荒れ海の 秋刀魚を焼いて 煙りけり
梅士 Baishi
今日は十六夜の月であるが、見えなかった。
見えなくても、酒を飲む。
荒れ海の秋刀魚の煙が秋の深みを演出する。
いや、腹が減った。
今日は、「共生社会と福祉」という課題について90分ほどエキサイト
な講義をした。
如何にも左翼好みの課題である。
考えてみれば、共生という言葉は社会の定義に含まれる。
共生というお互いさまの思いやりがなければ社会は成り立たない。
しかし、社会とはなかなか見えない人間関係でもある。
イスラム社会とキリスト教社会がいがみ合っているが、相互に助け
合っているのが現代社会である。
お互い、というより、キリスト教社会の了見が狭すぎると思う。
愛を説きながら、侵略主義の弱肉強食を押し通してきた。
社会に共生と冠するのは、愛のモラルを欠いているからだろう。
自由主義にも、愛の倫理がなければ弱肉強食の愚を犯す。
かといって、社会主義は発展を否定する嫉妬体質である。
これも社会を弱体化する。
結局は、自助努力を基本としながら、成功者は弱者救済の思いや
りによって社会の活力を補う責任を自覚することが大切である。
弱者はあきらめずに、試練に立ち向かうべきである。
被災難民だ、消費難民だ、介護難民だと、試練を社会のせいにし
てこの不幸をどうしてくれるのかと言うが、試練こそは発展の資源で
はないか。
福祉とはあくまでも自助努力をサポートする社会的思いやりなので
あって、試練を不幸感覚で受け止めて、何とかしろというのではいけない。
人助けと言いながら、福祉を結果平等で解釈してはならない。
後進国に対する支援もまた同じである。
社会の共存共栄関係を阻害するのは競争社会でも、格差社会でも、
過疎化でもない。
定年制度の廃止、女性の自助努力と雇用の公平、ぴんぴんころり
の高齢社会促進、いじめを恥とする正義と慈愛の倫理教育、身分優
位保障の公務員制度の廃止、心身の鍛練・・・、こうしたことが共生
社会の本来の要請であるといえる。
結果平等と成功者への嫉妬を福祉で合理化してはなるまい。
見よ、高負担高福祉のヨーロッパの凋落ぶりを。
ヨーロッパ社会主義を後追いする日本マスコミ社会主義や亡国民
主党の危険性を察知しなければ、やがて、恐怖政治に支配されるこ
とになるであろう。
そうした左翼思想に騙されてはならないのである。
若者よ、正義と公平の精神を学びとるべきである。
その源泉こそは神に由来するのである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi