第2回です。こちらは過去問が余り含まれていませんので、実際の本試験よりかなり難易度は高いと思います。私自身のことを言えば、基本的に私が知らなくて新たに学習したものがベースですので、例えば1年前に初見でこの問題をやったら、おそらく5~60点しか取れなかったでしょう。一方、こんな初見だらけの問題でも160点近くを取れるようになれば、実際の本試験で190点といったハイレベルな成果を得られるのではないかと思っています。
前置きが長くなりますが、先に言い訳を幾つか。(苦笑)
★ 第一回の問題に、機種依存文字が含まれていました。今回、前回とは異なるチェックサイトで確認しましたので少なくとも直接問われている箇所は大丈夫だと思いますが、万が一まだありましたら、ご面倒ですがコメントないしメッセージにてご一報いただけたら幸いです。
★ 問題を作成して感じたことはまた別途記事にしたいと思いますが、「難しい問題」を作るのは簡単でも、「良い問題」を作るのは非常に難しいと痛感しました。ある問題の解答の漢字が別の設問の問題文に出ていたりしないようにといった初歩的なことも含め、個々の問題を質を追求しつつ、全体の整合性もとって・・・など、素人が一朝一夕にできるものではないですね。というわけでその手の不備や、問題文がこなれていないなど多々あろうかと思いますが、何卒ご容赦を。漢字そのものとは別のところで勉強になりました。
★ (十)の文章題の読みに、熟字訓が入ってしまいました。かつては本試験でもそういう問題もあったようですが近年はそんなことはないので避けたかったのですが、妥協してしまいました。スミマセン。
さて、それでは問題です。解答は第一回同様、コメントに書きますので、そちらをご参照ください。
(一) 次の傍線部分の読みをひらがなで記せ。1~20は音読み、21~30は訓読みである。
1 蹲循 している間に好機を逃した。
2 御神体の巨木は、神仏が 影向 せられた姿だ。
3 鮓荅 は解毒剤として用いられる。
4 瓶子 を傾けて旧懐を語り合う。
5 周囲が薄暗くなるばかりの 霾翳 だ。
6 屋外イベントは激しい 雹霰 に見舞われた。
7 蓑笠 の翁が釣り糸を垂れている。
8 壼訓 に定評ある学舎に志願者が集まる。
9 物語はいよいよ 蔗境 に入った。
10 塵寰 の人づきあいはとかく煩わしい。
11 長年悩まされた 痃癖 から解放された。
12 大型犬同士の 吽牙 に身が竦む。
13 帝の死を悼む民衆の 吼号 が国中に響きわたる。
14 休日を活用して 前栽 の手入れに勤しむ。
15 鶯囀 の声が春の訪れを告げる。
16 藐焉 たる大空を仰ぎ見る。
17 薈蔚 たる茂みが広がる。
18 かつて宮中では大晦日に 追儺 の儀式が執り行われた。
19 茶室に設えた見事な 城楼棚 に目が釘付けになった。
20 互いに激しい 駮議 が交わされた。
21 律令時代、公の労役を 徭 と言った。
22 裾を 搴 げて浅瀬を渡る。
23 諧 った和音の調べが心地良い。
24 毛皮のコートを 套 ねる。
25 世間の冷たさを 詛 う。
26 自責の念に自ら 縊 れて命を絶った。
27 火鉢にかぶせた 篝 の上で衣服を乾かす
28 靱 やかな革の感触が高級感を醸す。
29 荊を 披 き棘を斬る。
30 楸 は碁盤の材料として使われる
(二) 次の傍線部分のカタカナを漢字で記せ。
1 船頭の唄う トウカ とともに舟が遠ざかる。
2 朝からの コヌカアメ がようやくあがった。
3 ケイシュウ とは、陰暦八月のことである。
4 我が国教育制度の カイコウ に多大な功績を残した。
5 コウゴ 年籍は我が国最古の戸籍と言われる。
6 長い タテガミ を靡かせて駿馬が疾走する。
7 本堂の ゾウヒツ 供養が盛大に催された。
8 彼は確かに優秀だが、その ゲンイク ぶりに周囲は辟易としている。
9 リュウリョウ たる笛の音が堂内に響く。
10 人の上に立つ シンシン の身にあるまじき蛮行だ。
11 神前に ミテグラ を捧げる。
12 国家は今や キタイ に瀕している。
13 余りに深刻な状況に キタイ を抱かざるを得ない。
14 潮の ヒ るのを待って歩いて島に渡る。
15 箕でふるって穀物を ヒ る。
(三) 次の傍線部分のカタカナを国字で記せ。
1 シンシ を用いて布を染める。
2 磯の アワビ の片思い。
3 イサザ は琵琶湖に特産の淡水魚だ。
4 質量は僅か数 ミリグラム にすぎない。
5 ハヤ はコイ科に属する。
(四) 次の1~5の意味を的確に表す語を語群から選び、漢字で記せ。
1 プレアデス星団。
2 律詩の第五句・第六句
3 各地に英雄や豪傑が割拠して相対すること。
4 もらった手紙を繰り返し読むこと。
5 雪や細かい雨がしきりに降り続くさま。
<語群>
がんれん きじ けいふく けいれん しゅくさつ ひひ ふか ぼうしゅく
(五) 次の四字熟語について、問1と問2に答えよ。
問1 次の四字熟語の(1~10)に入る適切な語を語群から選び漢字二字で記せ。
ア ( 1 )棊処
イ ( 2 )歳月
ウ ( 3 )風生
エ ( 4 )湛碧
オ ( 5 )堂堂
カ 翼覆( 6 )
キ 発揚( 7 )
ク 鑿窓( 8 )
ケ 塵飯( 9 )
