ドラマでは、人の死をテーマ、あるいは、題材にすることが多いです。しかし、実際に大切な人をなくした方、重大な病気を抱えている方にとっては、ドラマレビューで私のような者が命や生についてあれこれ書くことは、腹立たしいことと思います。
私は今まで、ドラマレビューで何やかやと、時には重箱の隅をつつくように、突っ込んできました。ただ、生(死)に関わることには、真剣に書いてきたつもりです。私が殺人の動機にこだわるのはそういった気持からです。
しかし、フィクションですからガチガチに構えてドラマを観るのも、おかしいと思います。時には客観的に楽しみ、時には主観的に感動したいです。レビューを書く時も、基本的には観る時と同じ姿勢ですが、世間に意見を発信するので、観る時よりも客観性を持たなければならないと思っています。とは言え、あまりなドラマの出来だと、筆が走り過ぎてしまうこともありました。
自分の書いた文章で、他人が不快になる、傷つくのはダメです。特に、死に関しては真摯になることを心がけたいです。
最近、私の周辺でとても悲しいことがありました。その方のことを思うと心が痛いです。今週の『家政婦のミタ』では長女が死を選ぼうとしました。いろいろ心に浮かぶことが多い回となりました。
人が死を選ぶというのは、並大抵のことではありません。大きな悲しみや苦しみなどから、逃げ出そうとしたり、打ちひしがれたりと、ギリギリの状況に追い込まれているのには間違いありません。
ただ、それだけでは、死を選ぶかというとそうではないような気がします。どんなに苦しくても、この世との繋がりがあれば踏みとどまれるのではないかと。
繋がりとは、愛する人、生き甲斐、場合によっては復讐心など、生きる意欲が起きるモノで、その大きさの大小はあるものの、通常、複数のモノを持っていると思われます。
危険なのは、生きる意欲の源がひとつの大きなモノ(多くの場合、子ども、或いは恋人、つれあい)で占められている場合です。それを失った場合、悲しみと同時に生きる意欲も失ってしまいます。
また、生きる意欲の源が複数あっても、悲しみが大き過ぎたり重なると、一線を越えてしまう場合があるように思います。それが、今回の長女の場合です。
長女・結の悲しみ・苦しみ
・突然、母が死去
・母を失い、その穴(家事や兄弟の世話)を埋めることが出来ない苛立ち
・母の死は自殺で、その原因が父の不倫だと分かる
さらに今週
・急に養子になれと選択を迫られる
・信じていた先輩(恋人)が、不純だった
母の死の真相、家のことを充分に出来ないことから、苛立つのは長男と同じ。さらに、そのゴタゴタから恋人に逃げるのは、父親譲り。その上、死を選択するのは母と同じ歩み。
度重なる苦境から、拠り所は恋人だけ。その恋人に裏切られ、最悪の選択をしてしまった。
しかし、生きる意欲の源をすべて失ったかというとそうではない。まだ、結には、弟や妹がいた。不本意かもしれないが父やうらら、祖父もいる。あまりに打ちひしがれたので、それらが見えていなかった。
愛する人がいる喜び。愛されているという幸せ。これらとは少し違うが、人から必要とされていること。これって、意外に嬉しいのではないかと思う。
今回の騒動で、心の重しが取れ、踊る大捜査線の柳葉さんのような眉間のしわも取れた。あ、こんな柔らかい表情をする娘だったんだなあ。
相変わらずの恵一
・子どもへの伝言をミタさんに託すことになるが、自信喪失、さらに愛人への未練があり、一家修復の言葉を口にできない。
・先週の愛人の冷たい仕打ちで、踏ん切りがついての土下座だったのかと思ったが、まだ未練タラタラ。さらに、今週、侮蔑の言葉を浴びせられる。長女の自殺騒動で、ふっきれたと思ったが、あのクソ女(愛人のこと。もうこの表現でいいでしょう)から、着信。ああ、ふらふらと愛人の元に走っちゃうんだろうなあ。
子どもたちに言われてとか、愛人に決別されるのではなく、自らふっ切らないとダメなんだろうなあ。
今週のミタさん(松嶋菜々子)
まさにホラー映画のジェイソンのよう。正面から襲うのかと思ったら、気配を消して脇にいたり、先回りしたり。
