神の社に詣でたる
いがきにも まだいらぬほどは ひとしれず わがおもふことを かみやしらなむ
斎垣にも まだ入らぬほどは 人しれず わが思ふことを 神や知らなむ
神の社に詣でる
斎垣の中にまだ入らないうちは、人知れず思っている私の胸中を、神には察してほしいものだ。
斎垣に入ったらではなく「入らぬほどは」神に知ってほしいというのは、神域では色恋沙汰は許されないからということのようです。感覚的には「神社にお詣りに来たときくらいは神様に知ってほしい」という方がしっくりきますが、現代人との感覚の違いなのかもしれませんね。