すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 夜桜ちょうちん・・・ 創造者たるべし

2012年04月08日 19時17分33秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 

 夜桜に  提燈下げし  貧富かな   

    梅士 Baishi

  

   

 

 

 

   

 わずか、3千円で上等の日本酒、おいしいおでん、から揚げ、チャー

ハン、イカのつまみ、ストーブに花の下・・・。

 なんともありがたい夜桜の宴であった。

 異業種交流の酒飲み会であるが、それを準備してくれたお店のお

かみさんにもありがたいことである。

 夜桜の酔狂に貧富の差などあるものか。

 

 ミュージシャンに出会い、ドイツ発・原発反対の環境左翼映画チラシ

にも出くわし、酒蔵の杜氏に出会うことができた。

 異文化の出会いとはいえ、花の下はやはり江戸のような酔狂である。

 花の下に遊び心がはしゃいでいる。

 

 会社の経営者とはいっても、唯我独尊でいられるのは社内だけの

こと、一歩外に出れば、頭を下げ、恩情のように仕事をもらい、上下

関係ではいつも下のような位置感覚でお付き合いをさせてもらうの

が中小企業の経営者である。

 

 それでも、サラリーマンにはない自由とリスクの重みを知っている。

 それが、上下関係はあっても、お互い認め合っている誇りであろう。 

 自分もそういう世界に入りたいものだと思う。

 ジャパニーズドリームの原型だけでも刻みたいものである。

 

 創造者たるべし。

 それが、新しい資本主義の「資本」を示唆しているのではないか。

 だから、サラリーマンにもフレキシブルな仕事の仕方と責任を与え、

創造的企業力を養成するマネジメントが推奨されるべきである。

 

 貧富を超えるもの、それは、夜桜の遊び心と、創造力の発揮にあ

るのではないか。 

 Be positive, be creative!

  創造性の発揮こそは、葉っぱをも小判に変えることであろう。

 創造的であれば、世の中に貧乏人はいなくなる。

 

 

 

  

  

   

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

          

 

 

 

  

  

  

  

  

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+ 花咲かせ・・・ 宗教拠点の役割と経営  幸福の科学支部に期待されている役割

2012年04月08日 12時46分38秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 

 花咲けば  人も花咲く  花咲かせ  

    梅士 Baishi

  

 

 

 

   

   

 今日も満開の桜と花吹雪の中、人もまた花咲くことであろう。

 ちいさな試練としての宿泊研修を経て、今週は入学式である。

 学校はいわば道場である。

 日々、師範として立会う。

 わが流派は幸福の科学流、銀河剣である。

 

 いずれ、開拓伝道に立ち上がりたい。

 支部創設とは、いわば起業であるべきなのだ。

 書店として、学校として、コンサルティング拠点として信仰と経済を

一体化した開拓伝道というのが本来の支部なのではないかと思える。

 支部は、いわばお寺なのではない。

 寺と思うから、その「住職」の不出来に腹が立つのだ。 

 

 プーチン大統領も教会に祈りの時を持つという。

 牧師や神父の説教ほど陳腐なものはない。

 彼らは、教会経営者として責任を持つべきで、宗教的権威ではない。

 幸福の科学の支部もまた、同様であろう。

 

 祈りの場所を提供するだけでも、支部の意義がある。

 結界という働きである。

 価値の高い情報があり、それをもって独立経済拠点として経営す

ることができるはずである。

 

 プーチン大統領の霊言を読み、初めて久留米支部を訪れて思った

ことである。

 支部では、エル・カンターレ像の前で、瞑目の一時を持っただけで

あるが、営業拠点と言う活気はなかった。

  宗教拠点の役割と経営という視点が必要であると思う。

 

 

 

 

  

   

 

   

 幸福の科学支部に期待される役割 

   

 エル・カンターレ信仰の地域本部としての役割が支部に期待され

れていることではないか。   

 ハブ&スポーク(法輪理論)でゆけば、支部がハブの役割を持ち、

会員経営の書店やコンサル会社、スクールなどがスポークとして活

動するという構図である。

 

 支部は、祈りの場所であり、幸福の科学情報拠点であり、スポーク

からのロイアリティーで兵站を賄うのである。

 経済の裏づけのない植福は、いわば清貧の思想を押し付けること

にもなりかねない。

 

 植福は結果であって、営業対象ではないのではないか。

 企業の論理は、宗教活動の経済を支えるために活用されるべきこ

とである。

 幸福の科学の宗教活動には、政治、伝道、学習会、相談所など多

彩であるが、あまり活動的には見えない。

 そこに経済理論がないからであろう。

 

 支部に期待される役割には、高齢者のコミュニティーという役割、

政党活動としてのセミナー活動、経済スポークのサポート、生涯学習

と生涯スポーツ普及活動など、地域経済、文化の本部機能を持つこ

とである。

 

 いつも人であふれ、出入りし、活力と発展力に満ち溢れているのが

幸福の科学支部の本来の姿であろう。

 幸福の科学職員は、出家の僧のつもりでいるならば、まさに不遜、

傲慢である。

 

 出家という言葉は、総裁から直接選ばれたる者という名誉なのかも

しれないが、貴族的な権威であるかのように誤解してはなるまい。

 情報に一番近い地位にあるからこそ、その責任は重いのである。

 在野のベンチャー精神こそが求められていると知るべきである。

 

 以上、批判し、提言する。

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

          

 

 

 

  

  

  

  

  

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