扉(ふすま)をバーンと打ち倒したり、抵抗する結の投げた箱が顔面に当たっても全くひるまない様はターミネーターのようでもあった。
あ、ゴルゴ13にもなっていた!(「うしろに立たないでください」)
それと、録音機能フル稼働で、恵一をいじめていた。
ジェイソンのように遠まわしに追い詰めるのは、結に死への恐怖(生への執着)を味わわせるためと、家族が戻ってくるまでの時間稼ぎだったのかもしれない。
さらに、結の「あたしには生きる意味があるのか?死んだ方がましじゃない?」問いに「それは、あなたが幸せだからです。あなたには、この家があります。あなたを愛してくれる家族が、まだいます。もし死んだら、そういう人がどれだけ傷つくか、ご自分でもわかっているはずです」
これだけ、自分の考えを述べたことは初めて。この時のミタさんは、いつもの無表情ではなく、怖いほど真剣に結を見つめていた。
今週のミタさんの鞄から出たのは、髪ゴムでした。
子どもたちは、ミタさんを随分把握してきた。「それは……」で「あなた(あなたたち)が決めることですとか言う気、また」などと先手を打っていた。
それに、けっこう、ミタさんの核心に迫る問いを投げかける。ミタさんは、少し間をおいて答えるので、観ているこちらもつい、何て答えるのだろうかと、待ってしまっている。
結と翔が喧嘩している時、希衣が「ミタさん、喧嘩を止めて」と言った時、≪え、どうするんだろう?≫と息を飲んでしまった。(「時間ですので、失礼します」とはぐらかされた)
ドジでウザいだけでなく、不運な、三拍子揃った女でもあった
先週辺りから、不運な女という一面を発揮し始めたうらら(相武紗季)。よく考えると、最初のころもそういう傾向があったかもしれないが、それはドジのせいと思っていた(クレープか何かを買ってきたが、落としてぐちゃぐちゃになったとか)。
その分、ウザさが減少。皆がグダグダなので、けっこうまともに見えてしまう。
今週は、活躍。養子になることを迫る義之(平泉成)を強引に連れ帰ったり、結の自殺を止めたりと。
義之を連れて帰る際、お互いに怪我の部分を痛め合い、「痛い、痛い、痛い」を連発して退場するシーンは、喜劇かと思った。
私は今まで、ドラマレビューで何やかやと、時には重箱の隅をつつくように、突っ込んできました。ただ、生(死)に関わることには、真剣に書いてきたつもりです。私が殺人の動機にこだわるのはそういった気持からです。
しかし、フィクションですからガチガチに構えてドラマを観るのも、おかしいと思います。時には客観的に楽しみ、時には主観的に感動したいです。レビューを書く時も、基本的には観る時と同じ姿勢ですが、世間に意見を発信するので、観る時よりも客観性を持たなければならないと思っています。とは言え、あまりなドラマの出来だと、筆が走り過ぎてしまうこともありました。
自分の書いた文章で、他人が不快になる、傷つくのはダメです。特に、死に関しては真摯になることを心がけたいです。
最近、私の周辺でとても悲しいことがありました。その方のことを思うと心が痛いです。今週の『家政婦のミタ』では長女が死を選ぼうとしました。いろいろ心に浮かぶことが多い回となりました。
人が死を選ぶというのは、並大抵のことではありません。大きな悲しみや苦しみなどから、逃げ出そうとしたり、打ちひしがれたりと、ギリギリの状況に追い込まれているのには間違いありません。
ただ、それだけでは、死を選ぶかというとそうではないような気がします。どんなに苦しくても、この世との繋がりがあれば踏みとどまれるのではないかと。
繋がりとは、愛する人、生き甲斐、場合によっては復讐心など、生きる意欲が起きるモノで、その大きさの大小はあるものの、通常、複数のモノを持っていると思われます。
危険なのは、生きる意欲の源がひとつの大きなモノ(多くの場合、子ども、或いは恋人、つれあい)で占められている場合です。それを失った場合、悲しみと同時に生きる意欲も失ってしまいます。
また、生きる意欲の源が複数あっても、悲しみが大き過ぎたり重なると、一線を越えてしまう場合があるように思います。それが、今回の長女の場合です。
