木蓮の 花に座りし 仏かな
梅士 Baishi
今日は好天からの花曇り、明日は雷雨になるという。
満開の桜を通り過ぎて、冷たい風になじんだいつもの
梅園に腰をおろした。
花見のビールも買い求めた。
梅の花は決然として、いっぺんの花びらさえも残して
いなかった。
その、梅の花見を所望しての花見である。
夜目に梅の花かと思ったのは、コブシの花だった。
強風だが、いやに生ぬるい。
いよいよ雨かという気配である。
木蓮の花見もよいものだ。
冷泉公園の桜はすでに花見の宴が賑やかだった。
そういう世俗にはどうもなじまない。
花見は、孤高に杯をあおるものである。
といいつつ、六日の日は花見ということになっている
のだが・・・。
深夜、雨が降り始めている。
明日から、電波の届かない山間の研修施設のクロスカ
ントリーを担当、さて、遭難者が相次ぐことであろう。
そこを、どう切り抜けるか、和算のようなおもしろき
問題ではないか!
【 アメリカンドリームとジャパニーズドリーム 】
藤永茂著『アメリカンドリームという悪夢』を購入、
睡眠導入の書としてその序論を読んだ。
著者は左翼拠点である九州大学の理学部出身、使って
いる出版社は岩波書店と朝日新聞、とくれば左翼社会主
義の住人だと思われる。
左翼というのは、マイノリティーに同情的である。
つまりは、資本主義のリーダーには敵対的である。
だからこそ、インディアンから国を奪って建国された
アメリカの罪を「悪夢」と表現しているのだろう。
そうは言っても、繁栄の大義は、インディアンではな
く、清教徒の移住者にあったからこそ、アメリカが生ま
れた。
アメリカンドリームは、いわば、ヨーロッパの明治維新
という性格があったと思う。
もっとも、黒人奴隷を使った罪はぬぐえないであろう。
だからこそ、アメリカは短命に終わることになるだろ
う。
アメリカンドリームは、ヨーロッパの身分制度を終わ
らせ、商工業者による民主主義を創始したという点に意
義がある。
プロテスタントにとってはまさに新天地であった。
しかし、ロシア貴族制を終わらせたロシア革命が嫉妬
の社主義であったのに対して、アメリカンドリームは、
欲望の自由主義ではなかったか。
最初は信仰の自由という大義があったが、民族差別と
いう悪魔の手法を使ったことから、欲望が膨らんできた
のだと思われる。
貧乏を目指したロシアと自由を目指したアメリカは、
信仰を穢したことで自滅の遺伝子を刷り込んだといえる。
これに対して、ジャパニーズドリームは、文明の調和
を目指す信仰の文明を築こうとしているのである。
日本は、周辺諸国を自立させることに使命がある。
自立無くしては調和はないからである。
与える愛の文明国・日本を目指しているのである。
奪う国と与える国の夢の違いが、やがて明らかになる
ことであろう。
奪う文明から与える文明へ、これが、日本の使命では
ないか。
いざ、新世界建設へ!
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi