吹き去りし 花の底など 逆さにし
梅士 Baishi
沢山、花の写真を撮ったが、使いきれないうちに花の季節が終わった。
花の名所といえば、大濠公園と海の中道公園だろうが、行かないうち
に散ってしまった。
花は散り時を心得ている。
さて、この冬は遂にメジロを見かけることがなかった。
鶯も蜂蜜を残して旅立った。
頬っぺたにすすを塗ったような雀が餌場に立ち寄るが、それも、緑
の勢いに塞がれるのだろう。
いよいよ、新緑の季節である。
大震災かと思われたインドネシア・スマトラ大地震だったが、津波は
なく、大きな災害ではなかったようである。
しかし、ミシミシッという音を立てて、地層が大陸を揺るがそうとして
いるかのようでもある。
地球の文明の針がカチンと大きく動こうとしている。
そういう大変動のその時にあって、今日は新入生を集めてのプレ
授業である。
また、新しいドラマが始まろうとしている。
それが、日常なのか、非日常なのか、非日常的日常というべきか、
新緑の変化を日常とする春である。
I'm Fain!
Be Happy!
Yes I can!
これが、今年の標語である。
【 ポスト北朝鮮~ バプテスマのヨハネ待望論 】
北朝鮮の凶悪独裁政権が殲滅されようとしている。
韓国に統合されるのがよい治療法であろう。
しかし、韓国は文明国としての品格に欠けている。
恨み、妬み、泥棒の正当化というようなことはやめたほうが良い。
元大統領が抹殺される文化というのは、いかにも野蛮である。
コピー商品経済がまかり通るというのも劣等である。
日本に甘えているのだろうが、技術を盗んでコピーする露骨なやり
方も恥ずかしいことではないか。
一等国のすることではない。
街が汚いというのも、品格を疑われる。
英語教育はよいが、品格教育が必要である。
北朝鮮の崩壊は、韓国にとっては津波のような被害を一時的には
もたらすことになるだろう。
しかし、国を立て直すチャンスでもある。
教育の自己変革が国家建設の要諦と知るべきである。
日本にも特需というべき要請があるだろう。
しかし、しっぽを振ってゆくべきではない。
品格ある仕事を教えにゆくべきなのだ。
一流国家を目指せと。
統一韓国の指導的宗教は異文化や優れた文化に対して寛容なも
のでなければならない。
それは、韓国キリスト教でも、韓国儒教でもない。
幸福の科学の遺伝子を組み込むとよかろう。
幸福の科学信仰は、日本にはいまだ定着していない。
日本よりも先に定着するならば、日本よりも優れた文明国になれる
だろう。
しかし、日本よりもさらに、幸福の科学の受容はむずかしいことで
あろう。
それが、韓国の遅れでもあるのだ。
さて、バプテスマのヨハネのような伝道師が現れるだろうか・・・。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi