英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

いつもの敗局より5倍悔しい【その2】……2023王位リーグ 羽生九段-永瀬王座

2023-05-04 12:59:08 | 将棋
《嫌い》という感情はあまりいい性質ではない。《嫌い》と思うことも良くないことなのだろう。
けれども、芸能人、スポーツ選手、棋士などについて、《嫌い》と思うことは許容されると思う。
ただし、SNSなどで「嫌い」と書くことは、「良くない」範疇にはいるだろう。
…「と思っているなら書くな」と言われたら、「その通りです」と言うしかないです。


 私は永瀬王座が嫌いである。
 これから書き上げることについて、永瀬王座に非はない(ルール上において非はない。世間常識においてもその範疇内で支持する人も多いと思う)

①タイトル戦で和服を着用しない
 タイトル戦に於いて、和服を着用しなければならないというルールはない。加藤一二三九段や島朗九段がスーツで臨んだ例もある。(和服の仕立てが間に合わなくて、初戦はスーツという例もあった)
 和服は慣れていないと、着脱やトイレなど大変かもしれない(長時間着座する場合は、和服の方が楽という説もあるが)
 そういう実用的な面はともかく、多額の対局料を伴い、対局場も上級な場を用意され、世間も注目するという点を考えるなら、対局者も観られていることを意識すべきである。

②A級順位戦、永瀬王座-佐藤天彦九段戦。マスク不着用による佐藤九段の反則負け
 けっこう長時間、佐藤天九段がマスク不着用だったので、マスク着用についての臨時対局規定による“反則負け”は妥当だと考える。
 しかし、人によって考え方は異なると思うが、まず、永瀬王座が「マスクをつけてください」と言うのが普通の対応だと考える。(何を以って“普通”というのか疑問の余地はある。“マナー”と言うのも少しずれていると思うし、いい表現はないかなと3分ぐらい考えた)
 公式な対局なのでルールに従うのが第一ではあるが、マスク着用がどのくらい感染予防に効果があるかはさて置き、マスクの規定の目的が、“コロナ感染の予防”にあるなら、まず、「マスクをつけてほしい」と言うのが第一であると考える。対局者だけではなく、記録係もいることだし。

③竜王戦1組トーナメント、羽生九段-永瀬王座戦。敗れた永瀬王座が、対局後、感想戦を行わなかった
 敗局内容に自分の不甲斐なさに怒りを感じ、感想戦を行わないというのは、心情としては理解できる。そういうこともあってもいいと思う。
 ただし、自分の飲んだペットボトルなどは持ち帰った方が良いだろう(「盤駒の管理や対局場の後始末は、記録係の仕事なので構わない」という意見もあるが、やはり、自分の出したゴミ(今は簡単に“ゴミ”と考えてはいけない。資源ごみとして再利用)は、自分が片づけるべきであろう。

 永瀬王座の研究など将棋への真っすぐな姿勢は感服している。
 “勝利至上主義”に受け取られる対局姿勢(臨戦態勢)は尊敬している。

 永瀬王座が“勝利至上主義”なのかは本人に聞かないと分からない(“将棋至上主義”であるとは言えそうだ)。
 ”勝利至上主義”の是非については賛否が分かれるところだ。拙ブログでも、「甲子園 ~勝利至上主義~」「Ⅰ.“ルール内”ということ」「Ⅱ.反則周辺のテクニック」「Ⅲ.将棋における反則や番外戦術など」「Ⅳ.阿久津八段の戦術の是非」「Ⅴ.阿久津八段の戦術の是非 その2」、語り合わせていただきました。
 微妙なケース(設定)の違いによっても判断が分かれるところで、本当に難しいテーマであるが、私の基本的思いは、《“ルールに抵触しなければ、勝利のためにする行為はOK”》というのは嫌いである。


 少し話が逸れてしまったが、永瀬王座は棋界1、2を争う研究家であるらしい。事前準備が凄くて、《どこまで研究してあるんだ?》とよく感じる。まあ、最近はタイトル戦やトップ棋士同士の対局は、ほとんどそう感じるが。
 羽生九段も相当深いところまで研究しているように感じる。

 さて、この一局も序盤は研究通りに駒を動かすだけという状況。(勝負のポイントについては「その1」をご参照ください)
 62手目までは羽生九段の通計の消費時間が3分、永瀬王座に至っては1分(60秒未満の考慮はすべて切り捨てて0分でカウントするので、ノータイム指しではない)。
 73手目でも羽生九段の通計時間が1時間29分に対し、永瀬王座は未だ1分!
 第1図直前の△4三銀(3二から上がった)~△4二玉~△3二玉の陣形整備は、短時間では指せない。羽生九段の73手目▲6五歩に対して初めて手が止まり、42分の考慮で△8七歩と着手。羽生九段の▲6五歩が想定外だったのか、課題が残っている手だったのか……

 この将棋、羽生九段も永瀬王座に同調するかのように62手目まで早指しだったのが意外(最近はそうなのかも?)だった。
 それはともかく、第2図まで考慮時間1分というのは、対局相手としては嫌なのではないだろうか?
 《相手の研究の網の中》という感触も嫌だろうけれど、何だか、永瀬王座と将棋を指しているというより、永瀬王座の研究と指している感じがする(まあ、現代の対局は、多かれ少なかれ、研究の勝負であるが)
 “永瀬王座の研究と指す”と書いたが、もっと言えば、“AI研究と指している”と言っても良いかもしれない。

 私としては、研究範囲でも第1図までなら10~20分、第2図辺りまでなら35~45分ぐらいは考えたい(王位リーグの持ち時間は4時間)。
 途中の景色も味わいたいし、実戦での景色の積み重ねで将棋の厚みも増すと考える。

 私は対局の当事者でないので、《途中の景色》とか《研究範囲かも》とか考えても関係ないのだが、《途中の景色など不要》というような永瀬王座の指し方に、イラっとしたのである。
コメント (7)
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