臥待ちし 涅槃の月の 後光かな
梅士 Baishi
午前零時近く、窓を明けると、涅槃月が美しかった。
昨夜が臥待月だから、この月は、仲秋の涅槃月である。
昔の600万画素のCanon-EOS-Kissで撮ったら、目玉
焼きのようなきれいな黄金色が出た。
やっぱりお月さんは黄色じゃないとねえ。
なんでも新しければいいというものではない。
同時に、伝統文化でも古ければよいというものではな
い。
今日から長崎のおくんちであるが、交通費5千円、4
時間をかけてまで見に行く価値を認めない。
伝道文化にも新しい芽がないとつまらないと思う。
時代のメッセージである。
たとえば、三菱重工をひざ元におく諏訪大社のお祭り
であるから、軍事パレードと参拝を兼ねて海軍によるヤ
マタノオロチ舞いを披露するとかである。
習近平は赤龍だそうであるから、日本の龍神、雷神、
ヤマタノオロチなどを舞いあげて、赤龍なにするものぞ
という気概がほしい。
竜馬の海援隊の歴史をもつ長崎の気概を示したいもの
だ。
【 三島由紀夫の霊言インタヴューを読む 】
三島由紀夫の割腹自殺は昭和45年というから、気の重
い大学受験の頃である。
島の高校教師とはそりが合わず、陰湿ないじめもあって
暗黒の高校時代であった。
目指す東京では70年安保花盛りで、反日左翼学生運動
の騒乱状態をニュースで垣間見ていた。
三島由紀夫もマスコミをにぎわせていた右翼小説家とい
う程度の認識だったが、その割腹自殺は衝撃的ではあった。
ケネディー暗殺以来の衝撃を感じたものである。
天才小説家と言うことで、何冊かの小説を読んだが、何
かしら親しまなかった。
左翼キリスト教の影響が強かったせいかもしれない。
作品を読むことが少なかったが、天才小説家、日本を代
表する文豪という位置づけではあり続けた。
その霊言というのをずいぶん昔に手にしたことがあった。
高天原の一柱ということであったと思う。
幸福の科学の霊言には権威がある。
その中で、三島の本質が国づくりの神であり、かつて邇
邇芸命(ニニギノミコト)であったことが明かされている。
さらには、その魂のルーツは麒麟型宇宙人であるという
自覚が示されていた。
おそらくは、ベガの文明やプレアデスの文明を守護する
役割を果たしてきた神聖な生命体なのであろう。
今世は確かに、幸福の科学・大川隆法総裁の露払いとし
て、憂国の預言者として、バプテスマのヨハネのような役
割だったのかもしれない。
彼の生前の言葉に、「人間は弱いから、自分のためだけ
に生き続けることはできない。誰かのために、天下国家の
ために生きるということを求めるものである」という趣旨
のことが語られていた。
人間の社会性とは、そういうことなのだろう。
であるならば、なぜ、母国日本を貶め、売国奴経済に魂
を売るようなことをするのだろうかと不思議に思う。
人は自己保身のためめだけに生きることはできない存在
である。
愛さずには生きられない。
人間の弱さとは、何と素晴らしいことであろうか。
日本人は、もう目覚めなければならない。
人間の弱さは、死をいとわない生きがいを求める強さで
もある。
幸福の科学も幸福実現党も、マスコミや公務員労組、中
国・北朝鮮という悪徳国家を敵に回して、満身創痍で孤軍
奮闘している。
大衆と言うものは、こうした気概に対してなんと冷たい
ことか。
しかし、もう目覚めなければなるまいよ。
自分も、安穏と生きながらえたいと言うほど強くはない。
死に甲斐を求め、死に場所を求めている。
石原都知事よ、三島が言うように、もう死ぬべきだ。
幸福実現党とともにこの国を守る、と宣言して死ね。
たしかに、自己保身で、幸福実現党を口にすることがで
きないのだと思う。
都知事後継を指名して、憂国の戦いを宣言せよ。
それが、幸福実現党支持の宣言である。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi