漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

貫之集 009

2023-04-25 06:15:11 | 貫之集

五月照射

さつきやま このしたやみに ともすひは しかのたちどの しるべなりけり

五月山 木の下闇に ともす火は 鹿の立ちどの しるべなりけり

 

五月照射

五月の山の木の下の闇にともす火は、鹿が立っているところを知るしるしなのであるよ。

 

 Weblio古語辞典 によれば、「照射(ともし)」とは、「夏の夜の山中で、狩人が鹿をおびき出すために篝火をたいたり、松明をともしたりすること。また、その火。」のこと。歌意そのものはわかりやすいですが、詠み手の感情はよくわからない歌のように私には思えます。(「だから何?」と言いたくなる ^^;;;)

 古典和歌は詠み手の「こころ」が明確な「ことば」として結実している点が特徴と言われます。それに対してこの歌は目にした情景をそのまま描写しただけにように見えるのは、私がまだまだ勉強不足なのかな??
 この歌は拾遺和歌集(巻第二「夏」 第127番)採録です。

 


貫之集 008

2023-04-24 05:32:07 | 貫之集

三月つもごり

はなもみな ちりぬるやどは ゆくはるの ふるさととこそ なりぬべらなれ

花もみな 散りぬる宿は 行く春の 古里とこそ なりぬべらなれ

 

三月の末日

花もみな散ってしまった宿は、去り行く春にとって古里ともいうべきものになっているようだ。

 

 晩春になって桜も散ってしまった様子を、春にとっての古里になったととらえる機智ですね。
 この歌は、拾遺和歌集(巻第一「春」 第77番)にも採録されています。


貫之集 007

2023-04-23 05:21:54 | 貫之集

忘れ草

うちしのび いざすみのえに わすれぐさ わすれてひとの まだやつまぬと

うち忍び いざすみのえに 忘れ草 忘れて人の まだや摘まぬと

 

忘れ草

住の江の忘れ草を見ると、あの人は忘れてこの忘れ草をまだ摘んでいないのではないか、私への恋心を忘れずにいるのではないかと思える

 

 「忘れ草」は萱草(かんぞう)の別名で、忘れ草を身に着ければ、恋の苦しみや憂いを忘れられるとされていました。
 本歌は、貫之集の他の多くの歌とともに、平安時代に編纂された私撰和歌集である「古今和歌六帖」(第3850番)にも採録されています。古今和歌六帖の撰者もまた紀貫之との説もあるようですね。

 

 


貫之集 006

2023-04-22 06:46:23 | 貫之集

三月田かへすところ

やまださへ いまはつくるを ちるはなの かごとはかぜに おほせざらなむ

山田さへ いまは作るを 散る花の かごとは風に おほせざらなむ

 

三月に田を耕すところ

今は田を耕す時期にまでなっていて桜が散るのは当たり前であるのに、いまさら風のせいで桜の花が散るなどと不平を言わないでほしい。

 

 「かごと」は「託言」で、ここでは「不平」「恨み言」の意。田を耕す人々の傍らで桜が舞い散る情景の屏風絵なのでしょう。手を休めて、散っていく桜を恨めしそうに見上げる人も描かれていたのかもしれませんね。

 


貫之集 005

2023-04-21 06:49:10 | 貫之集

弓の結

あづさゆみ はるのやまべに いるときは かざしにのみぞ はなはちりける

あづさ弓 春の山辺に いるときは かざしにのみぞ 花は散りける

 

弓の結

春の山辺に入ったときには、桜の花が髪のかんざしとなって降りかかったことだ。

 「弓の結(けち)」とは、弓矢で射手を左右に分け、交互に弓を射させて勝負を争うこと。一見、表題と歌の関係がわからないですが、弓矢の的の向こう側に山桜を描いた幕が張られていて、的に向かって矢が放たれるとまるで後幕の桜が散って降りかかって来るようだという情景を詠んでいます。

 ・・・と言われても、やっぱり良くわかりませんね  ^^;;;