レコーダーが不調で録画できず……
最初の10分間は未見です。録画できなかったので、レビューを書くにあたっての検証もできず、セリフもあいまいです。
まず、未見の10分間。番組サイトによると
「1894(明治27)年、八重(綾瀬はるか)は従軍篤志看護婦として広島陸軍予備病院で日清戦争の負傷兵たちを看護していた。院内ではコレラや赤痢などが発生し危険な状況だったが、八重は感染にひるむことなく勇敢に看護に従事、若い看護婦たちを見事に統率する」
男性衛生兵に邪険にされ、感染の危険も顧みず、敵味方の隔てなく看護に励むシーンが展開されたと思われる。
この広島で、徳冨蘇峰に遭い、富国強兵(国家膨張主義)に傾倒する彼を諌めた。(この点について、後述)
看護活動の功績がたたえられ、皇族以外の女性では初となる宝冠章を受章した。
最終話の主題は八重礼賛、会津の名誉回復
叙勲の意義は大きい。皇族以外の女性では初めての受章で、「朝敵」の汚名を着せられていた会津出身者の叙勲は、名誉回復の象徴の一つで会津者にとってはこのうえもない喜びであったと思われる。
(最終回ということで、“懐かしの顔”総出演!(山川兄弟は準レギュラーだが))
ドラマでも、この報に藤田五郎(おお、そういやぁ居たなあ)、時尾(もっと登場するかと思ったけれど。藤田夫妻は番組サイトの第46回以降の登場人物欄から消えていた)、山川二葉(逆に思ったより登場した)、山川浩(山本家の身内以外では最多登場?)、山川健次郎(腕相撲での兄弟で声を張り上げたのが印象的)らも自然に登場し、その叙勲の意義を表現した。
彼らに比べ、久栄の死はナレーションだけ。あいつ(徳冨蘆花)はちゃっかり登場し、蘇峰を批判し、「人間の真実を描く」と偉そうなことを言っていた。キミに「人間の真実」を語ってほしくないなあ。
徳川慶喜も登場。
「江戸、無血開城」で「江戸を守った」と自ら手柄を主張したが、しっかり勝海舟に訂正されていた。
この人の頭からは会津のことは消し去られていたのね。容保がこの場に居たら、首を絞められたことだろう。勝も静かに訂正するのではなく、激怒して欲しかった(無理だろうけれど)
慶喜役の小泉孝太郎は、かなり痩せていたように見えた。老いと時の流れを表現するために痩身したのだろうか?
仙人・頼母
「新政府がどんな世の中をつくるのか、見届けてやろうと思った。しかし、戊辰戦争以来、目に焼き付いたのは、苦しい時でも懸命に生きようとする人の姿、笑おうとする人の健気さだった」
「あの戦から立ち上がって、勲章まで頂くとは…。
立派な会津の女子だ」
「八重! にしは桜だ。花は散っても、時が来るとまた花を咲かせる。
何度でも、何度でも花咲かせろ」
東北へのメッセージとヒロイン礼賛だ。
ラストボスは蘇峰
蘇峰は国民の士気を鼓舞する記事を書くのを優先すべきと主張、同志社の精神は置き去り
「国家の為、愛する国の為」
「言論が人を動かす」
報道者が思想を持つのは良いが、まず、第一の使命は真実を伝えること。その上で、客観的に状況を分析して意見を述べるべきである。
初めから世論の誘導が目的の報道は絶対あってはならない。八重も襄の思想を蘇峰に説いたが、今一つ弱い。
挙句の果てに、最後の銃弾を撃つとしたら……
暗雲垂れこめた天(困難)に向かって撃つ。雲が開き、光が差し込む。空に数多くの傘(希望)が開く。
「わたすは、あきらめねえ」
感動のラストシーンだったと思われる。
個人的には、確かに八重は激動の時代、苦難を切り開いて突っ走った。
ただ、ドラマでは八重の慟哭や葛藤が描かれてこなかったので、共感は薄い。
実際の八重はともかく、「鉄砲を撃ちたい」(本能、血統?)、「これからは学問は力だ」(覚馬の教え)、「同志社(大学)を創ろう」(襄の意志)「看護を学べ」(覚馬の命令)「茶道」(趣味)と、眼前にある目標に突き進んでいき、その時々で主人公らしい良い台詞を言い放っただけのように思える。「えっ、この台詞を八重が言って、場を締めるの?」と思ったことが多かった。まあ、主人公なのでそれでよいのだろう。
最終話も、ラストもうまく締めくくったが、やはり、その場その場で八重を立ち回らせた感がある。「あきらめない」というメッセージはすごく良い。しかし、蘇峰との議論の答としてはおかしかった。
ドラマの最後は蘇峰はあまりの扱いだったと思う。もちろん、「事実と違う」とドラマを否定するつもりは全くなく、蘇峰を擁護するつもりもない。
ただ、実際は八重は茶道の為、高価な茶器や道具を買い続け、襄の遺産を浪費し、同志社にまで寄付(借金)を求めた。これではいけないと、同志社に新島邸を買い取らせた。
表向きは、「新島八重が新島邸を同志社に寄付し、同志社は寄付に感謝して新島八重が死ぬまで毎年600円を支給した」ことになっている。
俳優さん、スタッフのみなさま、おつかれさまでした。
【ストーリー】番組サイトより
1894(明治27)年、八重(綾瀬はるか)は従軍篤志看護婦として広島陸軍予備病院で日清戦争の負傷兵たちを看護していた。院内ではコレラや赤痢などが発生し危険な状況だったが、八重は感染にひるむことなく勇敢に看護に従事、若い看護婦たちを見事に統率する。
その功績がたたえられ、皇族以外の女性では初となる宝冠章を受章した。このことは新聞にも取り上げられ、二葉(市川実日子)や時尾(貫地谷しほり)は自分のことのように喜ぶ。そんななか、再び日本はロシアとの戦に向け動き出す。戦が起こらない世を願う八重の胸中は複雑だった。そして、晴れない気持ちを抱いたまま帰郷した会津で、八重は頼母(西田敏行)と久しぶりの再会をする。頼母に励まされ元気を取り戻した八重は、また新たな道に向かって歩み続けていくのだった。