蝉捕りの 子や蝉やらが 絶叫し
中村 梅士 Baishi
捕まえられた蝉や子どもたちの絶叫が、夏休みらしい
活況である。
木立の間を蝉ウォッチングしながら走っていても、声
はすれども蝉の姿は見つからない。
蝉も「鬼さんこちら」とからかいながらも隠れん坊を
している子どものようでもある。
さて、受験指導も佳境に入ってきたが、成果が上がら
ない。
今日は先輩学生が来校したついでに、後輩に檄を飛ば
してくれた。
効果があったのではないか。
先輩・後輩の関係が思いやりにあふれていて、ほほえ
ましい。
霊言は短編小説のように気軽に読めるが、いろいろな
真相がつかめて得るものが多い。
その意味で、教養を広げる奇跡のメッセージである。
霊言を邪教のようにいかがわしく拒絶する人間とは雲
泥の差になる。
隙間の時間に『清水幾太郎の新霊言』を読み進めた。
60年安保闘争の意味を単に狂気と思っていたが、アメ
リカへの反感と抵抗という意味はあったのかというとこ
ろは少し救いではあった。
尤も、独立運動や愛国運動ではなく、反日の共産主義
運動であった点では、やはり救いようがなかった。
清水幾太郎氏ほどの人であっても、当初は左翼的だっ
たというのだから、敗戦の複雑な状況ではあったのだ。
その点、三島由紀夫の自衛隊への呼びかけは、国家独
立の気概を持てと言うメッセージであり、当時は突拍子
もない右翼趣味にみえたが、時代の予言者ではあったの
だ。
清水幾太郎氏の過去世は、『日本外史』の著作で明治
維新の精神を啓蒙した頼山陽であったとは。
しかし、だからこそ、日本の独立と核武装を論じるに
至ったのだろう。
しかし、今の日本には明治維新の気概は幸福の科学に
しか残っていない。
日本の滅亡は、もはやマスコミの言いなりになった国
民の選択というべきであろう。
幸福の科学にこれを変える力はないというのが現実で
ある。
もっとも、核戦争にならない限りは、戦えば、チャイ
ナ人民軍には負けないのではないか。
しかし、戦闘は禁止されているし、国を維持するつも
りもないのが日本国民の選択である。
天皇制も公務員に後退したし、終わったとみてよい。
日本軍にあっては、国民義勇軍の受け入れ態勢を準備
しておいてほしい。
最後の防衛戦は海岸線での『元寇の役』になるだろう
し、海戦においては、命知らずが必要なはずだからであ
る。
総裁は、日本を守ると宣言されたが、守られることが
あるとしたら、神の働きによる奇跡である。
日本人が誇れることではない。
8月2日のドームでの大講演会の内容は分からないが、
日本国民は守るに値しないと思う。
安倍総理も先がないようであるから、最後に国民投票
にかけてはいかがか。
憲法の廃棄と、日本軍の再興による独立宣言を発し、
国民党投票で否決されるであろうから、責任根拠となる。
国民の決断により、自滅の道をあゆんだと言う程度に
は歴史に残るであろう。
それは民主主義の結末であるから、それでよいのでは
ないか。
滅亡すればよいのである。
安倍総理は、そうした白黒をつけて退陣すればよいの
ではないか。
政権維持など問題にならない事態であるし、本音の政
治をすればよいのである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party