長女・結の悲しみ・苦しみ
・突然、母が死去
・母を失い、その穴(家事や兄弟の世話)を埋めることが出来ない苛立ち
・母の死は自殺で、その原因が父の不倫だと分かる
さらに今週
・急に養子になれと選択を迫られる
・信じていた先輩(恋人)が、不純だった
母の死の真相、家のことを充分に出来ないことから、苛立つのは長男と同じ。さらに、そのゴタゴタから恋人に逃げるのは、父親譲り。その上、死を選択するのは母と同じ歩み。
度重なる苦境から、拠り所は恋人だけ。その恋人に裏切られ、最悪の選択をしてしまった。
しかし、生きる意欲の源をすべて失ったかというとそうではない。まだ、結には、弟や妹がいた。不本意かもしれないが父やうらら、祖父もいる。あまりに打ちひしがれたので、それらが見えていなかった。
愛する人がいる喜び。愛されているという幸せ。これらとは少し違うが、人から必要とされていること。これって、意外に嬉しいのではないかと思う。
今回の騒動で、心の重しが取れ、踊る大捜査線の柳葉さんのような眉間のしわも取れた。あ、こんな柔らかい表情をする娘だったんだなあ。
相変わらずの恵一
・子どもへの伝言をミタさんに託すことになるが、自信喪失、さらに愛人への未練があり、一家修復の言葉を口にできない。
・先週の愛人の冷たい仕打ちで、踏ん切りがついての土下座だったのかと思ったが、まだ未練タラタラ。さらに、今週、侮蔑の言葉を浴びせられる。長女の自殺騒動で、ふっきれたと思ったが、あのクソ女(愛人のこと。もうこの表現でいいでしょう)から、着信。ああ、ふらふらと愛人の元に走っちゃうんだろうなあ。
子どもたちに言われてとか、愛人に決別されるのではなく、自らふっ切らないとダメなんだろうなあ。
今週のミタさん(松嶋菜々子)
まさにホラー映画のジェイソンのよう。正面から襲うのかと思ったら、気配を消して脇にいたり、先回りしたり。
扉(ふすま)をバーンと打ち倒したり、抵抗する結の投げた箱が顔面に当たっても全くひるまない様はターミネーターのようでもあった。
あ、ゴルゴ13にもなっていた!(「うしろに立たないでください」)
それと、録音機能フル稼働で、恵一をいじめていた。
ジェイソンのように遠まわしに追い詰めるのは、結に死への恐怖(生への執着)を味わわせるためと、家族が戻ってくるまでの時間稼ぎだったのかもしれない。
さらに、結の「あたしには生きる意味があるのか?死んだ方がましじゃない?」問いに「それは、あなたが幸せだからです。あなたには、この家があります。あなたを愛してくれる家族が、まだいます。もし死んだら、そういう人がどれだけ傷つくか、ご自分でもわかっているはずです」
これだけ、自分の考えを述べたことは初めて。この時のミタさんは、いつもの無表情ではなく、怖いほど真剣に結を見つめていた。
今週のミタさんの鞄から出たのは、髪ゴムでした。
子どもたちは、ミタさんを随分把握してきた。「それは……」で「あなた(あなたたち)が決めることですとか言う気、また」などと先手を打っていた。
それに、けっこう、ミタさんの核心に迫る問いを投げかける。ミタさんは、少し間をおいて答えるので、観ているこちらもつい、何て答えるのだろうかと、待ってしまっている。
結と翔が喧嘩している時、希衣が「ミタさん、喧嘩を止めて」と言った時、≪え、どうするんだろう?≫と息を飲んでしまった。(「時間ですので、失礼します」とはぐらかされた)
ドジでウザいだけでなく、不運な、三拍子揃った女でもあった
先週辺りから、不運な女という一面を発揮し始めたうらら(相武紗季)。よく考えると、最初のころもそういう傾向があったかもしれないが、それはドジのせいと思っていた(クレープか何かを買ってきたが、落としてぐちゃぐちゃになったとか)。
その分、ウザさが減少。皆がグダグダなので、けっこうまともに見えてしまう。
今週は、活躍。養子になることを迫る義之(平泉成)を強引に連れ帰ったり、結の自殺を止めたりと。
義之を連れて帰る際、お互いに怪我の部分を痛め合い、「痛い、痛い、痛い」を連発して退場するシーンは、喜劇かと思った。