なんと純で鈍な二人!
男は、恋心から女の恋人を毒殺に成功した(自殺として処理された)ものの、女に男として近づいて振られ彼女を失うことを恐れ、ひたすら恋心を隠し、師として聖人君子を装った。
女は、恋人を失い子どもも流産し、ひたすら芸(詩)に打ち込み才能を開花させた。師を尊敬していたが、それが徐々に恋心に変わっていった。
今回、恋人の死の真相が明かされ、毒をもった犯人が師であり、その犯行が自分への思いによるものであることに期待して賭けに出た。
師が行ったのと同じ手口(コーヒーに液体(毒)を2、3滴たらすとおいしいとすすめる)で毒を盛り、師が毒殺の犯人なら毒に気づき飲まない。師が犯人でないなら疑わず液を垂らして飲む。もちろん、女は師が飲まないことを期待していた。
男は、右京の動きから過去の行為が暴かれることを予見していた(右京にヒントも与えていた)。そこで、彼女が自分を毒殺することを予想し、復讐されるのは当然と考え、遺書を書いて(自殺にして彼女に罪が及ばないよう考えた)、死を決意して彼女の元に向かった。
予想通り、彼女が毒を入れることを進めてきたので、ためらわず毒を入れ飲んだ。
女の用意した小瓶の液体は毒ではなかった。師を殺す意思はなく、師の心を知りたかっただけなのだった。師がためらわず飲んだので、師は無実(自分への恋心はない)だったと失望して、服毒自殺してしまった。「さようなら」
なんて純粋。
そして純粋だから鈍感なのか?
素直に自分の気持ちを告げていれば、最後の悲劇は起こらなかった。それにしても、気づけよ!詩人なら。
右京さんも、推理の結論(誰が毒を盛ったか)をぼかさず告げておけば、悲劇は避けられたのに。遠い過去の過ちなので、ことさら追及するつもりはなかったのか。いつもの右京さんなら、彼女には真実を告げなくても、犯人を追及しそうなものなんだけど。
それにしても、死を宣告された彼女が、公衆電話に忘れられた日傘から、彼女の隠していた気持ちを見抜くなんて、ただ、師の声が聞きたかったのだと。すごい。推理の飛躍は、どこぞの執事と同じかもしれないが、説得力があるなあ。
過ぎゆく夏を惜しむように鳴く蜩、ラストシーン近くでは地面に仰向けで死んでいた。
ラストシーンでは、まっ青な空を見上げ、彼女の最後の詩を思い浮かべていた。彼女の詩を読む声と蜩が声が重なっていた。
花の里があれば、たまきさんを交えて、しみじみ語っているところか。そういう右京さんの本音を語って欲しくもあるが、本編のラストも余韻があって好きである。
【追記】(最初にアップした時に考えがまとまってない証拠ですね)
私を含めて多くの方が、三田さん(ここでも「ミタさん」ですね。芸名ですが)が、師匠を毒殺すると予想したのではないでしょうか?
ところが、実際は師匠に恋心を抱いていて、それを念頭に思い返すと意地らしい女心が垣間見られていました。
ドラマ冒頭で、着物を何枚も出して身体に合わせて選び、丹念に身支度を整え、紅を引いていました。呼び鈴の音に、ピクリと背を伸ばしました。
「あたし、自殺ではない可能性もある、そう思った時、なんだか嬉しかった。恐ろしいことかもしれませんけど、嬉しかった」
この言葉も、恋心からだったんですね。
そして、コーヒーを飲む師匠を食い入るように見つめ、師匠が平然と飲む姿を見て、目に涙を浮かべて「さようなら」と。
まさに、恋する乙女そのもので、三田さんとても可愛らしかったです。
以下は、蛇足です。
もし、師匠が少し情けない男だったら、あの小瓶を見て狼狽し、コーヒーを飲む手が震えるか、もしかしたら、土下座して命乞いをするかもしれません。こういう姿を目の当たりにしたら、恋心も朝露のごとく消えてしまうのではないでしょうか?
