延長七年十月十四日、女八宮、陽成院の一の親王の四十賀つかうまつるときの屏風、調ぜさせたまふ。仰せにてつかうまつる
ひさしくも にほはむとてや むめのはな はるをかねても さきそめにけむ
久しくも 匂はむとてや 梅の花 春をかねても 咲きそめにけむ
延長七年(929年)十月十四日、女八宮が陽成上皇の第一皇子の四十歳の祝賀を催すための屏風を作らせた。天皇の命により詠んだ。
長い期間美しく咲いていようということで、梅の花は早くも春の到来を予想して咲き始めたのであろうか。
「女八宮」は第60代醍醐天皇の第八皇女修子(しゅうし/ながこ)内親王、「陽成院」は第57代陽成天皇の譲位後の呼び名、その「一の親王」は元良(もとよし)親王のこと。
この歌は、玉葉和歌集(巻第七「賀」 第1053番)に入集しています。また元良親王といえば、百人一首(第20番)に採録された歌が著名ですね。
わびぬれば いまはたおなじ なにはなる みをつくしても あはむとぞおもふ
わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