コ 朱墨( 10 )
<語群>
うく きこ けいゆう こしょう さた ていこう とうれい ときょ とこう らんぜん
問2 次の11~15の解説・意味にあてはまるものを、問1のア~コの四字熟語から1つ選び、記号(ア~コ)で記せ。
11 いたるところに悪人がいることのたとえ。
12 さまざまな考え方に学んで、見識を広めること。
13 ただ時間を無駄にして、むなしく過ごすこと。
14 いつくしむこと。愛撫すること。
15 学問や研究に専念することのたとえ。
(六) 次の熟字訓・当て字の読みを記せ。
1 蚕豆
2 黄瓜菜
3 水葱
4 睡菜
5 玉章
6 連枝草
7 地錦
8 土当帰
9 石首魚
10 桃花鳥
(七) 次の熟語の読み(音読み)と、その語義にふさわしい訓読みを(送りがなに注意して)ひらがなで記せ。
1 猝嗟
2 猝か
3 輒然
4 輒ち
5 惘然
6 惘れる
7 舁夫
8 舁ぐ
9 躱避
10 躱す
(八) 次の1~5の対義語、6~10の類義語を語群から選び、漢字で記せ。
語群の中の語は一度だけ使うこと。
対義語
1 刹那
2 不党
3 仕官
4 誕生
5 年甫
類義語
6 詩人
7 行脚
8 起居
9 境内
10 伉儷
<語群>
きょそ けいかん こうきゅう こうごう そうかく そせい ひしゃく へんぱ ぼんぜい ろうげつ
(九) 次の故事・成語・諺のカタカナの部分を漢字で記せ。
1 ケンガク の節。
2 志士は コウガク にあるを忘れず。
3 ホンド の基(もとい)は高きを為すに能わず。
4 何処へ行っても、 カンゾウ の流れる川はない。
5 コシュ を編む。
6 ショウラ の契り。
7 シジ の端書き。
8 ホリュウ の姿は秋を望んで落ち、松柏の質は霜を経ていよいよ茂る。
9 シャミ から長老にはなれぬ。
10 若し薬 メンゲン せずんばその疾癒えず。
(十) 文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、波線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。
A
隴西の李徴は博学(1 サイエイ )、天宝の末年、若くして名を(2 コボウ )に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃む所頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかつた。いくばくもなく官を退いた後は、故山、略に(3 キガ )し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に駆られて来た。この頃から其の容貌も(4 ショウコク )となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに(5 ケイケイ )として、曾て進士に登第した頃の(6 ホウキョウ )の美少年の(ア 俤 )は、何處に求めようもない。数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の(イ 儁才 )李徴の自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。彼は(ウ 怏々 )として楽しまず、狂悖の性は(エ 愈々 )抑え難くなった。
(中島敦 『山月記』)
B
漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉・李陵は歩卒五千を率い、(7 ヘンサイ )遮虜鄣(しゃりょしょう)を発して北へ向かった。阿爾泰(あるたい)山脈の東南端が(オ 戈壁 )沙漠に没せんとする辺の磽确(こうかく)たる丘陵地帯を縫って北行すること三十日。(8 サクフウ )は戎衣を吹いて寒く、いかにも万里孤軍来たるの感が深い。漠北・浚稽山の麓に至って軍はようやく止営した。すでに敵匈奴の勢力圏に深く進み入っているのである。秋とはいっても北地のこととて、苜蓿も枯れ、楡や檉柳(かわやなぎ)の葉ももはや落ちつくしている。木の葉どころか、木そのものさえ(宿営地の近傍を除いては)、容易に見つからないほどの、ただ砂と岩と(カ 磧 )と、水のない河床との荒涼たる風景であった。極目人煙を見ず、まれに訪れるものとては曠野に水を求める(キ 羚羊 )ぐらいのものである。(ク 突兀 )と秋空を(ケ 劃 )る遠山の上を高く雁の列が南へ急ぐのを見ても、しかし、将卒一同誰一人として甘い懐郷の情などに唆(そそ)られるものはない。それほどに、彼らの位置は危険極まるものだったのである。 (中略)
浚稽山の山間には十日余留とどまった。その間、日ごとに(コ 斥候 )を遠く派して敵状を探ったのはもちろん、附近の山川地形を剰すところなく図に写しとって都へ報告しなければならなかった。報告書は(9 キカ )の陳歩楽という者が身に帯びて、単身都へ馳せるのである。選ばれた使者は、李陵に(10 イチユウ )してから、十頭に足らぬ少数の馬の中の一匹に打跨がると、一鞭あてて丘を駈下かけおりた。灰色に乾いた漠々たる風景の中に、その姿がしだいに小さくなっていくのを、一軍の将士は何か心細い気持で見送った。
(中島敦 『李陵』)