2024大相撲九州場所6日目 豊昇龍-熱海富士
熱海富士が左腕で豊昇龍の右腕を抱え、左手は“のど輪”で突き上げてのけぞらす。そのまま、一気に豊昇龍を突き出した……に見えたが、行事軍配は豊昇龍に。
確かに、俵を踏み越した熱海富士の左足のつま先が、土俵外の砂を散らしていたようにも見えた。ただし、豊昇龍は土俵の外に飛び出していた。
一瞬のことなので、熱海富士がどのタイミングで踏み越したのかは分からない……
スロー映像が再生される。
のど輪で突き上げ、豊昇龍を土俵の外に突き出す熱海富士。
土俵の外に飛び出すのを免れようと、必死に熱海富士の腕にしがみつく豊昇龍。
そして、豊昇龍が土俵下に足が付くより先に、僅かに早く熱海富士のつま先が土俵の砂を掃いた。
おそらく、1/30秒か2/30秒ぐらいの差だった。
両力士の背中越しから、豊昇龍の身体が飛び出すの見ながら、土俵外の砂が履かれたのを視認し、その後先を判断した行事の目はまさにプロである……とは言える。
しかし、相撲には“死に体”という概念がある。
“死に体”とは、相手力士が力を加えず放っておいても、土俵に倒れる、または、土俵の外に飛び出す体勢を言う。
相手に突かれて、土俵を割る場合、ある程度上半身が俵の外側に傾いた時点で、大概、“死に体”状態になる。相手と接触点がなければ(相手の身体を掴んでいなければ)、そのまま、土俵外に倒れる(足を着く)のを待つだけになる。
で、その時に、《相手より先に土俵の外に足を着かなければよい》と思い切り、高く(遠く)ジャンプし、《相手力士が推す勢いで土俵を飛び出すのを期待する》手法が成り立つのでは?などと、子どもの時に考えたことがある。
でも、心配は無用だった。……“死に体”の概念は、それを否定しているのだ。
この一番の場合、豊昇龍が“死に体”なのか?
見た目は“死に体”に近いのだが、豊昇龍は熱海富士の腕を掴んでいて(しがみついていて)、それを手繰って、土俵内に留まることが不可能ではない……かもしれない。
ちょっと、見づらい画像で申し訳ないけれど……(▶の再生マークがありますが、再生されません)
これが、熱海富士が豊昇龍を突き出そうと、決めに行ったところ。ところが、足を踏み出し過ぎて、左足が俵を踏み越そうとしてしまった。熱海富士もそれに気づき、つま先を浮かせようとした瞬間である。それが功を奏し、この瞬間ではセーフ。
(▶の再生マークがありますが、再生されません)
その1/30秒か2/30秒後の画像。
熱海富士のつま先が接地しているように見える。
この時、豊昇龍は土俵の外には着地していない。
問題なのは、“死に体”かどうか?
私には、最初の画像は完全には“死に体”とは言えないが、次の画像では“死に体”に限りなく近い。
最近の相撲の勝負の判定は、“死に体”よりも“身体の部位の接地”を重視している傾向があり、この相撲に限らず、昔なら間違いなく勝っている方が負けと判定されることが多い。
今回の豊昇龍は、“執念”とも考えられるが、《往生際が悪い》ようにも思える。
先ほど述べた、“土俵外に大きくジャンプ術”の他に、吊り上げられてそのまま土俵の外に持っていかれるのを防ぐため、”両足を相手の足に絡めて絶対落ちない術”が考えられる。(昔、子ども相撲で時折見かけた)
この場合、完全に吊り上げた状態で自分の足を土俵の外に出せば、「吊り出し」の勝ちが認められる。
今回の相撲は、そんな術を思い出してしまった。
最近(先場所か先々場所)でもそんな相撲があったような気がする。
もっと、相撲の流れを重視してもいいように思う。
熱海富士が左腕で豊昇龍の右腕を抱え、左手は“のど輪”で突き上げてのけぞらす。そのまま、一気に豊昇龍を突き出した……に見えたが、行事軍配は豊昇龍に。
確かに、俵を踏み越した熱海富士の左足のつま先が、土俵外の砂を散らしていたようにも見えた。ただし、豊昇龍は土俵の外に飛び出していた。
一瞬のことなので、熱海富士がどのタイミングで踏み越したのかは分からない……
スロー映像が再生される。
のど輪で突き上げ、豊昇龍を土俵の外に突き出す熱海富士。
土俵の外に飛び出すのを免れようと、必死に熱海富士の腕にしがみつく豊昇龍。
そして、豊昇龍が土俵下に足が付くより先に、僅かに早く熱海富士のつま先が土俵の砂を掃いた。
おそらく、1/30秒か2/30秒ぐらいの差だった。
両力士の背中越しから、豊昇龍の身体が飛び出すの見ながら、土俵外の砂が履かれたのを視認し、その後先を判断した行事の目はまさにプロである……とは言える。
しかし、相撲には“死に体”という概念がある。
“死に体”とは、相手力士が力を加えず放っておいても、土俵に倒れる、または、土俵の外に飛び出す体勢を言う。
相手に突かれて、土俵を割る場合、ある程度上半身が俵の外側に傾いた時点で、大概、“死に体”状態になる。相手と接触点がなければ(相手の身体を掴んでいなければ)、そのまま、土俵外に倒れる(足を着く)のを待つだけになる。
で、その時に、《相手より先に土俵の外に足を着かなければよい》と思い切り、高く(遠く)ジャンプし、《相手力士が推す勢いで土俵を飛び出すのを期待する》手法が成り立つのでは?などと、子どもの時に考えたことがある。
でも、心配は無用だった。……“死に体”の概念は、それを否定しているのだ。
この一番の場合、豊昇龍が“死に体”なのか?
見た目は“死に体”に近いのだが、豊昇龍は熱海富士の腕を掴んでいて(しがみついていて)、それを手繰って、土俵内に留まることが不可能ではない……かもしれない。
ちょっと、見づらい画像で申し訳ないけれど……(▶の再生マークがありますが、再生されません)
これが、熱海富士が豊昇龍を突き出そうと、決めに行ったところ。ところが、足を踏み出し過ぎて、左足が俵を踏み越そうとしてしまった。熱海富士もそれに気づき、つま先を浮かせようとした瞬間である。それが功を奏し、この瞬間ではセーフ。
(▶の再生マークがありますが、再生されません)
その1/30秒か2/30秒後の画像。
熱海富士のつま先が接地しているように見える。
この時、豊昇龍は土俵の外には着地していない。
問題なのは、“死に体”かどうか?
私には、最初の画像は完全には“死に体”とは言えないが、次の画像では“死に体”に限りなく近い。
最近の相撲の勝負の判定は、“死に体”よりも“身体の部位の接地”を重視している傾向があり、この相撲に限らず、昔なら間違いなく勝っている方が負けと判定されることが多い。
今回の豊昇龍は、“執念”とも考えられるが、《往生際が悪い》ようにも思える。
先ほど述べた、“土俵外に大きくジャンプ術”の他に、吊り上げられてそのまま土俵の外に持っていかれるのを防ぐため、”両足を相手の足に絡めて絶対落ちない術”が考えられる。(昔、子ども相撲で時折見かけた)
この場合、完全に吊り上げた状態で自分の足を土俵の外に出せば、「吊り出し」の勝ちが認められる。
今回の相撲は、そんな術を思い出してしまった。
最近(先場所か先々場所)でもそんな相撲があったような気がする。
もっと、相撲の流れを重視してもいいように思う。
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