地球星 降りたる街の 冷えており
中村 梅士 Baishi
今朝の博多の気温は3℃、しかし、自分の世界が博多
に限られているとしたら、俳諧もつまらないものになる。
空から降り立った世界は広い。
寒そうな大聖堂があり、不思議の国のアリスの森があ
り、クジラが潮吹く太平洋の海もある。
遠い海から来たCOOのサンゴ礁があり、緑豊かなダ
ークサイドムーンの宇宙人基地もある。
そんな風に想像を膨らませて博多の冬を楽しみたい。
さて、今日はのんびり出勤の日である。
マスクをして、急ぎ足ウォーキングで通勤したい。
インフルエンザを警戒しなければならない。
もう、風邪にはうんざりである。
ランチは、もつ鍋丼にしようか・・・。
長年使ってきたカリモクの皮張の椅子がくたびれて
きた。
快適に居眠りできる椅子だったが、引退の時だろう。
稀勢の里の引退は複雑な気分にさせる。
しかし、見ている人に良い影響を与えられるかという
判断をせざるを得ない立場である。
アスリートの引退の判断は美学の問題でもあるだろう。
稀勢の里はケガの判断を誤ったと思う。
横綱の美学はケガをしないこと、ケガをしたら最善の
回復手段をとること、復帰戦で横綱相撲が取れなかった
ら、そのときこそ引退の決断の時だろう。
しかし、世間から引退が注目されている人は、良くも
悪くも上り詰めた人ではある。
美の前提には、強さがあるということだ。
人は強くなければならない。
裁き心は強さである。
しかし、美しいかというと場合による。
何より、人間関係を狭くする。
本物の強さがなければ、裁き心は私怨に近くなる。
自分の好き嫌いではなく、公益の観点がなければなら
ないという事だろう。
憎しみの感情は自己中心の価値観から来ているのだ。
やはり実力と実績を作らないといけない。
そうでないと、自己中心の殻を破ることが難しい。
「本来憎むべき敵はいない」という悟りは、戦士の悟
りと言うべきであろう。
まずは、良い仕事をしよう。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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