合軍が迫ってきたので、ナチスは囚人を死の行軍に行かせた。
しかしフランクは発疹チフス感染してたのでその行軍から逃れた。

人が自分の力だけでなく、何かに支えれていると感じる。
自分が偶然いろいろなことで命が助かる。
究極の意味は宗教で言えば神様になる。
フランクルはロゴセラピーに宗教は入れなかった。
彼は敬虔なユダヤ教信者だったが。

セラピストが自分の信仰をクライエントに押し付けることはしない。
フランクルは相手の宗教にも柔軟に対応した。
寛容性が他の人より広かった。
開放後、知り合った女性はカソリック教徒。
ユダヤ教は他の宗派の人の結婚しないが、フランクルには寛容性が大きかった。
フランクルはどんな人でも普遍的な次元の何かを持っていると考えた。
なので、宗教の違いは関係なかった。

「テフィリン」聖句箱を常に身につけていた。
ユダヤ教が自分を導くすべてだとは考えていた。
再婚したエリ―はカソリック教徒。全ての宗教は平等。
フランクルは宗教は言語だと考えていた。悪用することもかつようすることもできる。

人間の存在はなにか。
すべての人をささえているものを究極の意味と考えていた。
どんな時に言える。
心の底から出てきた願望です。究極の意味が存在するに違いないと。

心と身体の次元だけでは超えることができない。
精神次元が必要。
普遍性、どんな人間にも共有できる。宗教が違っても。
究極の意味、宗教や哲学的でもある。
理論的な考えでは把握できない。説明できない。理解できないものがある。
そういうものがあるからそこに眼差しを向ける。
シニカル態度ではなく、謙虚に。
人間は自分と距離を空けて自分を見ることが大切。
距離とは究極の意味で、そこから見ることができるか。
悩んだり悲しんだりしてるときは、その感情に飲み込まれている。
そこから離れて究極の意味の視点から考える。
それができると、まわりが見えてくる。
他にも道がある。悲観することがある。
小野さんの故郷浦江は海しか見えない。
でも山から見ると別の港も見えてくる。

宗教も人がよりよく生きるための指針を与えるとすると、ロゴセラピーはより普遍的な言葉で一緒に考えましょうと。
人間は互いに理解できるはず。
人間性によってしかわけることはできない。
この地上には二種類の人間がいる。
品格のあるしっかりした人間とそうでない人間。
この二種類の人間がどこにもいる。
どこにも両方がいる。

フランクルは人を分けるなら、品格のあるまともな人がどうか。
宗教や国などで分けるものではない。一つの人類主義、フランクルの造語。
同じ精神次元を持っている。
ユダヤ人を迫害したドイツ人だと避けるのではなく、その人が品格があるかどうか。
戦後、ナチス党員と一緒に山に登ったこともあるが、その人はひどく後悔していた。なんでそんな党に入ったのか。
同じユダヤ人仲間ははフランクルのその態度を非難した。
フランクルは一人ひとりを見た。
ヨーロッパ議会で起きているのはフランクルでいう”一人類主義”とまったく違うことをやっている。
太古の昔には国境がなかった。
今はそれぞれが自分たちの利益だけを考えている。

フランクルが今いれば、どんなときにも悲観するこはない。
人に対する思い、社会に対する思い。
良きものが社会を支えている。
この世界に意味があると考えられないでしょうか。
究極の意味の存在を信じようと決断すると結果が生まれる。
信じることがそれを真実にするのです。
可能性を実現するのです。



感想
 究極の意味
今起きていることに意味があるかないか。
それはわかりません。
しかし、何か意味があるはずだと信じて一歩一歩前を向いて歩いて行くと意味が生まれてくるのだと、フランクルは私たちに言いたのだと思います。

究極の意味を考えながら生きることが、「意味への意志」なのでしょう。
そしてそれを持ちながら生きることが、自分の人生を意味あるものに高めていくのだと思います。
意味を判断時の視点に加えると、意味ある選択肢が増えるように思います。

意味への意志は時により、自己超越の場合もあるのでしょう。
自分はしんどいけど、いまこれを行うことにはしんどいけどそれをやる意味があると信じて行う。
自己距離は、自分から距離を持ち自分が今どうしようとしているか、それが意味のあることなのか、感情に支配されての行動なのか、それを冷静に見て判断するためには、自己距離化は必要なのでしょう。

ロゴセラピーの学びは、まさに自分の人生のより良くしていくツールというか、考え方のようです。
そのため、ロゴセラピーとセラピーよりもロゴエデュケーション(ロゴ教育)の方が適切だと言われています。