八重桜 花を重ねて 思いたる
梅士 Baishi
八重桜(ぼたん桜)が満開である。
まだ、撮影はしていないのが未練であるが、はかない桜の後のふく
よかな桜である。
痩せたいという娘が多いが、いや~、女はふくよかな方がよい。
ふくよかとは、スポーティーでのびやかという感じである。
八重桜もまた、ふくよかではないか。
だから、女性たちよ、やせるのは止めて、おおいに運動をし、のび
のびとした健康体をめざそうではないか。
女性の痩せ型の美意識に異議を唱えたいのである。
ファッションモデルもまた、ふくよかと言う基準でモデル事務所を立
ち上げたいものである。
さて、幸福の科学出版の霊言シリーズで、大物政治家のシリーズ
を読んでいると、兵法による駆け引きというのがわかるようになって
きた。
今までは、純情なほどの愛社精神で働いたが、純情といものは裏
切られやすく、壊れやすい。
組織との戦略的距離が大切であろう。
愛社というのは組織的所属意識でもある。
起業の段階では愛社精神は不可欠であろう。
しかし、軌道に乗ったあとは組織的帰属意識(愛社)ではなく、顧客
愛に転換したほうがよい。
日本的「マネジメント」は、いわば「家」の論理で小さな政治を始め
るものである。
成長の止まった小さな貝にあわせるのではなく、新しい貝を選ぶべ
きであろう。
そうした日本的マネジメントと、一流の国際政治の世界にふれるこ
とによって、したたかさという感覚が分かるようになってきた。
したたかとは、人間関係におけるバランス感覚である。
特に、プーチン(吉宗)、李明博大統領、ヤマトタケルの見識は目か
ら鱗というほどの開眼であった。
日本の政治家の矮小さもわかるようになった。
ただ、安倍晋太郎(大伴家持)や麻生太郎(真田昌幸)は、力量不足
だがいい男だと思う。
家の論理と事なかれ主義の論理が日本的組織統治の習性だとす
ると、いささかこれからの時代にそぐわない鎖国傾向というべきであ
ろう。
そこにイノベーションをかけられるかどうかが生存率を左右するこ
とになるだろう。
近未来に求められる発展的生存をめざしたいものである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi