すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 野の秋穂・・・ 自助努力!  幸福実現党よ、日本の革命政府たれ!

2012年10月03日 20時48分53秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

  秋の穂の  それぞれ実り  風祭り  

   梅士 Baishi  

   

   

  曼珠沙華にも、野の穂波にも、写真には写らない賑わい

がある。

 虫の声であり、風の遊びである。

 しかし、トンボがすっかり姿を見せなくなった。

 ああ、また長い冬に降りて行く。

 

 今日は夕方から強風に時々雨がまじった。

 何事かと思ったら、朝顔のように、次々と秋台風が生

れているではないか。

 風雲急を告げる秋である。

 大いに台風の花を咲かせてほしいものである。

 

 この10月、どれくらい腹をくくって行動できるか、

福の科学の職員、講師、幸福実現党職員・候補者、さ

らには野にある仏弟子たちの信仰が試されることになる

であろう。

 他力本願では災いを過ぎ越すことはできないであろう。

 エル・カンターレ本願をおおいに反省すべきである。

 

 今日は久しぶりに福岡正心館を訪ねた。

 支部にしても同じだが、お友達が集まってだべるのは

いが、仕事をしなさい。

 だべるだけなら金を払ってそういうお店に行きなさい。

 支部も精舎も、まず、書店として立ち寄りやすい店づ

りをしなさい。

 

 会員は二階でいいでしょう。

 一階は、一般のお客さんに来てもらって、書籍を手に

ってもらえるよう、工夫すべきですよ。

 

 権威ぶっているのかしらんけど、虎の威を借りる狐の

になっちゃあいけませんね。

 どうも外向きではないですなあ。

 出家なんて言葉が誤解のもとになっているんじゃあな

ですかねえ。

 

 新入職員にはね、もっと民間のいろんな人に会わせて

ジネス経験を積ませるべきですよ。

 まあ、霊人の叱咤激励に恐れ入るべきですね。

 それは、一般信者の民の声ですから。

  

 

 

 

 

【 幸福実現党よ、政府たれ! 】  

 日本神道の神々が結集し、世界中のそうそうたる神格

が結集している幸福の科学である。

 その神意を政に生かそうと、エル・カンターレ自らが

ちあげたのが幸福実現党である。

 しからば、日本の命運を担う政府たれ!

 

 日本の政府の使命をもって、海外の政府と提携し、政

と提携し、企業と提携し、まっとうな海外メディアと

提携し、世界を動かし、日本を動かすべきである。

 そうした自覚が足りないように思う。

 革命政府たれ、独立運動の中枢たれ。

 エル・カンターレの権威が反映されるべきである。

 危急存亡の秋にあって、仏頼み、神頼みであってはな

まい。

 自助努力、創意工夫である。

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

  

  

  

  

 

 

 

  

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+ 居待ち月・・・ 信仰なきは野獣なり  神を排除する政治は悪魔の政治である  祭政一致が日本を救う!

2012年10月03日 08時07分55秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

2012.10.02 博多の居待月  

   

  屋根上の  立待月に  駆けて行き     

   梅士 Baishi

  

   

   

  これほどていねいに月を眺める季節はない。

 ましてや欠け始めた月まで、十六夜、立待ち、居待ち

月などと惜みつつ眺める日本の風流は、世界に類例の

ない美意識ではないかと思う。

 

 昨夜は、立待ちの時間は急ぎの仕事であった。

 おかげで、帰り途の低空に大きな居待月を見つけた。

 これは大変と、大急ぎで帰り、記念撮影に苦心した。

 三脚が悪いと、どうしてもぶれるんですねえ。

 

 さて、今朝も静かな肌寒い朝である。

 気温は18℃。

 朝顔の花をさがしたら、一輪小さな花が身を縮めて咲

いていた。

 それにしても、紫陽花が今も色を保って咲き続けてい

る。

 秋の紫陽花というのも、珍しいことである。

 

 

  

   

✿『聖徳太子も明治維新も祭政一致で国を救ったのです』

 

 日本で教育されてきた政教分離思想は精神病者的トラ

ウマであり、自縄自縛である。

 まさに、異様であり、心がねじけている。

 

 本来、政教分離とは、政治権力への戒めとして、政治

権力は宗教に介入して弾圧してはならないという趣旨で

ある。

 あるいは、宗教権力が法のルートを無視して政治権力

をふるい、他宗教を異端として弾圧することがあっては

ならないという戒めである。

 ローマ法皇庁のことである。

  

 その根拠は、宗教が悪だから、あるいは社会的危険性

をもつからではない。

 ヒトラーもスターリンも毛沢東も、数千万人と言う国

民を弾圧し殺害した独裁者であるが、宗教権力とは無縁

であった。

 神よりも信仰なき独裁者が信頼に値するとは言えない

であろう。

 

 政教分離とは、政治権力が宗教弾圧をしてはならない

という歴史的反省に立って、「分離」と表現したもので

ある。

 政治と宗教は本来一体であり、切っても切り離せない

理想と実現努力の関係である。

 これを否定したら、恐怖政治の共産国家、悪魔の国家

に堕落するであろう。

 徹底した政教分離の中国を見れば、その危険性は証明

されているではないか。

 

 政教分離解釈における制度的保障論は、悪魔の論理で

ある。

 悪魔は、神を追い出したくて仕方がないのだ。

 にもかかわらず、日本の学者は厳格な政教分離解釈を

通説としている。

 これもまた「日本国憲法」の呪い、自縄自縛にほかな

らない。

 

 何度も言うが、神も仏もない政治にしてはならない。

 権力者とはいえども頭の上がらない神の心を政治の批

判原理として、政治の倫理として見失ってはならない。

 

 宗教政党とは、神の心を心として政治を行う政党であ

る。

 その神が弾圧をし、信仰の自由を奪うのであれば、そ

れは悪魔であり、悪魔の政党として国民が忌避すればよ

いだけのことである。

 政権交替には、自由な言論と民意による政権交代のル

ールが保障されている。

 もっとも、マスコミ権力が正されればという前提であ

るが・・・。

 

 それが、不文律として認められる自由主義憲法の原理

である。 

 信仰の自由を守るためには政教分離が必要だと言う根

拠はない。

 信仰なき者が信仰の自由を守ると言う論理関係はない。

 宗教を政治的異端として排除すること自体が宗教弾圧

でさえある。

 

 神という最高の知性に学ぶ信仰が排除されたら、邪教

が跋扈する。

 宗教の正しさを判断する知性が失われるからである。

 

 そこで、政教分離のまちがい、祭政一致の正しさを人

々に知らしめる分かりやすいキャッチコピーが必要だろ

う。

 『聖徳太子も明治維新も祭政一致で国を救った!』と

いうのはいかがか。

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

         梅士 Baishi        

        

 

 

 

 

 

 

 

  

  

  

  

  

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