きょう(6月11日)午前11時、東北地方と北陸地方が「梅雨入りしたとみられる」と発表した。
北陸地方は平年通りで、東北南部地方では平年より1日早く、東北北部地方では平年より4日早い梅雨入り。
今朝、町内の草刈り作業があり、雨を体感した。(30分かそこらで、雨も強くなかったので、ずぶ濡れになるほどではなかった)
雨は朝方だけで、昨日の段階では月曜日も雨マークはなかったので、北陸地方の“梅雨入り”はまだ先だろうと思っていた。
しかし、お昼のニュースで、「北陸・東北地方が梅雨入り」と報じられていた。
(毎年思うのだが)“梅雨入り”を認定することに意味はあるのだろうか?
統計的と言うか、大まかな天気の傾向を知るのに、便利ではある。
例えば、「今年の梅雨は、○月△日~×月▲日の※※日で、梅雨の総雨量は**ミリ」というように。
でも、実践的?には、梅雨入りしたと言っても、意味はない。
“梅雨入り”したと気象庁が発表したので、天気の神様が《ん?それなら、雨雲をもう少し作らないと》とか、梅雨入りしたことを受けて、《梅雨手当》を気象庁(国)や企業が出すわけでもない。
そもそも、“梅雨入り”や“梅雨明け”が、ハッキリしない年も多く、後になって訂正される年もある。
昔は「梅雨明け(梅雨入り)宣言」とか、張り切っていたが、現在では「梅雨入り(明け)したものと見られます」とトーンダウン。
で、今年の北陸の梅雨入りだが、火曜日辺りから雨が降らないので、今日、“梅雨入り”を逃すと、しばらく“梅雨入り”できない。
そこで、《ええいっ、“梅雨入り”を発表してしまえ》と……
でも、福井の週間天気予報は、火曜日以降、曇り、曇り、曇り時々晴れ、曇り時々晴れ、晴れ時々曇り、曇り時々晴れ…なんだけど。いいのかなあ?
そんな感じで“梅雨入り”を発表しているのなら、《“梅雨入り”、”梅雨明け”なんて、発表しない方がいいと思ってしまうのである。
北陸地方は平年通りで、東北南部地方では平年より1日早く、東北北部地方では平年より4日早い梅雨入り。
今朝、町内の草刈り作業があり、雨を体感した。(30分かそこらで、雨も強くなかったので、ずぶ濡れになるほどではなかった)
雨は朝方だけで、昨日の段階では月曜日も雨マークはなかったので、北陸地方の“梅雨入り”はまだ先だろうと思っていた。
しかし、お昼のニュースで、「北陸・東北地方が梅雨入り」と報じられていた。
(毎年思うのだが)“梅雨入り”を認定することに意味はあるのだろうか?
統計的と言うか、大まかな天気の傾向を知るのに、便利ではある。
例えば、「今年の梅雨は、○月△日~×月▲日の※※日で、梅雨の総雨量は**ミリ」というように。
でも、実践的?には、梅雨入りしたと言っても、意味はない。
“梅雨入り”したと気象庁が発表したので、天気の神様が《ん?それなら、雨雲をもう少し作らないと》とか、梅雨入りしたことを受けて、《梅雨手当》を気象庁(国)や企業が出すわけでもない。
そもそも、“梅雨入り”や“梅雨明け”が、ハッキリしない年も多く、後になって訂正される年もある。
昔は「梅雨明け(梅雨入り)宣言」とか、張り切っていたが、現在では「梅雨入り(明け)したものと見られます」とトーンダウン。
で、今年の北陸の梅雨入りだが、火曜日辺りから雨が降らないので、今日、“梅雨入り”を逃すと、しばらく“梅雨入り”できない。
そこで、《ええいっ、“梅雨入り”を発表してしまえ》と……
でも、福井の週間天気予報は、火曜日以降、曇り、曇り、曇り時々晴れ、曇り時々晴れ、晴れ時々曇り、曇り時々晴れ…なんだけど。いいのかなあ?
そんな感じで“梅雨入り”を発表しているのなら、《“梅雨入り”、”梅雨明け”なんて、発表しない方がいいと思ってしまうのである。
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