走ること 三日となりぬ 落ち葉道
梅士 Baishi
尖閣でも竹島でもなく、大統領選でも全人代でもない。
ひたすら、一人2kmの駅伝のことに心が集中してい
る。
朝晩のおよそ一里のジョギング通勤三日目、今朝は準
備運動をして走ろうと思う。
もはや、根性主義の原点にもどるほかはあるまい。
思えば、昨年の今頃は叔父の見舞いのために上京して
一旦引き上げてきたのだった。
その三、四日後、叔父の訃報に再上京したのだった。
世話になった叔父の一周忌の頃である。
魂は安らいだころだろうか・・・。
【 「国を守る宗教の力」 】
神も仏もない国の繁栄は、拝金主義のあだ花に終わる。
神も仏もないということを、なぜ良識だと思うのか。
信仰は私事であって公言すべきことではないという大
衆民主主義の欺瞞であることよ。
日本の歴史が信仰を中心に繁栄を築いてきたことを復
習すべきであろう。
天皇の人間宣言が日本人の信仰心を瓦解させたという
のが小室直樹先生の弁であったが、天皇は現人神ではな
く、八百万の軍神をいただく最高神官であるという宣言
に解釈すべきことである。
そこに天皇の神聖が認められれば良い。
まして、神性は人間の進化系、指導者としての流れも
ある。
そこは、幸福の科学に学ぶべきところである。
祭政一致の文明の原点にもどるべきである。
人の支配は差別と暴力による支配に他ならない。
神あってこその調和である。
神なきカリスマこそはヒトラーやスターリンのカリス
マであろう。
人を越える存在があると言うことである。
幸福の科学の大川隆法総裁こそは、現人神、地球神と
いうべき存在である。
その奇跡に気づかねばなるまい。
愚かな日本人としては終わりたくないものである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi