ひかりなき たににははるも よそなれば さきてとくちる ものおもひなし
光なき 谷には春も よそなれば 咲きてとく散る もの思ひもなし
清原深養父
光のささない谷には春も無縁のものなので、花が咲いてすぐに散るのを心配するような思いをすることもない。
詞書には「時なりける人の、にはかに時なくなりて嘆くを見て、みづからの、嘆きもなくよろこびもなきことを思ひてよめる」とあります。「時なりける」は栄華栄達のことで、それを失って嘆いている人を見て、そのような嘆きもそもそも栄達の喜びもない自身を顧みての詠歌ですね。