男は、恋心から女の恋人を毒殺に成功した(自殺として処理された)ものの、女に男として近づいて振られ彼女を失うことを恐れ、ひたすら恋心を隠し、師として聖人君子を装った。
女は、恋人を失い子どもも流産し、ひたすら芸(詩)に打ち込み才能を開花させた。師を尊敬していたが、それが徐々に恋心に変わっていった。
今回、恋人の死の真相が明かされ、毒をもった犯人が師であり、その犯行が自分への思いによるものであることに期待して賭けに出た。
師が行ったのと同じ手口(コーヒーに液体(毒)を2、3滴たらすとおいしいとすすめる)で毒を盛り、師が毒殺の犯人なら毒に気づき飲まない。師が犯人でないなら疑わず液を垂らして飲む。もちろん、女は師が飲まないことを期待していた。
男は、右京の動きから過去の行為が暴かれることを予見していた(右京にヒントも与えていた)。そこで、彼女が自分を毒殺することを予想し、復讐されるのは当然と考え、遺書を書いて(自殺にして彼女に罪が及ばないよう考えた)、死を決意して彼女の元に向かった。
予想通り、彼女が毒を入れることを進めてきたので、ためらわず毒を入れ飲んだ。
女の用意した小瓶の液体は毒ではなかった。師を殺す意思はなく、師の心を知りたかっただけなのだった。師がためらわず飲んだので、師は無実(自分への恋心はない)だったと失望して、服毒自殺してしまった。「さようなら」
なんて純粋。
そして純粋だから鈍感なのか?
素直に自分の気持ちを告げていれば、最後の悲劇は起こらなかった。それにしても、気づけよ!詩人なら。
右京さんも、推理の結論(誰が毒を盛ったか)をぼかさず告げておけば、悲劇は避けられたのに。遠い過去の過ちなので、ことさら追及するつもりはなかったのか。いつもの右京さんなら、彼女には真実を告げなくても、犯人を追及しそうなものなんだけど。
それにしても、死を宣告された彼女が、公衆電話に忘れられた日傘から、彼女の隠していた気持ちを見抜くなんて、ただ、師の声が聞きたかったのだと。すごい。推理の飛躍は、どこぞの執事と同じかもしれないが、説得力があるなあ。
過ぎゆく夏を惜しむように鳴く蜩、ラストシーン近くでは地面に仰向けで死んでいた。
ラストシーンでは、まっ青な空を見上げ、彼女の最後の詩を思い浮かべていた。彼女の詩を読む声と蜩が声が重なっていた。
花の里があれば、たまきさんを交えて、しみじみ語っているところか。そういう右京さんの本音を語って欲しくもあるが、本編のラストも余韻があって好きである。
【追記】(最初にアップした時に考えがまとまってない証拠ですね)
私を含めて多くの方が、三田さん(ここでも「ミタさん」ですね。芸名ですが)が、師匠を毒殺すると予想したのではないでしょうか?
ところが、実際は師匠に恋心を抱いていて、それを念頭に思い返すと意地らしい女心が垣間見られていました。
ドラマ冒頭で、着物を何枚も出して身体に合わせて選び、丹念に身支度を整え、紅を引いていました。呼び鈴の音に、ピクリと背を伸ばしました。
「あたし、自殺ではない可能性もある、そう思った時、なんだか嬉しかった。恐ろしいことかもしれませんけど、嬉しかった」
この言葉も、恋心からだったんですね。
そして、コーヒーを飲む師匠を食い入るように見つめ、師匠が平然と飲む姿を見て、目に涙を浮かべて「さようなら」と。
まさに、恋する乙女そのもので、三田さんとても可愛らしかったです。
以下は、蛇足です。
もし、師匠が少し情けない男だったら、あの小瓶を見て狼狽し、コーヒーを飲む手が震えるか、もしかしたら、土下座して命乞いをするかもしれません。こういう姿を目の当たりにしたら、恋心も朝露のごとく消えてしまうのではないでしょうか?