英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『プレバト!!』、夏井いつき先生に物申す!

2017-11-19 15:08:53 | 芸能
(9月7日に放送されていたらしいです。今更と思われるかもしれませんが、田舎なの今頃放映されます)

 息子が観ているのでたまに観るが、楽しく見ている息子の脇で、なんやかんやと“いちゃもん”をつけまくっている。
 そのいちゃもんをつけることが多いのが、俳句の夏井いつき先生に対して。

 芸能人が読んだ俳句を遠慮なく一刀両断に切る様は、痛快なのかもしれないが、夏井先生の感性だけでそこまで断言、評定していいのだろうか?
 今までも、番組を観るたび、ブログに書こうとしたが、私は素人なので、まったく的外れなことを思っている可能性も大きい。なので、沈黙していた(根性なし)。
 もちろん、≪なるほど!≫と感心することも多い。

 今回、目にしたのは、ベテラン女優の松原智恵子さんの句。

「落日に 人生の秋 重ねみる」
 ……夕日と人生の後期にいる自分とを重ねて観てしまうが、この綺麗に輝く夕日のように自分も輝いて終わりたい……という心情を詠んだ句である。

夏井先生の評定
・夕日を見ることで自分の人生を顧みるのは凡人的発想。
・「人生の秋」と表現すると、「秋」は人生の後半という比喩としての使われ方なので、季語の鮮度は落ちる。


①この季語の鮮度低下を修正するには、語順を変える。「秋」と「人生」を離せば、「秋」は純然たる季語になる
②俳句を詠むこと自体、「重ねみる」行為なので、その当然のことに5文字を使ってしまうのは勿体ない

 「季語としての鮮度」のこと、さらに①②の改良点や指摘は、なるほどと思った。
 しかし

【添削の結果】
「秋の落日に 静かな 余生いま」
 これだと……沈みゆく夕日に静かな(何の起伏もない)残りの人生が重なって観えてしまう……

これは酷い!
まったく別の句になってしまっている!


1.松原さんは「落日」と表現してはいたが、彼女の説明では「綺麗な夕日」を観て詠んだと言っていたのに、「落日」の終焉のイメージを強調
2.「綺麗に輝いて終わりたい」と願いを込めたのに、「静かな余生」に差し替え


 自分を謙遜して「余生」と表現することは多いが、人に対して「余生」と言うのは「あなたは年寄りです」と言っているに等しい!さらに「静かな」を加えているので、「静かに暮らしなさい」と。
 季節や自然美や感情を表現する技能はあっても、人を思いやる気持ちが乏しいようだ。



 あと、いつも気になるのは
五・七・五の「韻律」の無視が多いこと。
確かに、韻律に拘り過ぎるのは良くないし、韻律に囚われず表現を重視する考え方もあるが、あまりにも無視が多い。

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2 コメント

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私も (koumama)
2017-11-20 07:38:03
同じ意見です
このときの添削は
あれ?違うんじゃない?って感じでした
私は最初の直さないときの方が好きです
風情がありますよね
あまりにも人気が出てしまい
自分の感性も押し付け始めちゃったかな
俳句の専門家だからといわれたら仕方ないけどねえ
返信する
ちょっとねぇ… ()
2017-11-20 11:28:33
koumamaさん、こんにちは。

>このときの添削は
>あれ?違うんじゃない?って感じでした

 私は、既に反感を持っているので、≪違うやろ≫と思うことの方が多いです。
 それはさておき、この時の添削は、詠み手の心情を無視した添削でした。添削前後では、語句も主題(心情)も全く別のものとなっていました。
 私も元詩の方が好きです。

>あまりにも人気が出てしまい
>自分の感性も押し付け始めちゃったかな

 テレビ受けはともかく、俳人としての資質を疑いたくなるような無神経さです。
返信する

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